■検証26・大石寺9世日有の経済力を解き明かす湯之奥金山遺跡・湯之奥金山博物館5

 

□湯之奥金山の金山衆は日蓮宗系・富士門流の「法華の信者」だった2

 

江戸時代に湯之奥の中山金山に建てられた石塔や茅小屋金山に建てられた墓石に「富士北山村」の文字が見えるものがあることから、湯之奥金山博物館では、金山衆の菩提寺は富士宮市北山の北山本門寺であったと特定している。

湯之奥金山博物館の展示では、これは湯之奥金山の金山衆が静岡県富士宮市と深い関わりがあったことを示唆していると、している。

富士吉田市歴史民俗博物館勤務の堀内真氏が、1998117日に湯之奥金山博物館で行われた第4回公開講座における「金山衆の暮らしと信仰」と題する講演で、湯之奥金山の石塔に記された人物名、富士宮市・北山本門寺の「御廟所」、北山周辺在住の人々の家系等々を調査した上で次のように言っている。

「富士宮市とその周辺に富士五山という五つの日蓮宗の大きな寺院があります。その一つを北山本門寺と言いますが、この寺の『御廟所』は寺の中でも有名な檀家で埋葬されている墓地であって、そういった石塔を見ていくと、その中の一つに先祖の由緒が書いてあるものがあります」

「どうやら中山金山(湯之奥で最大の金山)で活動していた金山衆は元々甲州の人間ではなく、駿河の人間であった可能性が極めて高いのです。金山の中の石塔には日蓮宗タイプの石造物が立っているわけですが、麓に下って以降のそれも北山本門寺という日蓮宗とのつながりを継続して残していることが分かります」(『金山史研究・第1集』p73)

 

立正大学仏教学部非常勤講師・立正大学日蓮教学研究所客員所員の望月真澄氏が、20051217日の湯之奥金山博物館回公開講座における「甲斐と駿河を結ぶ道」と題する講演で、次のように講演している。

「金山を掘る金山衆という職業の人々がどのように(湯之奥に)登山し、下山していったか。出身地の多くは、富士宮市北山地域と言われています。それはなぜかと言いますと、北山本門寺(富士宮市)が菩提寺となっている人が多かったから分かることです。本門寺は、日蓮宗の本山であり、金山衆が山の上で亡くなれば、その傍らに供養塔が建立されました。この石塔には、『南無妙法蓮華経』の題目が刻まれ、法華の法号(戒名)が記されています。金山衆の信仰の軌跡が山上に残されていることは貴重なことです」(『金山史研究・第8集』p46)

 

堀内真氏や望月真澄氏のように、金山衆の菩提寺をはっきりと北山本門寺と特定している学者も居る。堀内真氏は大石寺・富士妙蓮寺・北山本門寺・西山本門寺・小泉久遠寺の富士五山を「日蓮宗の大きな寺院」と言っているところが面白い。

湯之奥金山博物館2
 

(湯之奥金山博物館)

展示図録2
 

(甲斐黄金村・湯之奥金山博物館展示図録)

 

 

□上古の時代では身延山も富士五山も富士門流も「日蓮宗」として同一視されていた

 

一般の学者の認識からして、身延山だろうが、富士五山だろうが、富士門流だろうが「日蓮宗」だということ。現代においてすら、これであるから、室町・戦国・江戸時代においては、なおさらのことである。先に、一般大衆がどこか特定の宗派、特定の寺院に所属が固定化されたのは、江戸時代初期の寛文11年(1671年)に宗門人別改帳が法整備されて以降のことであると書いたが、江戸時代末期においても、大石寺の信者が北山本門寺に参詣していたことが文献に残っている。

大石寺の「戒壇の大本尊」大石寺9世日有偽作を告発した北山本門寺6代日浄の「日浄記」を記していることで有名な「大石寺誑惑顕本書」には、次のような記述が見える。

「千部法雨の節、大石寺相家の者数人参詣に来居り候間、時の貫主日信上人、其の邪僧等が妄語たる事を説法のついでに示して鉄砲本尊を開帳致しければ、大石寺相家の者共、昔より年々拝する真の鉄砲本尊を拝見し奉り、色を失い首を聚め、さては我等は欺かれ候か、浅ましき事哉と、つぶやき合てけり」(『大石寺誑惑顕本書』p67)

 

「大石寺誑惑顕本書」とは北山本門寺の文献だが、大石寺のことを「相家」(あいや)と言っていることが面白い。「相家」(あいや)とは「国史大辞典」によれば

「同じ家屋敷を分割相承した家仲間。相屋とも書く。多くは血縁分家の際の住居分与で生じたから、それは同族団(本家・分家仲間)の特殊形態とみられる。しかし時には分割売却によるアイヤもあった。」

と載っている。江戸時代においては、すでに大石寺と北山本門寺の関係は分裂・断絶していたが、北山本門寺が大石寺を本家・分家仲間を意味する「相家」と呼び、大石寺の信者が北山本門寺の法要に当たり前のように参詣しているのである。

江戸時代の末期においてすらこうであったわけだから、寛文11年(1671年)に宗門人別改帳が整備される以前においては、なおさらこうであったことは明らかである。

すなわち、湯之奥金山の金山衆も、北山本門寺を菩提寺としていたとしても、北山本門寺にも参詣すれば「相家」の大石寺にも参詣していたことは、容易にわかろうというものである。

北山本門寺39仁王門
 

(現在の北山本門寺・仁王門)

9世日有4(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)