■検証75・左京阿闍梨日教(本是院日叶)の経歴・事跡に関する今までの通説は誤りである14

 

左京阿闍梨日教(本是院日叶)が宣揚した教学は大石寺9世日有の教学そのものだ

 

日蓮本仏義、事の戒壇、本迹勝劣、釈迦如来像不造仏義、血脈相承、二箇相承、百六箇抄、産湯相承事等々の教義、相伝書を偽作したのは大石寺9世日有であり、日尊門流ではない。

その大石寺9世日有門下に1472(文明4)年ころから会下していた本是院日叶(左京阿闍梨日教)が書いた「百五十箇条」に出てくる日蓮本仏義、事の戒壇、本迹勝劣、釈迦如来像不造仏義、血脈相承、二箇相承、百六箇抄、産湯相承事等々は、日尊門流教学の影響ではなく、大石寺9世日有が唱えた教学であることが、明確である。本是院日叶(左京阿闍梨日教)は「百五十箇条」で

「常寂光土とは本門の戒壇。是は何処に有りや富士山とこそ伝え承れ…三箇の秘法を授け玉ふ。日興を白蓮と申すも日蓮と白蓮と同じ心なり」(富士宗学要集2p177)

「此の戒壇こそ常寂光土なれ。本国土妙なり。…此の戒壇院は広宣流布の時御崇敬有り。最も六万坊を建立有るべしと。今法華行者の所居の土、常寂光土なり」(富士宗学要集2p220)

と、「本門戒壇」「事の戒壇」について説いている。

「百五十箇条」の「常寂光土とは本門の戒壇。是は何処に有りや富士山とこそ伝え承れ…此の戒壇こそ常寂光土なれ。本国土妙なり。…此の戒壇院は広宣流布の時御崇敬有り。最も六万坊を建立有るべしと。今法華行者の所居の土、常寂光土なり」という本門戒壇が常寂光土であり、「此の戒壇院は広宣流布の時御崇敬有り」との文は、保田妙本寺・日要が大石寺9世日有の説法を筆録した「新池抄聞書」の文

「日有云く、また云く、大石は父の寺、重須は母の寺、父の大石は本尊堂、重須は御影堂、大石は本果妙、重須は本因妙、彼は勅願寺、此は祈願寺、彼は所開、此は能開、彼は所生、此は能生、即本因、本果、本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり」(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨の著書「富士日興上人詳伝」p294295/「富士日興上人詳伝・下」p84)

に出てくる、「本因、本果、本国土妙の三妙合論の事の戒壇」、すなわち大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」を祀る堂宇が「事の戒壇」であるという教義と同趣旨である。この「事の戒壇」という教義は、日蓮が説いた三大秘法のひとつの「戒壇」とは、全く別個の戒壇であり、大石寺9世日有が独自に発明・偽作した教義である。この「事の戒壇」の教義は日尊門流には絶対にない。

後に本是院日叶(左京阿闍梨日教)

「三箇の秘法とは日蓮、日目と御相承し、…この三箇の秘法は当家の独歩なり」(同『富士宗学要集』2p257・左京阿闍梨日教『穆作抄』)

「此の三箇の秘法、余流に存知無き」(同『富士宗学要集』2p313・左京阿闍梨日教の著書『類聚翰集私』より)

と、「当家の独歩」「余流に存知無き」と宣揚している。左京阿闍梨日教が説いた「三大秘法」が、日蓮が説いた「三大秘法」あるいは日尊門流でも説いている「三大秘法」ならば、「当家の独歩」「余流に存知無き」等と鼓吹・宣揚するはずがない。

 

 

それを左京阿闍梨日教が「当家の独歩」「余流に存知無き」等と鼓吹・宣揚する「三大秘法」は、日蓮が説いた「三大秘法」ではなく、大石寺9世日有が発明した「三大秘法」であるからだ。だからこそ「当家の独歩」「余流に存知無き」教学ということになるのである。

日蓮宗系・日蓮正宗系の渦間佑介氏や犀角独歩氏から唱える通説である「本是院日叶(左京阿闍梨日教)が書いた『百五十箇条』の教学は、出身門流の日尊門流教学の教学」とする説は、よくよく検証していくと、大きな矛盾をはらんでいる。

まず第一に、封建的身分制度が厳しい僧侶社会にあって、他門流から会下ないし帰伏した僧侶(いわゆる外様)が、自らの出身門流の教義を、自らが会下・帰伏している門流で宣揚することなど、「僧侶社会の常識」に照らし合わせて、到底有り得ない話しであること。日蓮正宗大石寺門流でも、昔からそうであるが、他門流から帰入した僧侶は、「外様」(とざま)と呼ばれ、冷遇される。

他の富士門流から日蓮正宗に合同した富士妙蓮寺、讃岐本門寺、日郷門流から日蓮正宗に合同した保田妙本寺、日向定善寺など、皆、そうであった。本山寺院の格付けを与えられ、住職が能化に昇進しても、宗務院・内事部・宗会・監正会等々の役職者に選ばれることもなく、次期法主候補に選ばれることなど、絶対に有り得ない。ましてや、それら「外様」住職が、日蓮正宗に合同・帰一する前の出身門流の教学を宣揚するなど、僧侶社会の常識からして、絶対にあり得ない。

他門流から帰入した僧侶が、自らの出身門流の教義を、自らが帰入している門流で宣揚するなどということをすれば、その門流には、居られなくなってしまう。

したがって、公正な道理から判定していくと、日尊門流から大石寺門流に会下した本是院日叶(左京阿闍梨日教)が行ったことは、日尊門流教学の宣揚などではなく、むしろ逆に、大石寺9世日有の教学の宣揚に人一倍務めたということである。大石寺法主・日有の教学とは、まさに「三大秘法」「事の戒壇」「戒壇の大本尊」「日蓮本仏義」「唯授一人の血脈相承」等といったものである。

本是院日叶(左京阿闍梨日教)のような外様の僧侶が、大石寺門流生え抜き僧侶からの冷たい視線や冷遇を跳ね返していくには、大石寺門流生え抜きの僧侶よりも、数倍、数十倍も、法主・日有の教学を宣揚していく他に道はない。そうしていかないと、堅牢な封建的身分制度に固められている僧侶社会の中で、生き残っていくことは不可能なのである。

したがって、本是院日叶(左京阿闍梨日教)は、会下した大石寺門流の中で、殊更に日有教学の宣揚に務めた。それが「百五十箇条」「穆作抄」「四信五品抄見聞」「五段荒量」「類聚翰集私」「六人立義破立抄私記」といったものとなって後世に残っているということだ。「僧侶社会の常識」を以て考えたら、そう結論付けるほうが普通である。したがって、本是院日叶(左京阿闍梨日教)が宣揚した教学は、出身門家の日尊門流教学ではなく、大石寺9世日有の教学だと結論付けられる。

9世日有4(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)