■検証45湯之奥金山の「金」(きん)を手に入れていた大石寺9世日有11

 

□京都「天奏」を湯之奥金山の金の力で「買った」日蓮正宗大石寺9世法主日有

 

それほど絶望的に近いほど不可能に思えた大石寺9世日有の天奏の取り次ぎが実現したのは、ズバリ、大石寺9世日有が握っていた甲州・湯之奥金山から産出されていた「金」の力によるものと考える以外、有りえない。目の前に砂金やら金塊を差し出されれば、さすがの天台座主をはじめとする京都仏教寺院住職らも、朝廷や室町幕府に日有の天奏を取り次いだだろう。それくらい、室町時代の当時、金の力はすさまじいものがあった。つまり大石寺9世日有は、甲州・湯之奥金山の金の力で天台座主ら京都仏教寺院住職たちに、朝廷や室町幕府に日有の天奏を取り次がせた。つまり大石寺9世日有は「天奏」を湯之奥金山の金の力で「買った」ということである。

一方、当時の比叡山延暦寺・天台座主が金銀の賄賂を収受していた証拠も、もちろんある。

1571(元亀2)9月、織田信長が比叡山延暦寺焼き討ちを決行する理由を

「行体行法するのが出家の作法にもかかわらず、天下の嘲弄にも恥じず、天道のおそれもかえりみず、淫乱にふけり、魚や鳥を食らい、金銀の賄賂を取り放題、しかも浅井や朝倉に加担し、われらに戦いいどむとは、大敵に値する」

と述べて、天台宗総本山・比叡山延暦寺が「金銀の賄賂を取り放題」だという腐敗堕落の様をあげ、焼き討ちをするのだと家臣たちに説明している。このことから、当時の比叡山延暦寺が「金銀の賄賂を取り放題」の腐敗乱行をしていたことがわかる。

 

□京都天奏の旅で後々まで残る大きな屈辱と代償を払った日蓮正宗大石寺9世法主日有

 

大石寺9世日有からすれば、京都に長期間滞在し、延暦寺や園城寺などの大寺院を何度も訪問した上でやっと実現した天奏ということになる。駿河国の極貧の大石寺や北山本門寺などの富士五山か、せいぜい修行僧時代に行った武州・仙波(川越)の天台宗寺院ぐらいしか知らなかった大石寺9世日有にとって、延暦寺や園城寺、建仁寺などの大寺院の威容を目の当たりにして、たいそう驚いたことだっただろう。と同時に、大石寺9世日有にとって京都天奏の旅は、後々まで残る大きな屈辱と代償を払ったものになった。

根本中堂4
 

(天台宗総本山・比叡山延暦寺)

根本中堂2
 

(比叡山延暦寺・根本中堂)

園城寺4
 

(天台寺門宗総本山・園城寺)

 

 

□甲州・湯之奥金山の金の力で京都天奏を果たした日蓮正宗大石寺9世法主日有2

 

まがりなりにも一宗派の総本山法主が、京都天奏を果たさねばならないという目的のために、弟子の僧侶や信者の前で、「念仏無間・真言亡国・禅天魔・律国賊・天台は過時の迹」と非難を浴びせていた京都仏教寺院の前に平伏さねばならなかったという過酷な現実。

さらに大石寺9世日有は比叡山延暦寺で修行した日蓮の遺弟を名乗ったものの、天皇勅許の戒壇である比叡山延暦寺の僧侶からすれば、延暦寺をはじめ朝廷公認の官寺での修行経験の全くない大石寺9世日有は所詮、駿河国の私度僧にすぎず、大石寺9世日有の申状は宜面なく門前払いにされてしまうという屈辱を味わう。

比叡山延暦寺で、私度僧同然に門前払いの屈辱を味わった大石寺9世日有は、園城寺、東大寺、唐招提寺、興福寺、法隆寺、薬師寺、高野山金剛峯寺、教王護国寺、鹿苑寺、大徳寺等々の飛鳥、奈良、京都の大寺院を訪れて、申状取り次ぎ・伝奏を依頼するも結果は同じ。ことごとく門前払いである。まがりなりにも末寺を有する大石寺法主である日有にとって、比叡山延暦寺の前では僧侶としてすら認めてもらえないなどとは、耐えがたい屈辱だったことだろう。まさに日本の「カノッサの屈辱」ならぬ、「大石寺9世日有版・カノッサの屈辱」といったところか。

カノッサの屈辱とは、聖職叙任権をめぐってローマ教皇グレゴリウス7世と対立していた神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が、1077125日から3日間に及んで雪が降る中、カノッサ城門にて裸足のまま断食と祈りを続け、ローマ教皇による破門の解除を願い、ローマ教皇から赦しを願ったことを指す。ハインリヒ4世は武器をすべて置き、修道士の服装に身をつつんで城の前で教皇に赦しを求めた。ローマ教皇は破門を解く旨を伝え、ローマへ戻った。ヨーロッパでは現在でも「カノッサの屈辱」は「強制されて屈服、謝罪すること」の慣用句として用いられている。(フリー百科事典・Wikipedia『カノッサの屈辱』より)

大石寺9世日有が上奏申状の伝奏取り次ぎを願って、比叡山延暦寺・天台座主をはじめ園城寺、東大寺、唐招提寺、興福寺、法隆寺、薬師寺、高野山金剛峯寺、教王護国寺、鹿苑寺等の大寺院貫主に頭を下げて願い出るも、ことごとく門前払いとなれば、まさに日本の「カノッサの屈辱」そのものである。

1432(永享4)年の大石寺9世日有の京都天奏の後、日蓮正宗大石寺法主は、全く「天奏」というものをしなくなったばかりか、この京都天奏の13年後、大石寺9世日有は「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作して大石寺の「秘仏」として格蔵し、宝蔵、客殿、勅使門といった伽藍を建立するという方向に、大きく舵取りを転換している。それくらい大石寺にとって、大石寺9世日有の京都天奏の旅は、多大な影響をもたらしたものになっている。

9世日有4(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)