戒壇本尊1


日蓮正宗大石寺も創価学会も、顕正会も正信会も、このように「戒壇の大本尊」なる板本尊を盾にとって、声高く自分たちの正統性を叫んではいるが、しかし「戒壇の大本尊」も「相伝書」も、日蓮の真筆であり、日蓮から相伝された本物である証拠は何一つない。逆に後世の人の偽作であるとする証拠は、あちらこちらから山のように出てくる。つまり真っ赤なニセ物。大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊は、後世の偽作なのである。

このように後世の偽作板本尊を以て「日蓮真筆」と詐称し、この「戒壇の大本尊」に信伏随従しない一切の他宗派・他宗教のみならず、「戒壇の大本尊」に参詣しようとしない自宗の信者までもを「邪教」「邪宗」「無間地獄行き」と非難・攻撃したあげく、「この戒壇の大本尊に差し上げる供養金」と称して、莫大な金額の金集めをしている日蓮正宗。こんなことが果たして許されていいのか?

 よく言われる例えだが、ただの石ころを「ダイヤの原石だ」と言って人に売りつければこれは詐欺だ。ニセモノの一万円札を「本物だ」と偽って買物に使うことは犯罪になる。

同じように本当は後世の偽作であるにも関わらず「日蓮真筆の本物だ」として内拝料を取り、それを安置する建造物を建設するとて供養金を集めれば、これも詐欺ではないのだろうか?。

近代になってからでも、大石寺の「戒壇の大本尊」等は後世の偽作なのではないかとの指摘が各方面からなされてきた。当初は他宗派からのものであったが、近年は日蓮正宗の内部にいた人たちから偽作論が沸き上がっている。

しかし過去に「戒壇の大本尊」偽作説を唱えた安永弁哲氏の「板本尊偽作論」、木下日順氏の「板本尊偽作の研究」、窪田哲城氏の「日蓮聖人の本懐」、高田聖泉氏の「興尊雪冤録」、鴨宮成介氏の「板本尊の真偽について」、日蓮宗宗務院の「創価学会批判」、宮崎英修氏の「大石寺・板曼荼羅について」、松本勝弥氏の「訴訟された創価学会」、久保川法章氏の「弘安二年の大御本尊」、美濃周人氏の「虚構の大教団」「謎の日蓮正宗・謎の創価学会」「日蓮正宗・創価学会50の謎」、柳沢宏道氏の「石山本尊の研究」、犀角独歩氏の「大石寺彫刻本尊の鑑別」「大石寺漫荼羅本尊の真偽について」、東祐介氏の「大石寺門流における本門戒壇之大御本尊の考察」、金原明彦氏の「日蓮と本尊伝承―大石寺戒壇板本尊の真実」等々の著書を見ると、所々、部分的に評価される研究内容もあることはあるのだが、しかしながら極端な感情論や罰論、宗教論等々に傾斜していたりして、全体的な、一般に対して説得力のある科学的・客観的証拠・根拠という点については、大きく欠けている箇所があることも事実である。

そこで「アンチ日蓮正宗」としては、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊について、もういちど1からスタートして、科学的見地、学問的見地、文献、史料、歴史学、楠木、漆加工、金箔加工、日蓮正宗の「出世の本懐」論、堀日亨の見解等々、徹底的に検証を加え、さらに日本全国各地の寺院・大学・図書館・博物館・工芸館・資料館・歴史館・金鉱・遺構・関係各所を訪ね歩き、各界学術研究者や学者、教育委員会、学芸員の見解を聞き、取材・調査を重ねた上で、「戒壇の大本尊」なる板本尊が後世の偽作である証拠を整理した。

この「大石寺の「戒壇の大本尊」は日蓮真筆ではない。後世の偽作だ」PART1では、「戒壇の大本尊」なる板本尊が後世の偽作である証拠として

 

1日蓮一門に楠木、漆、金を入手できる経済力はなかった

2昔も今も身延山に自生の楠木はない

3 鎌倉時代の日本は小氷期で身延山に自生の楠木は存在しない

4 日蓮は「神木」である楠木を伐り倒していない

5日蓮一門に漆加工・金箔加工は不可能だった

6日蓮一門は金を入手できなかった

7紙墨の戒壇本尊・後代彫刻・漆金箔加工説を大石寺法主自ら否定している

8 「戒壇の大本尊」は身延の草庵に安置できない

9日法は「戒壇の大本尊」を彫刻していない

10干支が記されていない「弘安二年十月十二日」は日蓮の筆ではない

 

この10の証拠について徹底検証を加えている。