■検証1・日蓮正宗「大石寺版御書全集」に載っている「百六箇抄」の欺瞞的なカラクリ

 

□百六箇抄が後世の偽書である証拠の文を削除して御書全集に載せている日蓮正宗大石寺

 

この「百六箇抄」は日蓮正宗や創価学会、顕正会などの信者が持っている大石寺版「御書全集」に収録されているものだが、そこには、とんでもない欺瞞的なカラクリがあることを、日蓮正宗や創価学会、顕正会などの信者の人たちは知っているのだろうか?

実は「御書全集」に収録されている「百六箇抄」は、その全文が収録されているのではなく、後世の偽作である馬脚が出ている箇所を削除し、日蓮正宗、創価学会、顕正会などにとって都合のいい箇所だけを載せているのである。

「では百六箇抄の全文は?」というと、それは日蓮正宗大石寺59世堀日亨が編纂した「富士宗学要集第1巻・相伝信条部」に載っている。創価学会員が使っている「御書全集」も堀日亨が編纂したものなのだが、堀日亨は「富士宗学要集」には全文を載せて、「御書全集」には都合のよいところだけを載せている。

これはどういうことかというと、日蓮正宗は、他宗派の僧侶や学者らから「百六箇抄は偽書だ」と鋭い追及を受け続けていた。それらの批判・追及にとうとう日蓮正宗が抗しきれなくなり、ついに大石寺59世堀日亨が、「部分的に偽作だ」というところまでは認めざるをえなくなった。堀日亨は自らの著書の中でこう言っている。

「『三大秘法抄』に本門戒壇の重要最難の事項があるためか、後世の五老門下の多分は偽書と称しており、百六・本因の両相伝書をまた偽書といっておる。ただし、ぜんぜん偽書というに理由のないことでもない。それは、本因・百六の御相伝の現文が、反対者を圧伏するにたらざるところを補うた後人の註釈が、かえって他門より攻撃の基となっておる。それは高妙な道理より、むしろ平凡な史実がしかりである辺もある。また二箇相承の破文に『本門寺戒壇』の本門寺の寺号を、宗祖御在世に本門寺なし、重須の本門寺は御滅後十余年後に建立せられた史実により、形もない本門寺に戒壇を建つべしと仰せあるべきでなく、まったく富士一流の偽文書というのが、主要なまた多数者の難点である。これもまた、一応、ごもっとものことで、畢竟、富士のある方面人がみずから招いた禍(わざわい)で、いたし方もあるまい。」(堀日亨の著書「富士日興上人詳伝・下」p268)

下・百六本因偽書容認
 

つまり堀日亨に言わせると「たらざるところを補うた後人の註釈」が、他宗・他門より偽書だと批判されているのだ、などと苦しい言い訳をして、全文を載せた「富士宗学要集」で堀日亨は、その「後人の註釈」の箇所に一線・二線を引いて、次のような解説を加えている。

「又後加と見ゆる分の中に義に於いて支吾なき所には一線を引き、疑義ある所には二線を引いて、読者の注意を促がす便とせり」(堀日亨編纂「富士宗学要集第1巻」25ページ)

百六箇抄9(末文)

 

 

□百六箇抄の検証は堀日亨の欺瞞的な解釈を白紙化して最初から再スタートさせるべきである

 

堀日亨は「後加」「後人の註釈」だけども、日蓮正宗にとって都合が悪くない部分には一線、日蓮正宗にとって都合が悪い部分には二線を引くというふうに振り分けをした。そして線を引かなかった箇所と、一線を引いた箇所を、あたかも日蓮真筆であるかのように「御書全集」に掲載し、堀日亨が二線を引いた箇所を「御書全集」から削除しているのである。

日蓮正宗大石寺67世阿部日顕が編纂した「大石寺版・平成新編日蓮大聖人御書全集」も、大石寺59世堀日亨の編纂をそのまま踏襲したものになっている。

さらに堀日亨は、著書「富士日興上人詳伝」の中で、こんなことまで書いているから面白い。

「なかにも百六箇御相伝の付記(富士宗学要集第一巻相伝信条部22ページ)に『然るに鎌倉殿より十万貫の御寄進有りしを縁と為して諸所を去り遁世の事・甲斐の国三牧は日興懇志の故なり』とある。この付記は相伝書以後二百年は下るまい。その間に、これらの伝説がいずれかより発生せしものと見ゆる。十万貫なんという途方もない厚遇ができようはずがない。一石一貫としても、日本六十六国の中の極小国の一つに当たるものである。名山大寺がしだいに募りて特種の優遇を受け、幾千の円顧が密集しても、まず一万石は出でまい。かくのごとく漫筆をたくましゅうするから、塩尻なんどに漫罵せられて宗祖の顔に泥を塗ることになる」(堀日亨の著書「富士日興上人詳伝・上」p6061)

上・十万貫御寄進不審

日蓮正宗が「百六箇抄」が成立したと詐称する1280(弘安三年)から二百年は下らない時代とは、まさに大石寺9世日有の時代である。堀日亨の「この付記は相伝書以後二百年は下るまい」の言は、「百六箇抄」が大石寺9世日有の偽作であることを暗示していると言えよう。しかし堀日亨が、「百六箇抄」全文を偽書だと認めてしまっては、「戒壇の大本尊」や「日蓮本仏義」「唯授一人血脈相承」を説いている重要な文書が消えてなくなってしまう。だからそういうわけにはいかないから、「部分的に後人の註釈」があるなどと、言い訳をしているわけである。まがりなりにも政府に認証された宗教法人として、こんなひどい欺瞞はあるまい。 日蓮正宗も創価学会も「百六箇抄」が全文偽書だと認めるべきである。

付言しておくが、「後加」「後人の註釈」だけども、日蓮正宗にとって都合が悪くない部分には一線、日蓮正宗にとって都合が悪い部分には二線を引くというふうにした振り分けは、あくまでも堀日亨の「百六箇抄」偽作を隠蔽しようとする、ごまかし解釈であり、「アンチ日蓮正宗」がそれをそのまま認めているのではない。「百六箇抄」の真偽を検証するに当たっては、このような堀日亨の欺瞞的な一線・二線引きの解釈をまずは白紙に戻し、最初からスタートさせるべきである。よって、この「百六箇抄」の真偽をまじめに検証しようという方々は、堀日亨の欺瞞的な一線・二線引きの解釈をまずは頭の中から取り払っていただき、全くの白紙の状態からスタートすべきである。

百六箇抄1
 

(1936(昭和11)堀日亨編纂『富士宗学要集』に載っている「百六箇抄」)

百六箇抄1


百六箇抄2


百六箇抄3


百六箇抄4


百六箇抄5


百六箇抄6(富士山本門寺本堂)


百六箇抄7(日興嫡嫡相承本堂正本尊)



百六箇抄8(十万貫・日目大導師)


百六箇抄9(末文)

(堀日亨編纂『富士宗学要集』に載っている「百六箇抄」全文)