■検証66・大石寺「戒壇の大本尊」なる板本尊の原型は禅宗の本位牌・寺位牌か2

 

□鎌倉時代に日本に伝来した本位牌・寺位牌とそっくりな日蓮正宗の板本尊・「戒壇の大本尊」2

 

位牌とは、どこで生まれ、どのようにして日本に伝来したものなのか。

禅僧義堂周信の日記「空華日工集」巻1・応安四年(1371)十二月三十日の条によれば、「位牌古無有也 自宋以来有之」とあって、位牌は中国の宋の時代から存在していることが記されている。

中国の禅宗は、強力な王権の下で教団の伸展をはかるため、皇帝の聖寿万歳を祈願し、元朝禅刹三牌式なるものが生れて、中央に皇帝万歳、左に皇后斉年、右に太子千秋の牌を仏殿本尊前に並置した。

宋の儒学者・朱熹の「朱子語類」には、先祖の廟に合祀するには、祖先の傍、西辺に位牌を置くとしている。宋代の禅僧の書物によると、亡者を入棺して三日後、講堂の須弥壇に移して、亡者の法名を記した位牌を祭の席に安置している。

こうした座禅が、栄西、道元によって日本に伝えられ、日本の臨済宗・曹洞宗の側も、自門の経営上、従来から他宗では見られなかった葬法に力点を置いた。その結果、中国の禅宗の皇帝牌のようなものが、日本で位牌となり、僧俗の間で使用され、やがてこれが他宗にも波及して使われるようになったというのが、一般的な通説である。

栄西(11411215)が、中国から禅宗を伝えたのは建久2年(1191年)。『興禅護国論』を執筆したのが建久9年(1198年)。源頼家の外護により京都に建仁寺を建立したのが建仁2年(1202年)。

道元(12001253)が、中国から禅宗を伝えたのは安貞2年(1228年)。永平寺を開創したのが寛元2年(1244年)である。

ただし位牌とは、寺院にあっては開山・開基のものをはじめ歴代住職のものを保存しているであろうが、年々寺院には位牌が増えていくため、一般的には重要な位牌のみが残ることになる。

又、寺院では檀家から不要になった位牌を引き受けるため、一応は供養した上で焚き上げる。この結果、研究上の資料としての位牌は、数量的には全く恵まれないことになってしまう。

また残存資料として残った位牌は、重要な人物のもので階層的には偏している傾向もある。

さらに位牌に記載されている年代は、寂年月日は記載されているが、造立年代は記録されていない場合が多い。

日本における位牌の最古の日付が入ったものは、鎌倉時代末の元亨三年(1323)のものがある。これは記載されている戒名も同時期のものと鑑定されているが、残念ながら頭部・台座を欠失している。こういった状況からすると、すでに栄西によって1191年に、道元によって1228年に禅宗が日本に伝来しているので、1200年代半ばには、位牌が日本で使われていたと考えられる。

したがって、1300年代以降において、日蓮宗や富士門流などの寺院で、板本尊・板曼荼羅が造立されるようになっていったのは、確実に、禅宗がもたらした位牌の影響であるということが言える。

永平寺64位牌堂板位牌


永平寺66位牌堂板位牌
 

(福井・永平寺位牌堂にある板位牌)

永平寺62位牌堂寺位牌
 

(福井永平寺位牌堂にある寺位牌)

 

 

□中国から日本に伝来した板位牌・寺位牌を元に「戒壇の大本尊」を偽作した大石寺9世日有

 

日蓮宗・日蓮一門で板本尊を最初に造立したのは日蓮正宗大石寺9世法主日有ではなく、日有以前から、日蓮宗にも富士門流にも「板本尊」は存在していた。日有以前の板本尊を見てみると

1300(正安2)12月 身延山久遠寺2世日向の板本尊

脇書に「右日蓮幽霊成仏得道乃至衆生平等利益の為に之を造立す」とある。

1354(文和3)118日 保田妙本寺の板本尊

願主は保田妙本寺5代貫首・日伝で、本尊に書いてある名前は日伝に改名する前の日賢。これは1344(康永3)8月の日郷本尊の模刻。

1370(応永3)2月 中山法華経寺3世日祐造立の板本尊

1402(応永9)828日 成田市妙福寺の板本尊

1419(応永26)2月 八日市場・円静寺の板本尊

1419(応永26)8月 保田妙本寺の板本尊

このように関東・甲信地方の日蓮宗・富士門流の寺院には、鎌倉時代末期から室町時代にかけてのころに造立された板本尊がいくつも存在している。日有は「戒壇の大本尊」を偽作するに当たって、これらの板本尊を原型モデルにはしなかった。それはこれらの板本尊の出来映えがあまり良くないからである。

又、関東・甲信地方の日蓮宗・富士門流の寺院の板本尊をモデルにして「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作したとしても、モデルにしたことが他に露見して、偽作がバレてしまう可能性が高くなる。そうなると、大石寺は日蓮一門の総本山になるどころか、大石寺の信用は地に落ちて失墜し、大石寺門流が崩壊してしまいかねない。

そこで日有は、関東・甲信地方の日蓮宗・富士門流の寺院の板本尊をモデルにせず、京都・奈良の南都六宗・八宗の化儀をモデルにして、鎌倉時代に禅宗とともに中国から日本に伝来した板位牌・寺位牌を元にして「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作する道を選んだ、と言えよう。

戒壇大本尊1大正4年由井本1
 

(大石寺の『戒壇の大本尊』)

永平寺5


永平寺7
 

(福井永平寺)

総持寺別院14
 

(能登総持寺祖院)