□「毒をもって毒を制す」思想は「アンチ日蓮正宗」の基本指針・基本政策ではない

 

「日蓮正宗、創価学会、顕正会などの『日蓮正宗系』団体を潰すために他宗派と連合すればいいではないか」「創価学会、顕正会と連合して日蓮正宗を潰せばいいではないか」「なぜ富士門流の寺院、富士門流の信徒、富士門流執着軍団と連合しないのか」

こんなご意見をいただくことがあります。が、はっきり言っておかなければならないことがあります。

それは、「アンチ日蓮正宗」は単なる数合わせの政治的野合・連合体をめざすものではない、ということ。そして「毒をもって毒を制す」という思想は「アンチ日蓮正宗」の基本指針・基本政策ではない、ということである。よって、「アンチ日蓮正宗」が創価学会、顕正会、正信会と連合したり、政治的な野合をするということは、絶対にあり得ない。又、富士門流の寺院、富士門流の信徒、富士門流執着軍団、他宗派と連合したり、政治的な野合をするということも、絶対にあり得ない。

日蓮正宗も創価学会、顕正会、正信会も、富士門流執着軍団も言わば宗教的「毒」であり、それらの宗教的「毒」をもって「毒を制す」ということは、絶対にあり得ないのである。

こういった政治的連合論、政治的野合論を言う人は、根本的に見誤っていることがある。

それは、第一に、「アンチ日蓮正宗」の活動が、単なるケンカや紛争、戦争等と同じものだと勘違いしていることである。創価学会、顕正会、正信会との連合を説く人、富士門流の寺院、富士門流の信徒、富士門流執着軍団、他宗派との連合を説く人は、その典型と言えよう。つまり政治的に、あるいは数の力、政治の力、政治的圧力等によって日蓮正宗を潰す、創価学会、顕正会、正信会を潰すという思想は、誤った思想である。「アンチ日蓮正宗」は、「日蓮正宗系」団体が潰れることには賛成するが、政治的、数の力、政治の力、政治的圧力等によって「日蓮正宗系」団体を潰そうとしているのではない。仮に日蓮正宗をはじめ「日蓮正宗系」団体が潰れたとしても、それだけで「日蓮正宗系」団体がまき散らしてきた諸問題が解決するとは認識していない。

そもそも「アンチ日蓮正宗」の活動は、単なるケンカや紛争、戦争等と同じものではない。「アンチ日蓮正宗」のメインテーマとして、すでに掲げているが、大きなポイントは、ケンカや紛争、戦争などではなく、「心の問題」である。「日蓮正宗系」団体の現役信者や元信者の人たちに対しては、「心の解放」「心のケア」、「日蓮正宗系」団体といかに闘っていくのかという視点で言えば、「反日蓮正宗・反創価学会・反顕正会で人心を一結させる」ということである。これは政治的、数の力、政治の力、政治的圧力等によって「日蓮正宗系」団体を潰すという意味ではない。ここの意味を勘違いしないでいただきたい。

「数」という問題で言えば、「アンチ日蓮正宗」は、日蓮正宗、創価学会、顕正会、正信会等の「日蓮正宗系」団体から離檀・脱会する人が増加することには賛成するし、「日蓮正宗系」団体から離檀・脱会したいという人、「日蓮正宗系」団体から離檀・脱会した人のケアを支援もしますが、これと政治的、数の力、政治の力、政治的圧力等によって「日蓮正宗系」団体を潰すということは、全く別のことであり、別次元のこと。同一のものではない。

 

 

単なる数合わせの政治的野合・連合体は、適格な「日蓮正宗系」団体批判を生まないことは、過去の歴史が証明しているのである。

1970年代、言論問題で創価学会批判が沸騰した時、創価学会から脱会したむ信者が「創価学会対策連盟」(創対連)を結成。これに「戒壇本尊偽作説」「万年救護本尊本懐説」を唱えて正本堂御供養金返還訴訟を起こしていた松本勝弥氏らのグループが合流。保田妙本寺・鎌倉日桜貫首を取り込んで、保田妙本寺を反大石寺、反創価学会の拠点にしようとしたことがあった。これに日蓮正宗・創価学会は謀略で対抗。山崎正友氏が率いる山崎師団が保田妙本寺を盗聴、池田大作が保田妙本寺本堂・客殿修復を寄進、大石寺66世細井日達法主は鎌倉日桜貫首を能化に補任して、鎌倉日桜が完全に日蓮正宗側に取り込まれ、創対連は解散。万年講も法華経讃仰会もちりじりバラバラ。松本勝弥氏は裁判に実質敗訴して西山本門寺僧になり、反大石寺、反創価学会の活動はここに完全頓挫してしまった。

1980年代、正信会が「創価学会の社会的不正を糾す会」等を立ち上げ、マスコミ、メディア、評論家、ジャーナリスト、他宗派を糾合して創価学会批判活動を展開したことがあった。彼らは創価学会批判を行っていく「作戦」として、世間マスコミの創価学会・公明党批判に迎合する路線をとった。国会議員に対して創価学会・公明党批判・池田大作喚問を行うよう請願行動を行ったり、内藤国夫氏ら創価学会批判活動を行うジャーナリストを全国檀徒新聞「継命」に登場させた。しかし、正信会僧がほとんど日蓮正宗から破門されたこともあり、尻つぼみになって失敗に終わった。

1990年代は、日蓮正宗と創価学会の宗創戦争で、創価学会を脱会して法華講に入った信者が中心になり、「創価学会による被害者の会」を設立。機関紙「自由の砦」を発刊。これも世間の評論家、メディア、ジャーナリストから創価学会から脱会した信者を糾合する運動を展開していた。ジャーナリスト・内藤国夫氏らは、「反創価学会勢力を糾合させるという長年の念願が適った」と、大喜びしていたくらいであった。ところがこれがその後、どうなったのか。

「創価学会による被害者の会」そのものは、今や妙観講の講員らによって完全に占拠され、実質的に妙観講の支配下にあると言っても過言ではない。「創価学会による被害者の会」機関紙「自由の砦」の記事の中身は、かなりの部分で日蓮正宗謀略機関紙「慧妙」の記事の中身と、かぶっている。そして今や、宗創戦争後の日蓮正宗による創価学会批判の先兵役になりはてている。

こういう醜態は、世間の評論家、メディア、ジャーナリストから呆れられ、愛想を尽かされている。

日蓮正宗僧や法華講員は、かつて正信覚醒運動が行ったのと同じように、世間・マスコミに迎合して創価学会批判をしようと、四月会、民主政治を考える会等に参加。かつて正信覚醒運動が行ったのと同じように国会議員に請願活動を行った。しかも彼らの政治家迎合・マスコミ迎合路線は、1995年の宗教法人法改正問題の時に、池田大作国会参考人招致を企図して失敗し、さらに1999年の自民党・公明党の「自公連立」で完全に頓挫してしまう。

これらの歴史は、日蓮正宗や日蓮正宗の分派と連合する路線、数の政治的野合を目指す路線がことごとく失敗に終わった事例である。これらの失敗、彼らの失態の二の舞をやるべきではないのである。

アンチ日蓮正宗4