■検証251・鎌倉時代・小氷期の極寒地獄の身延山に自生の楠木はなかった1

 

身延山久遠寺には祖師堂前に明治8年の大火災以降に植樹された楠木が一本あるだけ

 

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(日蓮正宗謀略機関紙『慧妙』の妄説)

「楠(くすのき)が生育する適地は、暖温帯湿潤気候の、標高500メートル以下の場所であるが、山梨県甲府市から身延を通って駿河湾に流れる富士川の沿線は、まさに、この暖温帯湿潤気候に属しており、また日蓮大聖人がお住まいになった草庵(身延山久遠寺)は標高300数十メートルの地である」

「そして事実、今日でも身延には、楠が生育しているのである。 例えば、身延の入り口にある日蓮宗大野山本遠寺の境内には、町で天然記念物と指定された巨木(通称「大楠」)をはじめ、複数の楠が生えているし、他ならぬ身延山久遠寺の本堂付近にも、楠の大木が何本も生育しているではないか。 これをもって『身延に楠は生育せず』との疑難は根底から崩壊している、といえよう。」

(平成17516日付け日蓮正宗謀略機関紙『慧妙』)。

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身延山久遠寺や大野山本遠寺に楠木が繁茂しているかどうかは、実際に現地に行って調査してみれば判ることだ。「アンチ日蓮正宗」では、実際に身延山久遠寺や大野山本遠寺へ行って調査・取材をした。

まず第一に、身延山久遠寺周辺の楠木は、というと、身延山久遠寺の祖師堂前に大きな楠木が一本あるだけなのである。身延山久遠寺の僧侶に確認したところでも、身延山久遠寺山中にある楠木は、祖師堂前にある一本だけとの回答を得ている。 これ以外に楠木はないという。

第二に、現在の身延山久遠寺の本堂・祖師堂・真骨堂などの堂宇・伽藍が建っている場所は、日蓮が生きていた時代からの場所なのではなく、1474(文明6)年に身延山久遠寺11世法主・行学院日朝の時に、西谷の日蓮草庵跡にあった久遠寺の堂宇を、現在の地を開墾して移転し、堂宇・伽藍を新築したものである。であるならばなおさらのこと、祖師堂前の楠木は、日蓮在世の時代の楠木のはずがないではないか。

第三に、身延山久遠寺は1875(明治8)年の大火をはじめ、何度か火災に見舞われて伽藍を焼失している。特に1875(明治8)年の大火はひどく、本堂、祖師堂、五重塔等々、全山の堂宇・伽藍をことごとく焼失してしまったほどの大火災であった。であるならば、現在の身延山久遠寺の祖師堂前にある楠木は、身延山久遠寺の1875(明治8)年の火災以降において、植樹された楠木であることが明らかである

身延山久遠寺の楠木4
身延山久遠寺の楠木4
 

 

12001900年 の約700年間は日本ないし北半球は「鎌倉・江戸小氷期」だった

 

12001900年くらいの約700年間、日本をはじめとする北半球は、「鎌倉・江戸小氷期」と呼ばれる寒冷期だったのであり、身延山周辺は、楠木の自生地域からは完全にはずれていた。

中世の小氷期の研究は、何も今に始まったわけではなく、ずいぶん前から日本、中国、アメリカ、ヨーロッパ等の気候学者・歴史学者等々の中で行われてきており、さまざまな著書や論文等で一般に発表されている。

「太陽黒点が語る文明史・小氷河期と近代の成立」の著者・桜井邦明氏は次のように書いている。

「西ヨーロッパでは、全体としてみると、14世紀の開始前後から気温が下がりはじめ、19世紀初め頃になって、やっと現在とほとんど同様の状態にまで回復している」

「平均気温でみて、現在と比べてせいぜいセ氏1度しか低くなっていないことに注意していただきたい。これくらいの気温の低下で、氷河期に入ってしまっているのである」

(『太陽黒点が語る文明史・小氷河期と近代の成立』p10)

14世紀から19世紀初めまで平均気温がセ氏1度前後低かったという説を唱えている。

『太陽黒点が語る文明史・小氷河期と近代の成立』p12では、中国の気象学者・竺可楨が、中国の古記録から推定した5世紀から20世紀に至る気温の経年変化グラフを載せている。これによると北宋・南宋時代から気温が下がりはじめ、12世紀から17世紀ころまで、現在の気温に比べてセ氏2度低くなっていることがわかる。「小氷期と異常気象・地球は寒くなるか」の著者・土屋巌氏も1973年に中国の気象学者・竺可楨が発表した最近1700年の世界の温度推移として、雪の日付、河川の結氷、鳥の渡り、植物の開花、発芽という現象からとった中国の温度推移と、グリーンランドの氷河の氷柱から得た温度推移のグラフを載せている。

中国では12世紀から17世紀ころまで、現在の気温に比べてセ氏2度低くなっており、グリーンランドでも12世紀から18世紀ころまで、現在の気温に比べてセ氏1度低くなっていることがわかる。

中世・近世にあった小氷期をはじめとする、地球の小氷期の研究は何も日本だけではなく、中国、アメリカ、ヨーロッパの学者の間で広く研究され、発表されている。特に中国の学者が12世紀から17世紀ころまで、現在の気温に比べてセ氏2度低くなっている小氷期説を唱えていること。

さらに日本の学者も13世紀に入ると日本付近における気温の低下が始まっている小氷期説を唱えていることは注目に値する。

最近では、地球温暖化問題や小氷期のことでよく引用されている専修人文論文集51巻にある坂口豊 論文で注目すべきは、12001900年 の約700年間を「 鎌倉・江戸小氷期」という、いわば小氷河期に位置づけていることである。小氷期(しょうひょうき)とは、14世紀半ばから19世紀半ばにかけて続いた寒冷な期間のことである。小氷河時代ともいう。

つまり日蓮(12221282)在世の鎌倉時代からすでに日本の気温低下が起こっており、日蓮在世の鎌倉時代の日本は、すでに小氷期で、現在の平均気温よりセ氏12度低くなっていた、ということである。地球温暖化の今ですら自生の楠木がない身延山に、「小氷期」だった時代、自生の楠木が存在しなかったことは、明白である。

雪の上越線1

雪の北北線70
雪の北北線70