■検証69大石寺9世法主日有が京都仏教寺院から輸入した化儀・秘仏1

 

日蓮の本尊や化儀に「秘仏」ないしは秘仏にしなければならない本尊は全くない

 

日蓮正宗大石寺の化儀の中で、大石寺9世日有の京都天奏により、京都の仏教寺院の影響もしくは京都仏教寺院から採り入れたもの・輸入したものと思われるものは、それこそ多数ある。まずひとつめは「秘仏」という化儀である。

秘仏(ひぶつ)とは、信仰上の理由により非公開とされ、厨子などの扉が普段は閉じられたまま祀られる本尊や仏像のことである。仏教寺院では、仏堂の扉を開いた際に本尊・仏像が見えるように祀るのが本来であるが、「秘仏」は開帳以外の時は厨子の扉を閉じたまま祀られている。

日蓮正宗では「秘仏」という言葉こそ公式には使わないものの、しかしその日蓮正宗は、大石寺奉安堂に格蔵している「戒壇の大本尊」なる板本尊を、「広宣流布の暁まで蔵の中に秘蔵する御本尊で、篤信の信徒の願いがあれば、法主が特別に内拝を許している」と言っているが、まさにこれが秘仏という化儀である。

日本の仏教各宗各派の秘仏には、全く公開されない「絶対の秘仏」も一部にあるが、特定の日に限って公開(「御開帳」「御開扉」などと称する)を行うことが多い。日蓮正宗でも、「戒壇の大本尊」なる板本尊を奉安堂にて公開し、大石寺に登山参詣に来た信者に内拝させることを「御開扉」(ごかいひ)と呼んでいる。

「秘仏」の発生時期や要因については本格的な研究が進んでおらず、確かなことはわかっていないが、少なくとも京都・広隆寺の資財についての記録である「広隆寺資財交替実録帳」(寛平2年・890年頃成立)には、同寺金堂本尊の「霊験薬師仏」が鍵のかかる「内殿」に安置されていたことが明記され、この薬師像が遅くとも9世紀末には秘仏扱いされていたことを伺わせる。

秘仏の発生には神道の神社からの影響があるものとする説もある。神社の本殿の扉もまた、普段は閉じられており、特定の祭祀の時にのみ扉が開かれる場合があるからである。

秘仏を有する寺院は真言宗系、天台宗系に比較的多く、密教寺院の本尊とされることが多い薬師如来や、観音菩薩、十一面観音、千手観音、如意輪観音、不動明王などが秘仏とされることが多いことから、密教との関連も指摘されている。

(フリー百科事典・Wikipedia「秘仏」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%98%E4%BB%8F)

宗派別では、真言宗および天台宗の寺院に本尊を秘仏とするところが比較的多い。

天台宗系の主要寺院では、延暦寺根本中堂本尊の薬師如来像、同寺西塔釈迦堂本尊の釈迦如来像、園城寺(三井寺)金堂本尊の弥勒菩薩像、同寺観音堂本尊の如意輪観音像などはいずれも秘仏で、他にも和歌山県紀の川市の粉河寺・千手観音像、兵庫県加西市の一乗寺・千手観音像がある。

 

 

東京・浅草の浅草寺本堂の聖観世音菩薩像も秘仏で、元々、浅草寺は天台宗の寺院であった。

浄土教系、禅宗系の寺院には秘仏は比較的少ないが、ただし、これらの宗派に秘仏が皆無というわけではなく、たとえば浄土宗大本山の増上寺(東京都港区)安国殿本尊の阿弥陀如来像(通称黒本尊)は秘仏である。

絶対秘仏で有名なのは、長野善光寺の善光寺如来(一光三尊阿弥陀如来)像である。善光寺本堂の内々陣の須弥壇を見ると、戸帳が降りていて中は見えない。「お朝事」と呼ばれる朝の勤行のときに、戸帳が上がり、本尊が格蔵されている宮殿を拝することはできるが、本尊の善光寺如来(一光三尊阿弥陀如来)像は、絶対秘仏であるために拝することはできない。

善光寺如来(一光三尊阿弥陀如来)像は、欽明天皇13(552)に百済から日本に渡来した日本最古の仏像と伝承されている。その後、善光寺如来は、紆余曲折を経て推古天皇の命により本田善光の手で初め飯田市に、次いで皇極天皇元年(642)に現在地に遷座したと伝承する。初めに遷座したとされる場所には「元善光寺」が現在も残っている。善光寺は、皇極天皇3(644)に、皇極天皇の勅願によって創建されたと伝承する。善光寺如来(一光三尊阿弥陀如来)像は絶対秘仏だが、数え年の7年に1(今の数え方で6年に1)、金銅阿弥陀如来及両脇侍立像(前立本尊)が絶対秘仏の本尊の分身として御開帳される。内々陣を見ると導師席、僧侶席の経机が須弥壇中央から見て左側に寄っている。これは須弥壇に向かって左側に絶対秘仏の宮殿があるからだと思われる。善光寺の前立本尊は、普段は天台宗大勧進に格蔵されていて、御開帳の時に大勧進から本堂に遷座する。

日蓮宗系の寺院においても、秘仏というのは比較的少ない。が、全くないわけではない。

東京・池上・妙見堂の妙法菩薩立像、東京・堀之内・妙法寺祖師堂の日蓮像などがそうですが、ただしこういったものは後世に出来上がったもので、日蓮の時代からあったものではない。

日興門流、富士門流においては、大石寺以外の七本山寺院に「秘仏」という化儀は存在しない。敢えて「秘仏」に近いものを挙げるとすれば、北山本門寺御影堂や京都・要法寺本堂の中心本尊「称徳符法の本尊」があるくらいである。

要法寺の中心本尊である「称徳符法の本尊」は、紙幅の曼荼羅を宝蔵に格蔵し、模写彫刻したレプリカ板本尊を本堂に祀る。いわばレプリカ板本尊を他宗の前立本尊のように祀っている。現在の要法寺本堂は、「称徳符法の本尊」ないしはそのレプリカ板本尊ではなく、日興の曼荼羅本尊を祀っている。要法寺の「称徳符法の本尊」は、大石寺9世日有在世の室町時代はもちろん、戦国・安土桃山時代にも存在しておらず、要法寺が大漫荼羅本尊を祀るようになった江戸時代中期以降に偽作された曼荼羅である。こういった事例があるが、そもそも日蓮の定めた本尊や化儀に「秘仏」というもの、秘仏にしなければならない本尊は全くない。もっとも「戒壇の大本尊」なる板本尊そのものが、大石寺9世日有が偽作したものであるから、「秘仏」という化儀は、大石寺9世日有がどこからか輸入したものであるということになる。

善光寺18
 

(善光寺本堂)