■検証21・昔も今も身延山に自生の楠木はない16

 

12001900年 の約700年間は「鎌倉・江戸小氷期」だった日本2

 

日本でも温室効果ガス等の人為的由来の要因以外の自然由来の要因による地球温暖化を取り上げている学者の論文はけっこう多数在り、最近では、地球温暖化問題や小氷期のことでよく引用されている専修人文論文集51巻にある坂口豊 論文がある。これから表「花粉分析から示される最近8千年間の温暖期と寒冷期」があり、これには次のようにある。


坂口論文2

 

この中で注目すべきは、12001900年 の約700年間を「 鎌倉・江戸小氷期」という、いわば小氷河期に位置づけていることである。小氷期(しょうひょうき)とは、14世紀半ばから19世紀半ばにかけて続いた寒冷な期間のことである。小氷河時代ともいう。

「小氷期」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B0%B7%E6%9C%9F

 


小氷期2


小氷期の間、世界の多くの場所で厳冬がもたらされたが最も詳細な記録が残っているのはヨーロッパと北アメリカである。17世紀半ば、スイス・アルプスの氷河は徐々にその版図を低地へと広げ谷筋に広がる農場を飲み込み村全体を押し潰していった。氷河が河川を塞き止め、決壊による洪水に襲われた村も多い。テムズ川やオランダの運河・河川では一冬の間完全に凍結する光景が頻繁に見られ、人々はスケートや氷上縁日(フロスト・フェアー)に興じている。1780年の冬にはニューヨーク湾が凍結し、マンハッタンからスタッテンアイランドへ歩いて渡ることが可能であった。アイスランドでは海氷が何マイルにもわたって島を取り囲んで長期間に渡って港湾を封鎖し、漁業や交易に打撃を与えた。

この厳冬の到来は、大なり小なり人々の生活に影響を与えている。飢饉が頻繁に発生するようになり(1315年には150万人もの餓死者を記録)、疾病による死者も増加した。アイスランドの人口は半分に減少し、グリーンランドのバイキング植民地は全滅の憂き目を見た。小氷期の影響は、この時代の芸術にも見ることができる。例えば、フランドルの画家ピーター・ブリューゲルは往時の村落を多岐に描いているがその多くは雪に覆われた風景を呈している。

 

日本においても東日本を中心に、長禄・寛正の飢饉 (1459-1461)、寛永の大飢饉、享保の大飢饉、天明の大飢饉、天保の大飢饉等々、たびたび飢饉が発生し、これを原因とする農村での一揆の頻発は江戸幕藩体制の崩壊の一因となった。


小氷期1

 

この500700年のサイクルで、温暖期と寒冷期が入れ替わり立ち替わりにやってくるという説は、私も、身延町教育委員会で取材したときに、職員から、植物学者の説として聞いている。したがって、この温暖期・寒冷期サイクル説は、奇抜な少数説・奇説ではないと考える。

地球温暖化には、温室効果ガス等による人為的要因の他に、太陽の黒点活動、温暖期と寒冷期のサイクル等の自然要因の二つがある。これにより、日本をはじめとする北半球は、12001900年ころは「鎌倉・江戸小氷期」と呼ばれる小氷河期・寒冷期だった、ということである。