■検証22・昔も今も身延山に自生の楠木はない17

 

鎌倉時代の身延山が「小氷期」だったことを裏付ける日蓮の遺文(御書)の文1

 

日本の学者の説でも12001900年 の約700年間を「 鎌倉・江戸小氷期」という、いわば小氷河期に位置づけているが、これを裏付ける記述が、実は、日蓮の遺文(御書)にある。

日蓮57才の時に書いた「兵衛志殿御返事」(弘安元年1129)では

「雪かたくなる事金剛のごとし。今に消ゆる事なし。昼も夜も寒く冷たく候事、法にすぎて候。酒は凍りて石のごとし。油は金に似たり。鍋・釜に小水あれば凍りて割れ、寒いよいよ重なり候へば、着物うすく、食乏しくして、さしいづるものもなし」・・・・(御書全集p1294)

雪・金剛・紅蓮
 

「坊は半作にて、風、雪たまらず、敷物はなし。木はさしいづるものもなければ火もたかず。古き垢づきなんどして候、小袖一つ着たるものは、其の身の色、紅蓮・大紅蓮のごとし。声は波々大波々地獄にことならず。手足寒じて切れさけ人死ぬことかぎりなし」 (御書全集p1295)

紅蓮・大紅蓮
 

さらに日蓮58才の時には「上野殿御返事」(弘安21227)の中で次のように述べている。

「・・・五尺の雪ふりて本よりも通わぬ山道ふさがり、訪いくる人もなし。衣も薄くて寒ふせぎがたし。食たへて命すでに終はりなんとす・・・」(御書全集p1437)

五尺の雪・命終2
 

日蓮の草庵跡がある身延山の西谷は、現在、「五尺の雪」どころか、降雪そのものがあることは、非常にまれである。五尺とは、約1メートル50センチにもなり、こんな大雪は、今では新潟、東北、北海道の豪雪地帯の山間部にでもいかないと、あり得ない大雪である。もちろん、今の身延山の西谷に、こんな豪雪が降ることはない。

「アンチ日蓮正宗vs日蓮正宗」の議論で

「否、日蓮は大げさに言っているのであり、話半分以下で解釈すべきだ」

と弁解した人がいたが、仮に三分の一としても降雪は50センチということになる。身延町教育委員会職員の証言によれば、今の身延町・身延山久遠寺の西谷に50センチの降雪があることは、めったにないという。また日蓮は、低温ぶりを「紅蓮地獄か、大紅蓮地獄のようだ」と言い、「手足寒じて切れさけ人死ぬ」とは、凍傷による死傷のことと思われる。凍傷による死傷は、状況にも依るが、氷点下のかなり低い気温であったのではないかと推定される。今の身延山の冬で、凍傷による死傷者が出たとは、聞いたことがない。

 

 

したがって、これらの日蓮の遺文(御書)の文は、学者の説である、12001900年 の約700年間が「鎌倉・江戸小氷期」だったこと。なかんずく鎌倉時代の身延山がまさに「鎌倉・江戸小氷期」だったことを裏付けるものではないか。そういうことになると、少なくとも鎌倉時代から比べて、現代の身延山の気温は明らかに上昇していると言えるわけで、そうであれば、

「現在のところ、暖地性植物の生息域と温帯性植物の生息域の中間点は身延山周辺にあるけれども、地球温暖化がはじまる以前においては、現在よりももっと南側にあった」

という、身延町教育委員会で仕事をする植物学者の説は、まことに的を得て居るではないか。

ならば必然的に、普通に「昔も今も身延山に自生の楠木は存在しない」という結論が、ごく自然に導き出せると言えよう。