■検証25・昔も今も身延山に自生の楠木はない20

 

□今の身延山の楠木は日蓮在世当時から生き残る楠木ではない

 

それから自称・中立「日蓮宗?」は、ネットで鳥のフン説なるものを見つけて、狂喜して?得意気に書いていたが、私は、というと、すでに述べていますが、身延山久遠寺まで、楠木の実地調査に行って確認してきています。それで現地で確認したところ、現在の身延山久遠寺にある楠木は、祖師堂前(というか広場をはさんで向かい側の)にある楠木一本だけ。もし身延山に、楠の種入りのフンを鳥が落としたという可能性があるというなら、身延山久遠寺に楠木が一本しかないわけがない。それこそ、身延山久遠寺周辺に楠木が何本、何十本と群生していても、おかしくないではないか。 しかしそのような事実は全くない。それから自称・中立「日蓮宗?」の言い方では、今の身延山久遠寺・祖師堂前にある一本の楠木が、あたかも日蓮在世の時代から生き残っているかのような言い方だが、これは誤りである。まず今の身延山久遠寺の本堂・祖師堂・報恩閣・仏殿・客殿・御真骨堂拝殿・開基堂がある所は、日蓮在世の時代からあったのではなく、1474(文明6)年、身延山久遠寺11世法主・行学院日朝の代に、身延山西谷にあった久遠寺の伽藍・諸堂を現在の地に移転したものであること。さらに身延山久遠寺は、1875(明治8)110日の大火災で、本堂・祖師堂をはじめとする諸堂・聖筆をはじめとする重宝類から身延山の森林等々を悉く焼失していること。

さらに科学的データに基づく身延町教育委員会の役職員の見解によれば

12001900年 の約700年間は『 鎌倉・江戸小氷期』という、いわば小氷河期だった」

「暖地性植物の生息域と温帯性植物の生息域の中間点は身延山周辺にあるけれども、地球温暖化がはじまる以前においては、現在よりももっと南側にあった」

「したがって、日蓮が生きていた時代である鎌倉時代においては、身延山周辺は楠木などの暖地性植物の生息域には入っていなかった」

ということである。であるならば、日蓮が生きていた時代に、身延山周辺には自生の楠木というものは、存在していなかったということ。 こういった身延町教育委員会の役職員の見解は、少なくとも、自称中立「日蓮宗?」の書き込みよりは、数倍、数十倍も説得力あるものだ。

自称・中立「日蓮宗?」なる者は、1474(文明6)年に身延山・西谷にあった久遠寺の伽藍・諸堂を現在の地に移転したということや、1875(明治8)110日の大火災で身延山久遠寺の堂宇・森林を悉く焼失したという身延山久遠寺の歴史について全く暗く

「今現在身延で、楠が枯れずに生えているのですから、身延の寒さにも楠は耐えられるということになりますね」

などと、あたかも身延山久遠寺祖師堂前の楠木が、あたかも日蓮在世の時代から存在していて、身延山の小氷期に耐えて生き残ってきたかのように書いているが、見当違いも甚だしい。

少なくとも、久遠寺祖師堂前の楠木は、1875(明治8)110日の大火災以降において、植林されたことが明らかである。よって久遠寺祖師堂前の楠木は、身延山の小氷期に耐えて生き残ってきたわけではないのである。

身延山久遠寺の楠木4