■検証263・鎌倉時代・小氷期の極寒地獄の身延山に自生の楠木はなかった13

 

今の身延山にある楠木が七百年前の身延山の楠木自生の証明だと強弁する「慧妙」

 

身延山周辺には身延周辺だけではなく、富士地方も含めて、自生の楠木は昔も今も存在していないということは、かなり前から様々な人が指摘していた。しかしこれでは日蓮正宗にとっては、はなはだ都合が悪い。鎌倉時代の身延山に楠木がなかったとなれば、大石寺の「戒壇の大本尊」は後世の室町以降の偽作ということの証拠のひとつに数えられる。これは日蓮正宗としては認めるわけにはいかない、ということだろう。「鎌倉時代の身延山には楠木がなかった」、という指摘に対して、日蓮正宗謀略機関紙『慧妙』は、性懲りもなく、すでに「アンチ日蓮正宗」によって完全論破されて廃棄説と化してしまっている「今の身延山にある楠木が七百年前の身延山の楠木自生の証明だ」を持ち出して来て、こんな妄説を書いている。

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(日蓮正宗謀略機関紙『慧妙』の妄説)

あるインターネットのホームページ(※アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログのこと)に、弘安二年の大御本尊を誹謗する内容の記事が掲載されていた。その中で目に付いたのが『鎌倉時代の身延には楠木は存在しなかった』として、素材が楠木で造立されている大御本尊を後世の偽作であるとする疑難であった。…だが、実際には、身延山久遠寺の境内には、楠木の大木が何本もあり、また、身延山の入り口に位置する大野山本遠寺には、町の天然記念物に指定された古木まで存在する。こうした事実から、少なくとも、“身延は寒冷の地であり、楠木は育たない”といった単純な疑難は、簡単に払拭されよう。

 (平成25(2013)316日付け『慧妙』/「第15回ネットに蔓延る邪義を破す」)

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□専門家は自生の楠木は身延山にはないと証言

 

「アンチ日蓮正宗」では、すでに身延山久遠寺や大野山本遠寺の楠木、関東甲信越地方、伊豆地方にある楠木、関西以西の西日本、四国、九州地方に繁茂・自生している楠木について、実際に現地に行って調査を重ねている。

まず身延山久遠寺周辺の楠木についてだが、身延山周辺には、自生の楠木は存在していない。地元の身延町森林組合の職員は身延山の楠木について、次のように証言している。

「身延山、富士地方に楠木というのは、聞いたことがありません。身延山には自生の楠木はないとみてよいでしょう」「現在、身延山にある楠木は、戦後、人工的に植えたものです」

つまり身延山に楠木はあることはあるが、それは七百年前からあるものではなく、第二次世界大戦後に、人工的に植樹したものだという。こんなものは当然のことながら大石寺の「戒壇の大本尊」が七百年前の日蓮の時代に造立された証拠になるわけがない。

 

 

□身延山久遠寺祖師堂前にある楠木は室町時代の伽藍移転の後に植樹されたものだ

 

現在の身延山久遠寺の堂宇・伽藍がある場所は、日蓮在世の時代からの場所なのではなく、1474(文明6)年に身延山久遠寺11世法主・行学院日朝の時に、西谷の日蓮草庵跡にあった久遠寺の堂宇を、現在の地を開墾して移転して、新たに新築したものである。

その新たに移転した場所に、樹齢が比較的新しい楠木が一本あるからといって、どうして日蓮が生きていた時代に楠木があったという証明になるのか。なるはずがないではないか。

否、むしろ身延山久遠寺の祖師堂前にある大きな楠木は、むしろ少なくとも、室町時代の身延山久遠寺の伽藍移転の後に植樹された楠木であるという証明になっているではないか。

 

□身延山久遠寺には祖師堂前に明治8年の大火災以降に植樹された楠木が一本あるだけ

 

身延山久遠寺や大野山本遠寺に楠木が繁茂しているかどうかは、実際に現地に行って調査してみれば判ることだ。「アンチ日蓮正宗」では、実際に身延山久遠寺や大野山本遠寺へ行って調査・取材をしてきている。

まず第一に、身延山久遠寺周辺の山林に生い茂っている木々は楠木ではなく、杉の木である。

楠木は、というと、身延山久遠寺の祖師堂前に大きな楠木が一本あるだけなのである。身延山久遠寺の僧侶に確認したところでも、身延山久遠寺山中にある楠木は、祖師堂前にある一本だけとの回答を得ている。 これ以外に楠木はないという。

第二に、現在の身延山久遠寺の本堂・祖師堂・真骨堂などの堂宇・伽藍が建っている場所は、日蓮が生きていた時代からの場所なのではなく、1474(文明6)年に身延山久遠寺11世法主・行学院日朝の時に、西谷の日蓮草庵跡にあった久遠寺の堂宇を、現在の地を開墾して移転し、堂宇・伽藍を新築したものである。であるならばなおさらのこと、祖師堂前の楠木は、日蓮が生きていた時代の楠木のはずがないではないか。

第三に、この久遠寺祖師堂前の楠木は、徳川時代初期に創建された大野山本遠寺の大楠木と比べて、明らかに樹木が細く、樹齢が古いものとは言えない。

第四に、身延山久遠寺は1875(明治8)年の大火をはじめ、何度か火災に見舞われて伽藍を焼失している。特に1875(明治8)年の大火はひどく、本堂、祖師堂、五重塔等々、全山の堂宇・伽藍をことごとく焼失してしまったほどの大火災であった。

であるならば、現在の身延山久遠寺の祖師堂前にある楠木は、身延山久遠寺の1875(明治8)年の火災以降において、植樹された楠木であることが明らかではないか。

身延山久遠寺の楠木4
 

(身延山久遠寺祖師堂前にある楠木)