■検証266・鎌倉時代・小氷期の極寒地獄の身延山に自生の楠木はなかった16

 

□鎌倉時代が「小氷期」だったことを裏付ける日蓮遺文について反論不能の洗脳法華講員

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(「アンチ日蓮正宗」に降伏宣言した龍神ひろしの妄言)

鎌倉時代は、小氷河期だから身延には、楠木は絶対存在しないと豪語してるのがいる。gooの質問で同じようなものがありました!下のURLは気候についてくわしくあります。鎌倉時代(1192-)は、古気候学の分野では中世温暖期というやや暖かい時代に属します。江戸時代は小氷期。

世界的に見て、中世温暖期の最盛期は810世紀ぐらい。小氷期が15世紀ころからとされています。アジア地域では、これらが、いつごろから始まったか、今と比べてどの程度暖かかったか、あるいは寒かったかということについては、細かいことはわかっていません。特に中世温暖期は、世界的に十分わかったとはいえません。ですから、ご質問に即して、例えば米の作柄指数が鎌倉時代や江戸時代がいくつぐらいだったかを推定することは現在のところ無理です。ただし、歴史的な事実や科学的な分析から知られている過去の気候変動に関することがらはいくつもあります。わかりやすいところでは、ヨーロッパではブドウの収穫日、日本では観桜記録や諏訪湖の結氷記録でしょうかね。気候変動の原因についてはよくわかっていませんが、小氷期は、マウンダー極小期と呼ばれる、太陽の活動レベルが低い時期にあたっています。こうした地球外の要因とあわせて、海洋や大気、氷河、植生など地球自体にも気候を変動させる要因は沢山あります。なにか原因を決め付けてあるような記述があればそれは、眉唾ですよ。…ネット検索したら、こういう質問があった。つまり、鎌倉時代は、小氷河期でなかったのである。現代のように観測データが存在していないので、難しい話しになる。だが、江戸時代の記録には、夏に江戸に雪が降った記録があるようだ。江戸時代は、今よりも寒かったようだ。今、身延にある天然記念物の楠木は、hide曰く、江戸時代である。小氷河期真っ只中に植えられた楠木が植えられたのであるから、鎌倉時代に無いと言えないのである。 (20130219日の龍神ひろし・楽天『自慰』ブログの日記)

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日蓮の遺文(御書)の文

「雪かたくなる事金剛のごとし。今に消ゆる事なし。昼も夜も寒く冷たく候事、法にすぎて候。酒は凍りて石のごとし。」・・・・(御書全集p1294)

「其の身の色、紅蓮・大紅蓮のごとし。声は波々大波々地獄にことならず。手足寒じて切れさけ人死ぬことかぎりなし」 (御書全集p1295)

「・・・五尺の雪ふりて本よりも通わぬ山道ふさがり、訪いくる人もなし。・・・」(御書全集p1437)

これらは、日蓮在世の時代の身延山の冬は、現代よりも、はるかに気温が低かったことを物語っている。最も寒い冬の12月の平均気温が3.5℃の現代の身延山では、「五尺の雪」つまり1メートル50センチになんなんとする積雪はないし、「手足寒じて切れさけ人死ぬ」つまり凍傷で人が死傷するなどということも、あり得ない。又、寒気と低温で酒が凍るということも、あり得ない。

 

 

□小氷期不確定説の物理学者が日蓮遺文を知っていれば「鎌倉時代・小氷期説」を支持していた

 

酒類に含まれるアルコール・エチルアルコールの氷点(凍る温度)は、マイナス114.5℃。

日本酒のアルコール度数は、約12~18%。焼酎で約25~45%。酒類は、水とエチルアルコール(エタノール)の混合物ですから、アルコールが多ければ多いほど凍りにくくなる。アルコール濃度15%の水溶液の凝固点は、マイナス7度ほどだという。さらに下記のウエブによれば

「シャリシャリのフローズン日本酒「みぞれ酒」を愉しむ方法」

http://pinkpeco.hatenablog.com/entry/2013/03/18/175232

「清酒は、通常-7℃から-10℃で凍るところをゆっくり静かに冷やすと -12℃から-15℃程度まで、液体状態を保つ。 この状態を「過冷却」と言い、ここにわずかな衝撃が加わると その衝撃をきっかけとしてお酒の分子が 次々と結びつき結晶化する。」

とある。日蓮は「酒は凍りて石のごとし」と言っているので、液体状態ではなく、もっと清酒が凝固していたと思われるので、少なくとも-15℃以下の日があったと考えられるわけである。そうすると今の山梨県南部地方の最低気温を見てみると

「最低気温のランキング」http://weather.time-j.net/Winter/Coldest

2010年 -5.6℃、2011年 -5.8℃ 2012年 -4.7℃となっている。つまり今の山梨県南部地方の最低気温の日でも、清酒が石のように凝固してしまうことはない。そこで現代日本の最低気温ランキングを見てみると、東北、北海道地方ばかりである。したがって、これらを照合すれば、日蓮在世の時代の日本、なかんずく身延山は間違いなく「小氷期」だったと考えられるのである。

つまり日蓮遺文の「雪かたくなる事金剛のごとし。今に消ゆる事なし。昼も夜も寒く冷たく候事、法にすぎて候。酒は凍りて石のごとし。」・・・・(御書全集p1294)

「其の身の色、紅蓮・大紅蓮のごとし。声は波々大波々地獄にことならず。手足寒じて切れさけ人死ぬことかぎりなし」 (御書全集p1295)

「・・・五尺の雪ふりて本よりも通わぬ山道ふさがり、訪いくる人もなし。・・・」(御書全集p1437)

これらの文は、鎌倉時代の身延山が小氷期だったことを裏付けているものに他ならない。

もちろん今の東北・北海道地方に、楠木は全く自生しておらず、このことからしても、鎌倉時代の身延山は、楠木の自生地域ではなかったことは明白である。龍神ひろしは、「鎌倉時代は「小氷期」と確定していない」とする一部の学者の説を持ち出そうとしているが、これらの学者は、日蓮の遺文の記述を知らないのである。したがってこれらの学者諸氏が、「雪かたくなる事金剛のごとし。今に消ゆる事なし。昼も夜も寒く冷たく候事、法にすぎて候。酒は凍りて石のごとし。」「其の身の色、紅蓮・大紅蓮のごとし。声は波々大波々地獄にことならず。手足寒じて切れさけ人死ぬことかぎりなし」「・・・五尺の雪ふりて本よりも通わぬ山道ふさがり、訪いくる人もなし。・・・」との日蓮遺文の文の存在を知ったならば、間違いなく「鎌倉時代・小氷期説」を支持することであろう。

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