■検証14・百六箇抄が偽書である証拠・日蓮日興相承の大ウソ8

 

□法主・管長以外の僧侶が「責任者」「導師」を務める法要・行事に法主は出仕してこない

 

---------------------------------------------------------

(法華講員・辻野けんゆう2gの妄説)

大聖人の御葬儀で日昭、日朗が前陣、後陣の責任者を務めたことは、教団における序列の上下を何ら示すものではない。

そもそも『御遷化記録』とは、いわば宗祖の葬礼についての報告書であります。世間一般においても、報告書というものは普通、現場の最高責任者が書くものではないのでしょうか。『御遷化記録』を書かれたのは日興上人ですから、まさしく日興上人こそが、前陣日朗、後陣日昭らに対して指揮命令の労を取り、御葬儀の一切を総覧されるお立場にあられたと拝せられるのです。

(かつてGREE「アンチ日蓮正宗」に居た日蓮正宗信者が掲示板に書いた書き込み)

-----------------------------------------------------------

 

もし、日蓮正宗の信者が言うように、日興が「葬儀の一切を総覧されるお立場」で、「前陣日朗、後陣日昭らに対して指揮命令の労を取」っていたならば、日興の名前は「御遷化記録」の中に、書いてないはずだ。それはつまりこういうことである。

「前陣日朗、後陣日昭」ということが「御遷化記録」に書いてあるということは、少なくとも日蓮の葬送は、日昭、日朗が仕切っていたということに他ならない。

なぜそういうふうに言えるのか。

ここで僧侶社会の序列・慣習・成り立ちが深く関わってくるのですが、法主・管長以外の僧侶が「責任者」「導師」を務める法要・行事には、法主は出仕して来ない。特にこれは、日蓮正宗においては、そうなっている。したがって、「日興・大導師」「前陣日朗、後陣日昭」だったならば、日蓮の葬送に、日興は出てこず、「御遷化記録」の中に、日興の名前はないはずなのである。

直近の例で言うと、1959(昭和34)12月の日蓮正宗大石寺65世堀米日淳法主遷化による法主葬儀の時の葬送の行列(お練り)では、前陣・後陣は末寺住職(宗務院役僧)が務めていて、日蓮正宗大石寺66世・細井日達法主は、葬儀の式場にいて、葬送の行列(お練り)には出仕していない。

同じように、1979(昭和54)8月の日蓮正宗大石寺66世細井日達法主遷化による法主葬儀の時の葬送の行列(お練り)でも同様に、前陣・後陣は末寺住職(宗務院役僧の藤本日潤総監・菅野慈雲庶務部長)が務めていて、日蓮正宗大石寺67世・阿部日顕法主は、葬儀の式場にいて、葬送の行列(お練り)には出仕していない。こんな感じである。

日達葬儀3
 

(大石寺66世細井日達法主の葬儀・昭和548月号『大白蓮華』より)

日達葬儀1
 

(大石寺66世細井日達法主の葬儀・昭和548月号『大白蓮華』より)

 

 

□日興が日蓮から「惣貫首」に任命されていたならば日蓮葬儀の大導師を勤めたはずだ

 

ところが、「御遷化記録」の記載では、「前陣日朗、後陣日昭」となっているのと同時に、日興は日蓮の棺桶の後陣左で行列に参列したことが書いてある。つまり日興は、日蓮の葬儀では、大導師でもなければ副導師でもなかった。日昭、日朗よりも葬列の法席が下位になっている。

日興が日蓮から「惣貫首」「本門弘通の大導師」「身延山久遠寺の別当」に任命されていたならば、「定」の最上位にランクされ、日蓮の葬儀の大導師を勤めたはずである。 しかも日興の法席が日昭、日朗の法席よりも下位になるなどということは絶対に有り得ない。

現代でも大石寺64世水谷日昇法主の隠退後、大石寺65世堀米日淳法主が選任され相承によって大石寺法主に登座しているが、大石寺64世水谷日昇の葬儀の大導師を勤めたのは、大石寺65世堀米日淳法主であって、法主よりも僧階が低い僧侶が大導師を勤めるなど、絶対にありえない。これと同じように大石寺65世堀米日淳法主の在世中に大石寺66世細井日達法主が決まっているが、大石寺65世堀米日淳の葬儀の大導師を勤めたのは、大石寺66世細井日達法主である。同じように大石寺66世細井日達の葬儀の大導師を勤めたのは、大石寺67世阿部日顕法主である。法主よりも僧階の低い僧侶が、前法主の葬儀の大導師を勤めるなど、絶対にあり得ないことだ。こういったことは、何も日蓮正宗に限った話しではない。

前法主、前貫首、前門主、前門首の葬儀の導師を勤めるのは、当代の法主、貫首、門主、門首、ないしは次代法主、貫首、門主、門首である。当代の法主、貫首、門主、門首、ないしは次代法主、貫首、門主、門首よりも僧階が低い僧侶が、前法主、前貫首、前門主、前門首の葬儀の導師を勤めるということは、絶対にあり得ない。これは仏教界の常識である。

つまり、「御遷化記録」の記述は、日興は「惣貫首」「本門弘通の大導師」でもなければ「身延山久遠寺の別当」でもなかったということを物語っているものに他ならない。つまりこれらの事実からして、この「定」の存在そのものが、日蓮・日興の代に「百六箇抄」なる文書が存在しなかった証拠になっているということに他ならないのである。

百六箇抄1
 

(1936(昭和11)堀日亨編纂『富士宗学要集』に載っている「百六箇抄」)

二箇相承3
 

(1970年刊『仏教哲学大辞典』に載っている『二箇相承』

2祖日興1
 

(日興)