■検証268・鎌倉時代・小氷期の極寒地獄の身延山に自生の楠木はなかった18

 

□五尺の雪・1メートル50センチの積雪がある現代の豪雪地帯に自生の楠木は存在しない

 

私の実家は北陸地方にあるので、東京から実家に行くときは、上越新幹線と特急はくたか号のルートをよく使う。私が子どもの頃は、それこそ毎年のように冬になると私の実家近辺でも、1メートルを超える積雪があった。冬になれば1メートルを超える積雪があるのは、当たり前の地域で育った。空がどんよりと曇り、何日もこんこんと雪が降る。冬になれば、北陸本線、七尾線、氷見線、城端線にラッセル機関車が走り、線路に積もる雪を除雪する。国道にもラッセル車が出て、除雪する。そうしないと、車が走れないのである。金沢市内や幹線道路にあるスプリンクラー式の融雪装置は、私の子どもの頃から、ありましたね。それから家の屋根の上にドッカリと雪が積もっていて、私の祖父や父親が、屋根の雪下ろしを行っていた。ところが1971(昭和46)年に家を新築して、屋根の斜面が急になり、屋根の雪下ろしをしなくてもすむようになった。

私が子どものころに、北陸地方で、昭和381月豪雪(三八豪雪)、四八豪雪(昭和48年豪雪)、

五二豪雪(昭和52年豪雪)とよばれる豪雪があり、私が東京に移り住んだ後にも、五六豪雪(昭和56年豪雪)、五九豪雪(昭和59年豪雪)、六一豪雪(昭和61年豪雪)、平成18年豪雪(〇六豪雪、一八豪雪)、平成23年豪雪(北陸豪雪)、平成25年豪雪があった。平成25年豪雪では、金沢発大阪行きの特急サンダーバード号が、豪雪で北陸トンネルから出られなくなり、トンネルの中で立ち往生する事件があった。ところが雪が嫌いで東京に住む私も、冬の季節に実家に帰るときには、雪が見てみたくなるもの。東京から上越新幹線に乗り、大清水トンネルを走り抜けて越後湯沢駅に到着すると、あたりは一面、雪の銀世界。というよりドッカリと大雪が積もっている。越後湯沢駅に降り立つと、ひんやりする。関東地方と比べると3度前後、気温が低いのである。

この越後湯沢駅で新幹線を下車。新幹線ホームから在来線ホームに降りて、1番線に停車している越後湯沢始発・金沢行きの特急はくたか号に乗り換える。はくたか号は、越後湯沢を発車すると、JR上越線から六日町で第三セクター・ほくほく線へ。そして犀潟駅からJR信越線に入り、直江津駅でJR北陸線に入り、ここでJR東日本の乗務員からJR西日本の乗務員に交代する。

この上越線からほくほく線を走る区間が、新潟県の山間部で、日本有数の豪雪地帯。冬になれば、1メートル級の積雪など当たり前。豪雪の年には2メートル、3メートル級の雪が積もる。

特急はくたか号の車窓からは、外に積もっている1メートル、2メートル級の豪雪が見える。新潟県の平野部には積雪が無くても、越後湯沢、六日町、十日町の山間部には、ものすごい積雪になっていることがよく見られる。

 

 

□特急はくたか号の車窓から見える豪雪地帯・1メートル50センチ~2メートル級の積雪

 

さて「アンチ日蓮正宗」では、日本の学者の説でも12001900年 の約700年間を「 鎌倉・江戸小氷期」という、いわば小氷河期に位置づけているが、これを裏付ける記述が、日蓮の遺文(御書)にある、ということを指摘している。鎌倉時代の日本が「小氷期」だったことを裏付ける日蓮遺文(御書)の文とは、まず日蓮57才の時に書いた「兵衛志殿御返事」(弘安元年1129)では

「雪かたくなる事金剛のごとし。今に消ゆる事なし。昼も夜も寒く冷たく候事、法にすぎて候。酒は凍りて石のごとし。油は金に似たり。鍋・釜に小水あれば凍りて割れ、寒いよいよ重なり候へば、着物うすく、食乏しくして、さしいづるものもなし」・・・・(御書全集p1294)

「坊は半作にて、風、雪たまらず、敷物はなし。木はさしいづるものもなければ火もたかず。古き垢づきなんどして候、小袖一つ着たるものは、其の身の色、紅蓮・大紅蓮のごとし。声は波々大波々地獄にことならず。手足寒じて切れさけ人死ぬことかぎりなし」 (御書全集p1295)

さらに日蓮58才の時には「上野殿御返事」(弘安21227)の中で次のように述べている。

「・・・五尺の雪ふりて本よりも通わぬ山道ふさがり、訪いくる人もなし。衣も薄くて寒ふせぎがたし。食たへて命すでに終はりなんとす・・・」(御書全集p1437)

ここに「五尺の雪」とあるのは、1メートル50センチの雪という意味。日蓮の草庵跡がある身延山の西谷は、現在、「五尺の雪」どころか、降雪そのものがあることは、非常にまれである。五尺とは、約1メートル50センチにもなり、こんな大雪は、今では新潟、東北、北海道の豪雪地帯の山間部にでもいかないと、あり得ない大雪である。その大雪が降る地域のひとつが、まさに特急はくたか号が走り抜ける越後湯沢・石打・六日町・十日町などの上越線・ほくほく線の沿線である。もちろん、今の身延山の西谷に、こんな豪雪が降ることはない。身延町教育委員会職員の証言によれば、今の身延町・身延山久遠寺の西谷に50センチの降雪があることは、めったにないという。

また日蓮は、低温ぶりを「紅蓮地獄か、大紅蓮地獄のようだ」と言い、「手足寒じて切れさけ人死ぬ」とは、凍傷による死傷のことと思われる。凍傷による死傷は、状況にも依るが、氷点下のかなり低い気温であったのではないかと推定される。今の身延山の冬で、凍傷による死傷者が出たとは、聞いたことがない。したがって、これらの日蓮の遺文(御書)の文は、学者の説である、12001900年 の約700年間が「鎌倉・江戸小氷期」だったこと。なかんずく鎌倉時代の身延山がまさに「鎌倉・江戸小氷期」だったことを裏付けるものではないか。

と、こうは書いても、約1メートル50センチの積雪だの2メートル級の積雪というのは、どれくらいの積雪なのか、見たことがない人も多いと思う。私が真冬の新潟県越後湯沢市、特急はくたか号の車窓から撮影した1メートル50センチ級、2メートル級の豪雪の写真をここにお見せしよう。

鎌倉時代・小氷期の「五尺の雪」が積もっていた身延山に、楠木が自生していたなどという自慰的空想にしがみついているカルト法華講員たちは、よくよく見ておいたほうがよかろう。

雪の越後湯沢駅20


雪の越後湯沢駅12
 

(大雪が積もっている冬の越後湯沢駅構内)

雪の上越線2

雪の上越線5


雪の上越線7

 

(特急はくたか号の車窓から見える約1メートル50センチ~2メートル級の積雪)