■検証269・鎌倉時代・小氷期の極寒地獄の身延山に自生の楠木はなかった19

 

□五尺の雪・1メートル50センチの積雪がある現代の豪雪地帯に自生の楠木は存在しない2

 

東京の最低気温が1度とか0度の時でも、真冬の長野の最低気温はマイナス5度とかマイナス6度くらいになる。夕方ころに長野駅前に降り立っても、気温はマイナス2度くらいにはなっている。長野市内の人の話では、冬の長野で氷点下5度とか6度の気温は当たり前だという。

長野から先のJR信越線は各駅停車がメインで、快速列車も一日数本しか走っていない。しかし長野新幹線が開業する以前は、信越線には上野~長野を特急あさま号が119往復、そのうち上野~直江津を14往復、走っていたし、上野~金沢を特急白山号が13往復走っていた。私も若い頃は、北陸の実家に帰るときは、上野駅から特急白山号を何度も利用していたが、あの当時、上野~金沢が約7時間くらいかかっていた。

信越線は横川~軽井沢の急勾配区間があり、横川駅と軽井沢駅でEF63電機機関車重連の連結・切り離し作業があったし、急勾配区間はかなりスローペースの走行だった。加えて信越線では、二本木駅と直江津駅でスイッチバックがあった。だから余計に所用時間がかかった。横川駅と軽井沢駅でのEF63電機機関車重連の連結・切り離し作業中に、特急白山号の乗客がホームに降りてきて、名物弁当『峠の釜飯』を買っていたのは、あの当時のころのことの話し。1985(昭和60)年ころまで、特急白山号には食堂車が連結されていた。しかしいくらなんでも昼間特急で東京~金沢が7時間もかかってしまうというのは、時間かかりすぎである。というわけで航空便が発達するにつれて、特急白山号は次第に廃れていき、3往復が2往復に。2往復が1往復に減便。そして199710月の長野新幹線開業によって廃止されてしまった。これも時の流れである。

このJR信越線・黒姫駅から先、新井駅までは信越線でも特に積雪の多い区間である。大雪になると列車の運行ができなくなる場合があるくらいである。黒姫駅の次の駅である妙高高原駅は、豪雪を生かして冬季はスキーやスノーボード等のウインターレジャーで賑わう。この信越線の黒姫駅から新井駅まで区間は、日本有数の豪雪地帯。冬になれば、1メートル級から2メートル級の積雪など当たり前。信越線列車の車窓からは、外に積もっている1メートル、2メートル級の豪雪が見える。もちろん、この区間に在来線特急あさま号、白山号が走っていたころも、冬場には1メートル級から2メートル級の積雪はあったし、私が特急白山号に乗って東京と北陸を往来していたころも、特急白山号の車窓から信越線沿線の豪雪を見てきた。今はこの区間は各駅停車しか運行されていないが、各駅停車の列車の車窓から、1メートル、2メートル級の豪雪が見える。

このあたりは、日蓮が遺文の中で

「・・・五尺の雪ふりて本よりも通わぬ山道ふさがり、訪いくる人もなし。衣も薄くて寒ふせぎがたし。食たへて命すでに終はりなんとす・・・」(御書全集p1437)

と書いた「五尺の雪」つまり1メートル50センチの雪が降り積もる地域である。

 

 

□日蓮遺文の表現は誇張でもなければオーバーでもない、ありのままの小氷期の身延山だ

 

日蓮57才の時に書いた「兵衛志殿御返事」(弘安元年1129)では

「雪かたくなる事金剛のごとし。今に消ゆる事なし。昼も夜も寒く冷たく候事、法にすぎて候。酒は凍りて石のごとし。油は金に似たり。鍋・釜に小水あれば凍りて割れ、寒いよいよ重なり候へば、着物うすく、食乏しくして、さしいづるものもなし」・・・・(御書全集p1294)

「坊は半作にて、風、雪たまらず、敷物はなし。木はさしいづるものもなければ火もたかず。古き垢づきなんどして候、小袖一つ着たるものは、其の身の色、紅蓮・大紅蓮のごとし。声は波々大波々地獄にことならず。手足寒じて切れさけ人死ぬことかぎりなし」 (御書全集p1295)

と、身延山の過酷な小氷期の寒さを「酒は凍りて石のごとし」「油は金に似たり。鍋・釜に小水あれば凍りて割れ」「紅蓮・大紅蓮のごとし。声は波々大波々地獄にことならず。手足寒じて切れさけ人死ぬことかぎりなし」と書いた。日蓮が在世のころは、ストーブも冷暖房エアコンもコートも防寒着もマフラーも手袋もなかった時代のこと。今の長野市の最低気温・マイナス5度とかマイナス6度くらいになると、ストーブも冷暖房エアコンもコートも防寒着もマフラーも手袋もなく、「敷物はなし」で、燃料の木がないから「火もたかず」の状態の中で生活をすれば、その過酷な寒さは尋常ではない。まさにその環境は日蓮が遺文で書いているとおり、「紅蓮・大紅蓮のごとし」「声は波々大波々地獄」であり、「手足寒じて切れさけ人死ぬことかぎりなし」ということは、本当にあったと考えられる。

だから日蓮が遺文で書いている内容のことは、決して誇張でもなければ、オーバーな表現でもなく、ありのままのことを書いたと考えられるのである。

こんな「五尺の雪」つまり1メートル50センチの雪が降り積もり、「紅蓮・大紅蓮のごとし」「声は波々大波々地獄」であり、「手足寒じて切れさけ人死ぬことかぎりなし」という小氷期の極寒地獄だった鎌倉時代の身延山に、楠木が自生していたはずがないではないか。楠木とは、関西・西日本・四国・九州の温暖な地域に自生している樹木である。今の時代に「五尺の雪」つまり1メートル50センチの雪が降り積もる上越線からほくほく線の区間、信越線の黒姫駅から新井駅まで区間に、自生の楠木は全く存在しない。

そもそも小氷期の身延山に楠木が自生していたなどという自慰妄想にしがみついている法華講員たちは、楠木という樹木を実際に見たことがあるのか。自生している楠木が、どんな楠木なのか、実際に見たことがあるのか。「五尺の雪」つまり1メートル50センチの雪が降り積もる豪雪を、実際に見たことがあるのか。「紅蓮・大紅蓮のごとし」「声は波々大波々地獄」であり、「手足寒じて切れさけ人死ぬことかぎりなし」と日蓮が言った極寒を実際に体験したことがあるのか。JR信越線列車の車窓から撮影した1メートル50センチ級、2メートル級の豪雪の写真をお見せしよう。法華講員はよく見ておいたほうがいいだろう。

信越線8


信越線11


信越線9

 

(JR信越線列車の車窓から撮影した1メートル50センチ級、2メートル級の豪雪の写真)