■検証45・鎌倉時代の日蓮一門に漆・金箔加工は不可能だった10

 

□素人には取り扱いが非常にむずかしい漆・漆加工1

 

鎌倉時代の日蓮は、ほとんど経済力・財力がないに等しかったため、経済力を以て漆を買い入れる、ないしは経済力を以て漆職人を雇って、漆加工を仕上げさせるということは、ほとんど不可能だったと言えよう。ならば、身延山周辺、今の身延町周辺に、漆生産や漆工芸の伝統があれば、鎌倉時代の日蓮にも、漆加工ができた可能性があるが、しかし、昔も今も身延山周辺、今の身延町周辺に、漆生産や漆工芸の伝統は全くないのである。日本の漆工・漆芸研究の第一人者である石川県輪島漆芸美術館長で漆器文化財科学研究所長である四柳嘉章氏の著書「漆の文化史」によれば、律令政治の崩壊によって、中世には全国各地で新たな漆器生産がはじまったという。(「漆の文化史」p156)

中世に全国各地で新たな漆器生産
 

そして鎌倉時代の13世紀の中頃を境に、土師器の椀が消えて、逆に漆器が増大傾向にあるという。(「漆の文化史」p95)

13世紀の中頃を境に漆器が増大傾向
 

応仁の乱のあと、領内自給をめざした戦国大名が武具の漆塗装や食漆器の生産に積極的に取り組んだ。(「漆の文化史」p156)四柳嘉章氏の証言によれば、中世の時代、日本全国各地で、かなり広範囲にわたって漆の生産が行われていたという。「アンチ日蓮正宗」では、石川県輪島漆芸美術館を訪問したときに、四柳嘉章館長に直接、次のような質問をした。

「鎌倉時代、日本における漆の産地、漆工芸が行われていた所を教えていただけませんか。山梨県の身延山周辺で、漆工芸や漆の生産は行われていたのでしょうか」

四柳氏「中世、鎌倉時代になると、日本全国、かなり広範囲に漆の生産が行われていました。漆製品・漆工芸品が全国各地の遺跡から出土しています。現在、漆工芸が行われていない地域でも、中世の昔は漆生産や漆工芸が行われていた可能性はあります」

そうであるならば、身延山や身延山周辺においても、漆の生産・漆器の生産が行われていた可能性はある。「ならば日蓮一門でも漆加工ができたのではないか」と日蓮正宗の信者が飛びつきそうだが、事はそう簡単には運ばない。なぜなら、「漆」というもの自体、素人には扱いが非常に難しいのである。そのひとつが、いわゆる「漆かぶれ」である。漆塗りをしている人、職人でも「漆かぶれ」におそわれ、体がかぶれてしまうのである。昭和20年代から木工に取り組んでいた木工職人の証言に依れば、昭和の中頃まで、家具等々に漆塗りが行われていたが、実際の漆塗りは、自分たちで行うのではなく、漆職人を呼び、漆職人が漆加工・漆塗装を行っていたという。

なぜ木工職人が自分たちで漆塗装をしないのか、といえば、その理由はズバリ。「漆かぶれをおそれたから」ということである。昭和の時代ですらこうだったのである。ならば鎌倉時代や室町時代のころにおいては、なおさらである。漆とは、素人には扱いがきわめて難しいものだったということができる。したがって、仮に身延山や身延山周辺で、鎌倉時代に漆の生産が行われていたとしても、日蓮一門が自力で漆生産をし、漆加工を行うことは不可能だったということだ。

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漆芸美1
 

(石川県輪島市にある石川県輪島漆芸美術館)