■検証46・鎌倉時代の日蓮一門に漆・金箔加工は不可能だった11

 

□素人には取り扱いが非常にむずかしい漆・漆加工2

 

「漆かぶれ」の問題ひとつとってみても、素人が漆を取り扱うことは極めてむずかしいことであった。昭和の時代においてすら、家具等々に漆塗りを行うにあたって、外部から漆職人を雇って漆塗りをしていたのである。況んや鎌倉時代・室町時代の昔においておやである。この点について、石川県輪島漆芸美術館長で漆器文化財科学研究所長である四柳嘉章氏に直接話を伺ったとき、四柳嘉章館長は次のように指摘していた。

「そうすると、鎌倉時代、身延山の山中で、日蓮一門が漆を生産し、畳一畳大の板本尊に漆を塗る漆加工を行うことは可能だったわけですか」

四柳氏「素人が漆を塗ったかどうかということになると、問題があります。素人に漆を扱うことは、とてもむずかしいことです。もし、畳一畳大の板本尊に漆を塗ったとすれば、それは日蓮一門が自分たちで行ったのではなく、金銭を支払って漆を買い、工賃を支払って漆職人を雇って、漆塗りを完成させたと見るほうが現実的でしょう」

つまり、仮に鎌倉時代の身延周辺で、漆生産が行われ、漆工芸が行われていたとしても、日蓮一門の手で漆を扱うのは非常にむずかしく、外部から漆職人を雇って漆加工を完成させたと考えられるというのである。こういうことからしても、仮に鎌倉時代の身延山周辺において漆生産が行われていたとしても、日蓮一門が自らの手で、漆加工を行うことは不可能だったということになる。

そうすると、鎌倉時代の日蓮一門が、身延山中で「戒壇の大本尊」を彫刻して漆加工を仕上げるためには、やはり金銭を支払って外部から漆職人を雇い入れなくてはならなかったということになる。それならば、鎌倉時代の当時、漆職人はどこにいたのかというと、四柳嘉章館長によれば、京都、奈良、鎌倉の大寺院周辺や大きな漆の需要がある所の周辺に、漆職人がいたという。

「鎌倉時代、ないしは室町時代、漆職人はどのあたりにいたのでしょうか」

四柳氏「京都、奈良、鎌倉にはいましたね。それから大きな寺院の周辺。大きな漆の需要がある所の周辺に、漆職人はいましたね」

そうすると、日蓮一門は、京都、奈良、鎌倉にいた漆職人を雇わなくてはならなかったわけだが、日蓮在世の当時、日蓮ないし日蓮一門が京都、奈良、鎌倉にいた漆職人を雇ったなどという記録は全く残っていない。また、そのようなことを記述した日蓮の遺文(御書)も全く残っていない。そもそも身延山中で極貧の生活をしていた日蓮に、京都、奈良、鎌倉にいた漆職人を雇うなどということは不可能である。日蓮に漆職人を雇って漆加工を仕上げるだけの経済力はなかったのである。

したがって経済力の点からして、日蓮は「戒壇の大本尊」なる板本尊に漆加工を行うことは不可能だったと結論づけられるのである。

漆芸美2


 漆芸美4

漆芸美1

(石川県輪島市にある石川県輪島漆芸美術館)

漆器会館1


漆器会館5
 

(石川県輪島市にある輪島漆器会館)

漆塗5
 

(現代の漆塗り・JR東日本「トランベール」より)