■検証77・日蓮正宗大石寺9世法主日有が京都仏教寺院から輸入した伽藍・客殿1
□大石寺9世日有が京都天奏の折に輸入した法隆寺の本坊(貫首の居所)・西園院客殿
大石寺9世日有の京都天奏により、京都の仏教寺院の影響もしくは京都仏教寺院から輸入したもの、パクリと思われるものが、寺位牌や秘仏、勅使門、六万坊以外にも存在している。大石寺の伽藍・建築物を見ると、京都の仏教寺院の影響もしくは京都仏教寺院から採り入れたもの・輸入したものと思われるものがいくつかある。これらのものも、甲州・湯之奥金山の金による大石寺9世日有の莫大な経済力と京都天奏の産物として特筆すべきものであるが、大石寺を代表する伽藍・堂宇である客殿もそのひとつである。大石寺の客殿は、1465(寛正6)年3月、日蓮正宗大石寺9世日有がはじめて建立・創建した伽藍である。大石寺9世日有が大石寺客殿を創建したとする見解は、日蓮正宗・大石寺の公式見解である。
この客殿という伽藍は、京都・貴族の屋敷や寺院などで、客を応対するために造った殿舎で、いわば京都・奈良の貴族文化を象徴するもの。寺院では、世界最古の木像建築・法隆寺の塔頭・西園院に客殿という名前の堂宇が存在する。大石寺9世日有が京都・奈良の仏教寺院から輸入したと思われる客殿は天台寺門宗総本山・三井寺(勧学院客殿・光浄院客殿)、法隆寺西園院(貫首の住居)客殿、教王護国寺(東寺)客殿、東寺観智院客殿、真言宗大覚寺派・西明寺客殿、…である。
この中で、まず真っ先に挙げなくてはならないのが、奈良の法隆寺西園院客殿である。
西園院は法隆寺の本坊(住職の居所)であり、南大門を入って左側、築地塀の内側にある。
園城寺勧学院客殿は、慶長5年(1600年)の建立。桃山時代の書院造建築の代表作とされる。
光浄院客殿は、勧学院客殿より1年後の慶長6年(1601年)建立で、規模、意匠など勧学院客殿と似ている。妙心寺霊雲院客殿は、1688-04年の元禄期とされている。教王護国寺の観智院客殿 は、慶長11年(1606年)の建立。西明寺客殿は、本堂より古く、江戸時代前期に移築された。当時は食堂と称し、僧侶の生活や戒律の道場として使用された。臨川寺 客殿は、1620(元和5年)の建立。大覚寺客殿は、1596-15年の慶長期のこととされている。
これに対して、日蓮正宗大石寺の客殿は、1465(寛正6)年3月に大石寺9世日有が建立したわけだから、大石寺の客殿のほうが、京都仏教寺院の客殿より先に建立されたことになる。この中で、法隆寺の西園院客殿に注目したのは、
1 法隆寺がこれらの寺院の中でもっとも創建が古いこと。
2 その法隆寺の塔頭院の中に「客殿」という名前の堂宇があること
である。そこで法隆寺の西園院客殿がいつ創建されたかをしろうと思い、法隆寺の案内役員に聞いたところ、「聖徳宗の宗務院へ行って聞いてくれ」と言われたので、早速、法隆寺境内にある宗務院へと足を運んだ。宗務院は、その西園院のとなりにある。
□大石寺9世日有が京都天奏の時に法隆寺の本坊(貫首の居所)・西園院客殿は存在した
大石寺9世日有は、法隆寺夢殿の秘仏本尊である救世観音像をモデルにして、「秘仏」「楠木」「等身大」の「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作しているわけだから、法隆寺西園院客殿も真っ先に輸入したい伽藍になったであろう。法隆寺の西園院とは、貫首の住居であり、大石寺で言えば大坊・大奥に相当し、西園院客殿とは、言わば客間であり、大石寺の大奥対面所に相当する。
私は、この法隆寺にも何度も実地調査に行っているのだが、この法隆寺西園院客殿の創建年代を調べようと、法隆寺境内にある宗務院に行って係員に質問したところ、係員が、奥にいた僧侶に聞いたり、奥にあった分厚い本をめくって調べたりして、ようやく答えを持ってきてくれたのだが、その答えは「いつ創建されたのか不明」とのこと。
ただし法隆寺で発刊した「法隆寺重宝」という分厚い本によると、創建年代は不明だが、中に狩野派の画家の絵が描かれた襖があるので、桃山時代ではないかと推測されるという回答であったが、ただしこれは推測で、確定しているわけではないとのこと。
狩野派の絵が描かれている襖は、創建年代を特定する証拠にはなり得ないと思われる。
建物は前から建っていたが、襖は後から入れたということも考えられるし、再建した建物に襖を新調したとも考えられる。西園院そのものは、法隆寺の本坊(住職の居所)であるので、これは法隆寺の草創期から存在していたことは明らか。法隆寺は、創建当初は官立であり、今風に言うと朝廷による国営の寺院であり、朝廷と直結の寺院であった。
もちろん、天皇をはじめ、皇族、親王、摂家、貴族、公家といった身分の高い人たちが法隆寺を訪れ、参拝・修学・修行をしているわけだから、法隆寺の本坊・西園院の客殿が創建後、数百年が経ってから建てられたとは、とうてい考えにくいものがある。
そういうふうに考えると、法隆寺の本坊・西園院客殿は、法隆寺創建まもなくのころからあったと考えられ、京都天奏の折に日有が法隆寺を訪れた際にも、当然、西園院客殿は存在したと考えられるのである。
(奈良法隆寺)
(奈良法隆寺本坊付近の参道)
(奈良法隆寺夢殿)
(今の大石寺客殿・ユーチューブの映像より)
(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)
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