■検証59・日蓮に「戒壇の大本尊」なる板本尊を造立・漆・金箔加工する経済力はなかった1

 

□日蓮が9年間の身延山生活で信者からの供養金の総計は現代価値にして約100万円程度だ

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(不埒な洗脳法華講員・龍神ひろしの妄説)

宗祖の御書に書かれた供養のうち、銭(ぜに)に関しては、二十数人から「百六十数貫」にのぼっており、昭和51年当時で一千万円を超える莫大な金額となっている。(聖教新書32『御書に見る鎌倉時代・167頁』)

真書が滅した御書も相当数あるからおそらくこの倍近い金額が具わっていたと考えられる。当時のカネは日本で鋳造されたものではなく「宋銭」、つまり中国の貨幣が信用され、使用されていた。

昭和三十二年、大石寺の大講堂を新築するさい、木箱に詰められた古銭が二千枚ほど発掘された。明治初年まで「遠信坊」のあったところだが、この場所こそ、日興上人が大石ヶ原に建立した大坊(六壺)が建立された場所であったと推定されている。古銭の種類としては、大聖人の時代に使用された「北宋銭」や足利時代に流通した「唐銭」が混入しており、大聖人・日興上人の御遺物に歴代の上人が広布の日に備えて蓄えられたものが、大事にされすぎて手つかずになったものと推察される。分量の基準を云えば、日本酒の標準的な容器(一升瓶)が約1800ミリリットル。その10分の11合、10倍が一斗、さらに10斗を「一石」 である。つまり、よく御書にある米一石とは、一升瓶に米を入れて百本分という分量となる。米一石が銭一貫文で、現在に換算すると約10万円くらいである。 宗祖の信者はけっこうな量の御供養をしていたものです。

 (楽天ブログ・龍神ひろしの日記より)

御書に見ると、多くの信徒から沢山供養されてました。その供養は、現在に換算すると一千万円以上になります。つまり資金は、豊富にあるわけです。金箔にしても、数グラムあれば可能です。

 技術的にも資金があるわけですから、不可能はありません。

(龍神ひろしのmixi 日記より)

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「アンチ日蓮正宗」の「日蓮には『戒壇の大本尊』なる板本尊を造立すべく楠木を入手し、漆・金箔加工を施す経済力はなかった」という指摘に対しての、洗脳法華講員・龍神ひろしの反論がこれ。

日蓮は二十数人から「百六十数貫」の供養を受け、これは昭和51年当時で一千万円を超える莫大な金額になるだとか、米一石が銭一貫文で、現在に換算すると約10万円くらいになるだとか、何の根拠も算定基準も示さず、現代価値の金額をはじき出しているが、これが全くのデタラメ。

日蓮が9年間の身延山中での生活で、信者から受けた供養金の総計は、現代価値にして約100万円程度。9年間の1年平均にすると、たった111000円にしかならない。

「散逸した御書もあるから、この倍はあったはず」という法華講員の不埒な説を入れたとしても1年で、たった22万円にしかならない。

 

 

□昭和三十二年、大石寺大講堂新築の時に発見された古銭二千枚は日蓮とは何の関係もない

 

それから昭和三十二年、大石寺の大講堂を新築するさい、木箱に詰められた古銭が二千枚ほど発掘されたことを以て、これがあたかも日蓮や日興の時代の古銭であるかのように言っているが、日蓮とは何の関係もない。だいたい大石寺は1290年の開創から700年以上経っているが、古銭というものは、何も日蓮在世の時代だけではなく、平安・鎌倉・室町・戦国・安土桃山・江戸時代にかけて広く使われていたものである。これが日蓮在世の、しかも身延山にいた日蓮のものとする証拠は何一つない。全く関係ないものを、何が何でも自分たちの都合の良いように、こじつけようとする日蓮正宗の欺瞞的体質の最たるものと言えよう。日蓮に「戒壇の大本尊」なる板本尊を造立・漆・金箔加工する経済力はなかった。このことをさらに深く検証していく。

供養統計1


供養統計2


供養統計3