■検証31・百六箇抄が偽書である証拠・日蓮本仏義の大ウソ1

 

□ストレートに日蓮本仏義が説かれている「百六箇抄」は明白な後世の偽作である

 

「百六箇抄」という文書が、日蓮や日興とは何の関係もない偽作文書である証拠は、他にもある。

最大の証拠のひとつとして「百六箇抄」の中に「日蓮本仏義」がストレートに説かれているということを言わねばなるまい。「百六箇抄」に説かれている「日蓮本仏義」の文とは以下の文である。

「久遠名字已来本因本果の主、本地自受用報身の垂迹・上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮」(御書全集p1685) ----久遠元初の名字即の修行以来、本因本果の仏法の主であり、本地が久遠元初自受用報身如来の垂迹である上行菩薩の再誕であり、法華経本門の大師である日蓮----

「自受用身は本、上行日蓮は迹なり。我が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり。其の教主は某なり」------久遠元初の自受用身如来は本地の姿であり、上行菩薩の再誕日蓮の姿は垂迹の姿なのである。日蓮の内証に秘めた寿量品とは、釈迦牟尼が説いた脱益の寿量品の文の底にある本因妙の事なのであり、その本因妙の教主は日蓮なのである----

「久遠元始の天上天下唯我独尊は日蓮是なり」 (御書全集p1696)---久遠元初に天上天下唯我独尊と悟りを開いたのは、この日蓮なのである----

「百六箇抄」では、かなりストレートに「日蓮本仏義」が説かれているのだが、日蓮の遺文(御書)の中に、「日蓮が久遠元初の自受用身如来」「日蓮は久遠元初の本仏」ないしは「日蓮は末法の本仏」と書き記したものは、他に全く存在しない。よく日蓮正宗や創価学会が出してくる文献である

「日蓮は日本国の諸人にしうし(主師)父母なり」(日蓮51才の著書・開目抄)

---日蓮は日本国のあらゆる衆生にとっては、主君であり、師匠であり、父母なのである----

「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」(日蓮53才の著書・聖人知三世事)

---日蓮は世界第一の聖人である----

これらの文は、江戸時代の大石寺26世日寛が、“日蓮が末法の本仏という意味で述べたもの”と日寛自己流に遺文を解釈したものだ。したがって、“日蓮本仏義”“末法本仏義”というものは、日蓮本人が説いた教義ではなく、後世の大石寺門流の者たちが偽造し、デッチあげたものである。

では日蓮自身は、自ら書いた遺文(御書)の中で、本仏について、上行菩薩について、何と言っているのか。ここを検証しなければならない。

 

 

□日蓮は生涯で書き残した全ての遺文(御書)の中でどこにも「日蓮本仏義」を説いていない

 

「寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり」(三大秘法抄・御書全集p1594)

「問うて云く天台伝教の弘通し給わざる正法ありや、答えて云く有り求めて云く何物ぞや、答えて云く三あり、末法のために仏留め置き給う迦葉阿難等馬鳴竜樹等天台伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだひろまらず一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり」(報恩抄・御書全集p1036)

このように、「本門の教主釈尊」「五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊」を本尊とすべきであると説いており、日蓮自身を本尊とすべしとは全く説いていない。

日蓮は文永十一年十二月 日に図顕した「万年救護の大本尊」の讃文に

「大覚世尊御入滅後 経歴二千二百二十余年 雖尓月漢 日三カ国之 間未有此 大本尊 或知不弘之 或不知之 我慈父 以仏智 隠留之 為末代残之 後五百歳之時 上行菩薩出現於世 始弘宣之」----「大覚世尊御入後二千二百二十余年を経歴す。雖と尓も月漢日三カ国之間、未だ此大本尊有まさず。 或は知って之を弘めず、或は之を知らず。我が慈父、仏智を以て之を隠し留め、末代の為に之を残す。後五百歳之時、上行菩薩出現世に於いて 始めて之を弘宣す」

と書き記しており、これによれば日蓮は自らが「上行菩薩」であると宣言しており、久遠元初の自受用身如来だとも、久遠元初の本仏だとも末法の本仏だとも言っていない。そしてさらに

「此の三大秘法は二千余年の当初地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」(三大秘法抄・御書全集p1595)

と言って、日蓮はあくまでも上行菩薩として霊鷲山にて教主釈尊より三大秘法を稟承・相承したと言っている。日蓮正宗や創価学会、顕正会、正信会の「日蓮正宗系」では、『観心本尊抄』を

「此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為(な)す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」(如来滅後五五百歳始観心本尊抄・御書全集p661)と読み下して、「本門の釈尊は本仏ではない」と言っているが、これは誤りである。観心本尊抄は、全文漢文の遺文(御書)であるが、該当箇所の漢文は「本門釈尊為脇士 一閻浮提第本尊」となっている。ここは文法上は「本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊」ではなく、「本門の釈尊の脇士と為る一閻浮提第一の本尊」と読み下すのが正しい。したがって「本門の釈尊は本仏ではない」という「日蓮正宗系」の見解は誤りである。したがって、そもそもこんな「百六箇抄」に「日蓮本仏義」が説かれていること自体がおかしいわけで、「日蓮本仏義」の文そのものが、後世の者が「百六箇抄」を偽造した証拠になるわけである。

百六箇抄1
 

(百六箇抄)

観心本尊抄2
 

(如来滅後五五百歳始観心本尊抄の原文)