■検証288日向造立板本尊と「戒壇の大本尊」なる板本尊は全く無関係だ9

 

身延山久遠寺の日向造立板本尊のモデルは禅宗が中国から伝来せしめた寺位牌である3

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(法華講員・太田魁の妄説)

「他の弟子が知らぬはずがない」という事についてですが他の弟子も知っています。

五老の一人・民部日向は日興上人身延離山後の正安二年十二月、日蓮大聖人の紙幅御本尊を模写して板本尊を造立しています。いかに日蓮大聖人の法義に暗い五老でも直弟である以上、日蓮大聖人のなさった前例なくして、まったくの新義を作り出す事はあり得ません。

これは身延山久遠寺の本堂に安置された本門戒壇大御本尊を拝していた日向が大御本尊を真似て板本尊造立に及んだと考えるほかないです。因みにこの日向造立の板本尊はそれから五十年以上、身延山久遠寺本堂の本尊として安置されていました。

 (『アンチ日蓮正宗VS日蓮正宗』掲示板103の太田魁の妄説)

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身延離山の11年後の1300(正安2)12月に、身延山久遠寺第二祖日向が造立したとされる通称「板本尊」と、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊は、全くの無関係である。両者を無理矢理に結びつけようとする太田魁の妄説は、ただのこじつけの論に過ぎず、この日向造立の板本尊と大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊を結びつける直接の証拠は何一つない。以下の点からしても、日向造立の板本尊と大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊が無関係であることは明白だ。

1 日向造立「板本尊」の脇書は「日蓮幽霊成仏得道乃至衆生平等利益の為に敬って之を造立」になっていると「日蓮宗宗学全書」に記載されている旨、日蓮正宗大石寺66世細井日達法主が言っている。が、しかし「戒壇の大本尊」なる板本尊の脇書きは

「右現当二世の為造立件の如し、本門戒壇之願主 弥四郎国重、法華講衆等敬白、弘安二年十月十二日」(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂「富士宗学要集」第8巻資料類聚1より)

となっており、両者の脇書が全く違っている。

2 日蓮正宗大石寺48世日量が書いた「富士大石寺明細誌」によると、「戒壇の大本尊」なる板本尊は「竪四尺七寸五分、横二尺一寸五分」(堀日亨編纂「富士宗学要集」第8p334)となっているが、日蓮正宗大石寺59堀日亨は日向造立「板本尊」について

日向の添書に『正安二年庚子十二月日。右日蓮幽霊成仏得道乃至法界衆生平等利益の為に之を造立す』とある丈二尺七寸、幅一尺八寸の大聖人の御筆を写した板本尊」(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨の著書『富士日興上人詳伝(下)』p120p121より)

と書いている。したがって「竪四尺七寸五分、横二尺一寸五分」(本門戒壇の大御本尊)と、「丈二尺七寸、幅一尺八寸(日向造立板本尊)では、大きさが全く違う。

法華講員・太田魁が言うように「日向が大御本尊を真似て板本尊造立に及んだ」のなら、脇書や大きさも、全く同じにしたはずである。がしかし、両者は全く違っている。日向造立「板本尊」なるものは、「戒壇の大本尊」なる板本尊の真似でも何でもない。両者は、全くの無関係である。

 

 

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(法華講員・太田魁の妄説)

いかに日蓮大聖人の法義に暗い五老でも直弟である以上、日蓮大聖人のなさった前例なくして、まったくの新義を作り出す事はあり得ません。これは身延山久遠寺の本堂に安置された本門戒壇大御本尊を拝していた日向が大御本尊を真似て板本尊造立に及んだと考えるほかないです。

(『アンチ日蓮正宗VS日蓮正宗』掲示板10・法華講員・太田魁の妄説)

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日蓮正宗では、1300(正安2)12月に日向が造立した「板本尊」などと言っているが、これは、「板本尊」ではなく、鎌倉時代の当時、栄西や道元が中国から伝えた禅宗とともに中国から日本に伝来した「位牌」の一種である「寺位牌」「本位牌」と呼ばれるものである。

佐渡阿闍梨日向は、日蓮在世の時代から禅宗の大寺院が立ち並ぶ鎌倉方面に布教の足を伸ばしていた。鎌倉時代の仏教寺院、なかんずく禅宗寺院にはすでに中国から伝来した「寺位牌」「本位牌」があったので、当然のことながら、日向も「寺位牌」「本位牌」を知っていたと考えられる。

それから日向造立の「板本尊」には、細井日達によると「日蓮幽霊成仏得道乃至衆生平等利益の為に敬って之を造立」と書いてあると言うのであるが、こんな脇書きのある本尊というのは、日向の師・日蓮が図顕した本尊には全くない。しかも「乃至衆生平等利益」などという文は、本尊ではなく、故人の菩提のために建立される「塔婆」や「位牌」に書かれている文である。

日向も「板本尊」造立の目的を「日蓮幽霊成仏得道」と、師・日蓮の菩提のためとしていることからして、これは「本尊」と言うよりは「本位牌」「寺位牌」というべきものである。

「身延山久遠寺同御影堂、大聖人御塔頭、塔頭板本尊…」と中山法華経寺三代住職日祐が書き残しているから「本尊」と解釈するむきもあるようだが、そもそも「寺位牌」というものは、本位牌の他に、菩提寺(旦那寺)や本山に、供養の布施と共に納められる位牌で、寺では位牌堂や本堂内の須弥壇に安置され、朝夕の勤行の際に供養されるものなのである。 その「寺位牌」の扱いは、本尊に準じるか、本尊と何ら変わらないかのように、扱われる。

中国から伝来して間もない「寺位牌」が、須弥壇中央に祀られていたとあっては、「位牌」をはじめて見た人たちにとっては、あたかもそれが「本尊」と映ったと考えられるのである。

したがって、これらのことからして、日向造立の「板本尊」とよばれるものは、「本尊」ではなく、鎌倉時代において中国から伝来していた「本位牌・寺位牌」をモデルにした「位牌」であり、「位牌」として身延山久遠寺の御影堂に納められた「寺位牌」だったと考えられる。

もちろん大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊とは何の関係もないものである。

戒壇大本尊1大正4年由井本1
 

(大石寺の『戒壇の大本尊』)