■検証68・「戒壇の大本尊」なる巨大な板本尊は身延の草庵に安置できない3

 

□「戒壇大本尊」は身延山時代は秘蔵されていなかったと認めている細井日達法主の説法

 

日蓮正宗では「戒壇の大本尊」は「広宣流布の暁まで蔵の中に秘蔵する御本尊で、篤信の信徒の願いがあれば特別に内拝を許している」と言っているが、では弘安二年(1279)十月当時、身延山のどこに、「戒壇の大本尊」なる板本尊を秘蔵していたのか? 「戒壇の大本尊」なる板本尊秘蔵する蔵など、身延山中にはなかった。蔵が身延山中にあったなどという記録は全くない。では草庵の中に秘蔵?していたということになるが、あの狭い草庵の中に、巨大な「戒壇の大本尊」なる板本尊を秘蔵するなど、どう考えても不可能である。ところが、である。弘安四年(1281)十一月、身延山中に十間四面の堂宇、つまり身延山久遠寺が完成した後のことになると、大石寺第66世・細井日達法主の説法によると次のようになる。

「末法の戒律は題目の信仰が、すなわち戒を受持することであります。よって(戒壇の)大御本尊のおわします堂が、そのまま戒壇であります。したがって大本門寺建立の戒も、戒壇の御本尊は特別な戒壇堂ではなく、本堂に御安置申し上げるべきであります。それゆえ、百六箇抄(偽書)には『三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり』と大聖人のお言葉が、はっきり御相伝あそばされております。また同じ百六箇抄の付文に『日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり』と、こう明らかにされておるのでございます。したがって、その曼荼羅を現在では大石寺の本堂に御安置することが、もっともふさわしいと思うわけであります」

「戒壇の大御本尊は大聖人ご在世当時、また日興上人がいらした当時、身延山で本堂に安置されていたものであります。・・・・・そして本堂で(戒壇の)御本尊に信者が参拝したのであり、大聖人ご在世当時、身延へ参拝しにきたのは信者だけですから、だれでも直接に(戒壇の)御本尊を拝めたのです。したがって今日では、戒壇の御本尊を正本堂に安置申し上げ、これを参拝することが正しいことになります」(昭和40年2月16日の大石寺大講堂・第1回正本堂建設委員会の席での指南・昭和40220付け聖教新聞・

16-1
 

「日達全集」第1輯第3393394

第1回正本堂建設委員会1
 

第1回正本堂建設委員会2

日達全集第1輯3巻

「身延の日興上人御在住の時の十間四面の堂には、『日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊』即ち戒壇の大御本尊を安置してあったことは明らかであります。その大御本尊を日興上人が大石寺の本堂に安置され、大聖人生身の御影は御影堂に安置せられましたが、その後、本山の陵夷により本堂御影堂が一堂となり、戒壇の大御本尊は御影とともに安置されてあったようであります。しかしその後、御宝蔵が大きく造立せられてから、大御本尊は御宝蔵にお移し申し、御影堂には日精上人の板本尊が安置せられたと思われます」

(昭和47年1月号『大白蓮華』に寄せた指南・日達全集第二輯第7p403404))

昭和47年1月号『大白蓮華』1


昭和47年1月号『大白蓮華』2


日達全集2輯7巻
 

 

 

□自らの説法とまるで矛盾していることが明白な大石寺66世細井日達の自語相違説法

 

大石寺66世細井日達法主の説法によれば、弘安4(1281)11月の十間四面の堂宇ができて以降は、本堂に安置されていて、参拝の信者はだれでも「戒壇の大本尊」なる板本尊を拝めたのだというのである。なんと秘蔵されていなかった、ということを公式に認めているのだ。

こうでも言わなければ、日蓮正宗としても「戒壇の大本尊」なる板本尊の「日蓮造立説」を維持できないということだろう。しかし細井日達法主も、十間四面の堂宇が身延山中に完成する以前の、質素な草庵だった時に、どうやって「戒壇の大本尊」を安置していたのか?という疑問に対しては、全く答えていない。 それどころか、大石寺66世細井日達法主は

「戒壇の大御本尊は大聖人ご在世当時、また日興上人がいらした当時、身延山で本堂に安置されていたものであります。・・・・・そして本堂で(戒壇の)御本尊に信者が参拝したのであり、大聖人ご在世当時、身延へ参拝しにきたのは信者だけですから、だれでも直接に(戒壇の)御本尊を拝めたのです」と説法した昭和40年2月16日の大石寺大講堂・第1回正本堂建設委員会の席で、今度は、「戒壇の大本尊」は大石寺では、客殿の奥深く秘蔵されてきたなどと、まるで矛盾したことを説法している。

「ただし末法の今日、まだ謗法の人が多いので、広宣流布の暁をもって(戒壇の大本尊を)公開申し上げるのであります。ゆえに正本堂とはいっても、おしまいしてある意義から、御開扉等の仕方はいままでと同じであります。したがって形式の上からいっても、正本堂の中でも須弥壇は蔵の中に安置申し上げる形になると思うのでございます。正本堂の建立地につきましては『(戒壇の)大御本尊は客殿の奥深く安置する』という御相伝があります。」(昭和40年2月16日の大石寺大講堂・第1回正本堂建設委員会の席での指南・昭和40220付け聖教新聞・

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「日達全集」第1輯第3394

第1回正本堂建設委員会1


第1回正本堂建設委員会2
 

大石寺第66世・細井日達法主は、日蓮が身延山で生活していた時代は、「戒壇の大本尊」は身延山で本堂に安置されていて、だれでも直接に(戒壇の)御本尊を拝めたと言っておきながら、その直後に『(戒壇の)大御本尊は客殿の奥深く安置する』という相伝があると言う。日蓮在世の身延山に「戒壇の大本尊」が実在していて、本当に「だれでも直接に(戒壇の)御本尊を拝めた」と言うのなら、なぜ大石寺に『(戒壇の)大御本尊は客殿の奥深く安置する』という相伝があるのか。「戒壇の大本尊」は「広宣流布の暁をもって公開」するのなら、なぜ日蓮在世時代の身延山で、「だれでも直接に(戒壇の)御本尊を拝めた」のか。大石寺第66世・細井日達法主の説法は、まるで矛盾に満ちたものであることは、誰にでもわかるであろう。

66世日達16・1960創価学会本部総会
 

(大石寺第66世・細井日達法主)