■検証53・百六箇抄が偽書である証拠・日蓮本仏義の大ウソ23

 

□大曼荼羅本尊の前に日蓮祖師像(木像・御影像)を祀る化儀は日蓮本仏義の証拠ではない

 

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(日蓮正宗の妄説)

大石寺御影堂をはじめ日蓮正宗の古刹寺院では、大曼荼羅御本尊の前に日蓮大聖人御影像を御安置する。これは人法一箇の化儀を顕している。人法一箇とは、人法体一・人法一体ともいい、法華経本門寿量品の文底に秘沈される法即人の本尊と人即法の本尊が、一体不二の当体であることをいいます。法即人の本尊とは久遠元初自受用報身如来である日蓮大聖人をいい、人即法の本尊とは文底独一本門の事の一念三千の南無妙法蓮華経である本門戒壇の大御本尊をいいます。日蓮大聖人は『諸法実相抄』に、「釈迦・多宝の二仏と云ふも用の仏なり。妙法蓮華経こそ本仏にては御坐(おわ)し候へ(中略)凡夫は体の三身にして本仏ぞかし」(御書 665頁)

と説かれています。久遠本果五百塵点劫成道の釈尊と、本因下種の妙法蓮華経を対比すれば、釈尊は右御書に「用の仏」とあるように、化他のために相好を有する色相荘厳の仏、垂迹仏であるのに対し、妙法蓮華経こそ久遠元初・本地自行の本仏であり、凡夫無作の当体であることが拝されます。すなわち、熟脱の仏法における仏は、妙法を師として成道した垂迹化他の仏である故に、人(仏)は劣り、法は勝れますが、下種の仏法における本仏は、大聖人が『総勘文抄』に、

「釈迦如来五百塵点劫(じんでんごう)の当初(そのかみ)、凡夫にて御坐(おわ)せし時、我が身は地水火風空なりと知(しろ)しめして即座に悟(さと)りを開きたまひき」(御書 1419頁)

と仰せられるとおり、久遠元初の一念に境智冥合し、即座に開悟された本地自行の仏であり、人法体一の真仏なのです。総本山第二十六世日寛上人は、右の「釈迦如来」とは自受用報身如来であり、「五百塵点劫の当初」とは久遠元初、「我が身は地水火風空」とは御本仏の色法で本地の境妙、「知しめして」とは本仏の心法で本地の智妙とされ、この境妙と智妙が冥合して南無妙法蓮華経と唱える故に「即座に開悟」し、久遠元初の自受用身と顕れる、と御教示されています。

本門寿量品の文底に秘沈される久遠元初の人・法の本尊は、その名は異なっていても、自受用身即一念三千・一念三千即自受用身の人法体一であり、日蓮は即南無妙法蓮華経であるとの意です。大聖人は久遠元初自受用身の再誕として末法に出現され、『経王殿御返事』に、

「日蓮がたまし()ひをすみ()にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御()(こころ)は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(御書 685頁)

また『御義口伝』に、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(御書 1773頁)

とあるように、御自身の内証を「南無妙法蓮華経日蓮」と認めて、人法一箇の大漫荼羅本尊を顕されました。(大白法・平成9年5月16日刊 第478号より引用)

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日蓮正宗の話しを聞いていると、曼荼羅本尊の前に日蓮像を祀る化儀が、古来から大石寺に日蓮本仏義が伝承されてきた証拠であるかのような言い方であるが、これは全くの誤謬である。曼荼羅本尊の前に日蓮像を祀る化儀は、日蓮本仏義の証拠でも何でもなく、大石寺独自の化儀でもない。これは身延山久遠寺、池上本門寺をはじめ、日蓮宗寺院から日蓮を宗祖とする宗派の寺院で広く行われている化儀である。曼荼羅本尊の前に日蓮像を祀る化儀が人法一箇・日蓮本仏義の化儀を顕しているのなら、これは日蓮正宗寺院以外の寺院では行われていないはずだが、全くそうではない。日蓮正宗の言い分は、ただのこじつけに過ぎない。

又宗祖の像を祀って崇める化儀は、これも日蓮正宗や日蓮宗、法華宗などの日蓮を宗祖とする宗派に限ったことではない。浄土宗では法然像、浄土真宗では親鸞像を御影堂に祀り、真言宗でも弘法大師空海像を本堂に祀る寺院が多数ある。これらの宗派は、宗祖の像を本堂や御影堂に祀っているからといって、法然本仏、親鸞本仏、弘法大師本仏と崇めているわけではない。

大石寺以外の寺院で、曼荼羅本尊の前に日蓮像を祀る化儀を行っている池上本門寺の事例を見てみよう。池上本門寺の大堂には「臨滅度時本尊」の板本尊の前に日蓮・祖師像が祀られている。この日蓮祖師像は、国の重要文化財に指定されている。大堂の中にある説明書きには、次のようにあります。(大堂内は写真撮影禁止であるため、文章を書き出します)

「日蓮大聖人御尊像  日蓮大聖人第七回忌に当たる正応元年(1288)に造立されたもので、気魄に満ちた御顔は、ご生前の真容をよく伝え、肖像彫刻としても鎌倉時代の傑作の一つに挙げられている。像高二尺八寸三分の木彫寄木造り、ご胎内には御聖骨を納めた銅筒があり、右手には母君妙蓮尼の遺髪を加えて作られたものと伝えられる払子を、左手には紺紙金泥の法華経経巻を捧持。昭和二十年四月の大空襲にも難を免れた御尊像は、永遠に格護されるべき人類の至宝である」

大堂はかなり大きな建物で、間口十八間、奥行十九間半の広さは、日蓮宗寺院建築の中でも最大級の堂宇である。これより大きい建物というと、身延山久遠寺本堂が間口十七間半、奥行き二十八間ある。池上本門寺が刊行した正式文献「霊寶殿池上本門寺の御霊宝と文化遺産」によれば、日蓮・祖師像について、以下のように書いてあります。

「日蓮聖人御尊像  正応元年(1288) /重要文化財  日蓮聖人7回忌にあたり、六老僧の1人である日持聖人と日浄聖人が願主となって造立された等身大の坐像で、大堂に奉安されている。胎内には御真骨を収めた銅筒があり、その側面に『弘安五年壬午十月十三日巳刻 御遷化/大別当 大国阿闍梨日朗/大施主 散位大仲臣宗仲』他の刻名がある」

(「霊寶殿池上本門寺の御霊宝と文化遺産」p1)

池上本門寺大堂の祖師像は、現在、文化庁によって鑑定された日蓮祖師像の中では最も古い。大石寺の日蓮御影像も日蓮本仏義も、ずいぶん後になってからできたものである。

御会式22大堂
 

(板曼荼羅本尊の前に日蓮祖師像(木像)を祀る池上本門寺大堂)