■検証54・百六箇抄が偽書である証拠・日蓮本仏義の大ウソ24

 

□「日蓮大聖人」の称号(尊号)は日蓮本仏義の化儀でもなく日蓮本仏義の証拠でもない

 

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(日蓮正宗の妄説)

日蓮正宗では宗祖を「日蓮大聖人」とお呼び申し上げるが、この「大聖人」とは、仏の別号であり、また宗祖の自称である。法華経には「慧日大聖尊」とある。又宗祖は御書の中で「我身はいうにかひなき凡夫なれども御経を持ちまいらせ候分斉は当世には日本第一の大人なりと申すなり。」

「仏世尊は実語の人なり故に聖人大人と号す」「教主釈尊と申す大人にゆきあはせ給いてこそ仏にはならせ給いしか」「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」「日蓮は日本第一のふたうの法師ただし法華経を信じ候事は一閻浮提第一の聖人なり」とある。これにより大聖人号とは、宗祖の自称であり、仏の別号であることは明らかである。

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これまた日蓮正宗のこじつけ教学である。そもそも日蓮遺文の中に「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」「日蓮は日本第一のふたうの法師ただし法華経を信じ候事は一閻浮提第一の聖人なり」とあるからといって、「日蓮は大聖人号を自称した」と解釈するのは言い過ぎである。

又、法華経に「慧日大聖尊」、遺文に「我身はいうにかひなき凡夫なれども御経を持ちまいらせ候分斉は当世には日本第一の大人なりと申すなり。」「仏世尊は実語の人なり故に聖人大人と号す」「教主釈尊と申す大人にゆきあはせ給いてこそ仏にはならせ給いしか」とあるから、釈迦如来の別号が「大聖人」であるとしても、大石寺では「日蓮大聖人」と呼んでいるから、これは日蓮本仏義が古来からあった証拠だと言うのは、こじつけ教学、自慰教学も甚だしい。

まず第一に、「日蓮大聖人」の号を使っているのは、何も日蓮正宗だけでなく、日蓮宗や法華宗でも「日蓮大聖人」と言う言い方をする宗派・寺院もたくさんある。もちろん日蓮宗や法華宗は、日蓮本仏義を以て「日蓮大聖人」と呼んでいるのではない。例えば池上本門寺(日朗門流)では、在世の貫首・高僧を「上人」号で、滅後の貫首・高僧を「聖人」号で呼び、宗祖である日蓮は在世・滅後の全ての貫首・高僧よりも上位の師匠・祖師であるという意義を以て「大聖人」号で呼んでいる。決して日蓮本仏義を信奉して「日蓮大聖人」と呼んでいるのではない。当たり前のことである。

別の宗派では、下から、○○坊→○○院→○○上人→○○大上人→○○聖人と称している。

その他の日蓮宗や法華宗でも「日蓮大聖人」と言う言い方をする宗派・寺院の場合も、「聖人」「上人」号の貫首・高僧よりも上位の師匠・祖師であるという意義で「大聖人」号で呼んでいることについて、概ね大同小異である。浄土真宗では歴代門首を上人,親鸞と師の法然を聖人とよぶ。

したがって「大聖人」号そのものと日蓮本仏義は全くの無関係のものである。大石寺では「日蓮大聖人」号を使っているからといって、日興在世当時から日蓮本仏義が存在していたかのように言う日蓮正宗の義は全くの誤謬である。

 

 

□日蓮を六老僧の日昭、日朗、日興等よりも上位の聖人の意味で「日蓮大聖人」と呼ぶ日蓮宗

 

第二に、古文書等の文献など見ても日蓮に直接に会ったことのある弟子で、「大聖人」と言う言い方をしているものが、天目、日向等複数存在している。 (ただしこれらの文献には疑義のある文献もある)。もちろんこれらの弟子たちは日蓮を「本仏」と崇めていたわけではない。

第三に、大石寺門流の開祖・日興は日蓮「大聖人」とは呼んでいなかった。日興が弟子や信者に書き残した消息文(手紙)の中に、日蓮のことを「本師」「聖人」「法華聖人」「法主聖人」「御経日蓮聖人」「仏」「仏聖人」等と尊称して書いているが、「大聖人」とは書いていない。

第四に、天目、日向等の一部の日蓮の弟子が日蓮に「大聖人」号を使っていたのを除けば、日蓮を宗祖とする日蓮門下各宗派で「大聖人」号が一般的に使用されたのは、日蓮六老僧遷化の後、かなり時代が下った後になってからのことである。それは「上人」号「聖人」号の使い方と関連している。一般的には、在世の高僧を「上人」号で、滅後の高僧を「聖人」号で呼ぶのが一般的。日蓮門下の場合は、日蓮入滅の直前に、日蓮は六老僧を選定する。日蓮の入滅後、六老僧の日昭、日朗、日興等は「日昭上人」「日朗上人」「日興上人」と呼ばれるようになり、これに対して師匠の日蓮は「日蓮聖人」と呼ばれる。さらに時代が下って六老僧の日昭、日朗、日興等が遷化して、「日昭聖人」「日朗聖人」「日興聖人」と呼ばれるようになる。そうすると宗祖の日蓮も六老僧の日昭、日朗、日興等も「聖人」になってしまう他、この先に遷化する貫首・高僧も全員「聖人」ということになり、日蓮と同格になってしまう。これでは矛盾が生じるので、日蓮を「聖人」号よりもさらに上位の「大聖人」号で呼ぶようになったわけである。したがって日蓮を宗祖とする日蓮門下各宗派で「大聖人」号が一般的に使用されたのは、日蓮六老僧遷化の後、かなり時代が下った後になってからのことである。例えば、日興は、日蓮滅後に執筆した文献の中で「日蓮聖人」と呼び、あるいは消息文で「本師」「聖人」「法華聖人」「法主聖人」「御経日蓮聖人」「仏」「仏聖人」等と尊称して書いているのは、このためである。大石寺門流においても、日蓮を「聖人」号よりもさらに上位の「大聖人」号で呼ぶようになったのは、他の日蓮を宗祖とする日蓮門下各宗派と同様、日蓮六老僧遷化の後、かなり時代が下った後になってからのことである。日興は、日蓮滅後に執筆した文献の中で日昭、日朗、日向等の五老僧を何かと批判しているが、「日蓮を本仏と仰いでいない」とか「日蓮を『大聖人』号で呼んでいない」と五老僧を批判した文献は全くない。日興在世の時代から、大石寺門流に「日蓮本仏義」が存在したならば、日興は日蓮を「聖人」号よりもさらに上位の「大聖人」号で呼び、「日蓮を本仏と仰いでいない」とか「日蓮を『大聖人』号で呼んでいない」と五老僧を批判していたはずである。ところがそのような史実は全く存在しない。これは日興在世の時代に、大石寺門流に「日蓮本仏義」が存在していなかった何よりの証拠である。

本行寺入口1
 

(日蓮を『日蓮大聖人』と崇める日蓮宗大本山・池上本門寺)