■検証70・大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊と和泉公日法は全くの無関係である1

 

□大石寺の「戒壇大本尊」は和泉公日法が彫刻した板本尊だと言って信者を欺瞞する日蓮正宗

 

日蓮正宗大石寺では、奉安堂の須弥壇に、「最初仏」と称する高さ9.1センチの楠木で造った日蓮の小さな木像(御影像)を、「戒壇の大本尊」と称する板本尊とともに祀っている。日蓮正宗の公式文献に依れば、日蓮正宗では、「戒壇の大本尊」なる板本尊と「最初仏」と称する日蓮木像(御影像)は、日興の弟子で法華宗本門流本山・光長寺(静岡県沼津市岡宮)の開祖である日法(和泉阿闍梨日法・和泉公日法・彫刻阿闍梨日法・12581341)が彫刻したと自称している。日法とは日蓮から見ると孫弟子にあたり、静岡県沼津市岡宮・光長寺の開祖である。

日蓮正宗の公式文献を紐解いていくと、次のようなことが書かれている。

「或る時日法御影を造り奉らんと欲す。七面大明神に祈念し給ふ、感応の至りか浮木出来せり、此の木を以て戒壇院の本尊を造立し、次に大聖の御影を造ること己上三躰なり。其の一躰は纔に三寸なり、上行所伝抄の意なり。大聖戒壇院の本尊を書し日法之を彫刻す。今の板本尊是れなり。又、師細工に長ずる故に大聖の御影一体三寸に造立して是れを袖裏に入れ御前に出て言上して云く、願くは末代の聖人未聞未見の者の為に御影を写し奉らんと欲す、免許に於ては不日に造立すべしと、聖人此の像を取り掌上に置き之れを視なはし、笑みを含みて許諾す。日法、仏師鳥養助二郎、太郎太夫と云ふ者と共に日法之を彫刻し等身の影像即成す。但し背脊甚だ痛しとの給ふ故に御影の後皆釿名なり。此の因縁に因て生御影とも正御影とも号し奉ると申すなり。板本尊、生御影並に三寸御影、今富士に在るなり」

(大石寺17世日精の著書『家中抄』/大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集5巻』p244)

家中抄・日法伝1
 

「蓮祖満悦し本門戒壇の大御本尊を書して日法に命じ之を彫刻せしむ。日法材端を以て蓮祖の小影を作る。作り初の御影とも最初仏とも号す。右二種大石寺宝庫に安ず。蓮祖又日法に命じて等身の像を模刻せしむ。生御影と号し重須の寺に安ず。此の三種を師に付与せらる」

(大石寺48世日量の著書『富士大石寺明細誌』/大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集5巻』p320)

宝冊・戒壇本尊1
 

「一、日蓮聖人御影 居長三寸 一体

作初の御影と号す。又最初仏と称す。弘安二年、日法戒壇御本尊彫刻の時、右板の切端を以て末代の未聞不見の者の為に此の像を造り蓮祖の尊覧に備ふ」

(大石寺48世日量の著書『富士大石寺明細誌』/大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集5巻』p334)

宝冊・戒壇本尊2
 

 

□和泉公日法は静岡県や神奈川県から楠木をかき集めて日蓮に供養していない

 

このように大石寺の法主自らが書いた著書に、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊と「最初仏」なる日蓮木像は、日法が彫刻したと書いてある。

最近では日蓮正宗洗脳法華講員・まぬけ猫なる者が、「日法が静岡県や神奈川県から楠木をかき集めてきて日蓮大聖人にご供養している」などと言うなど、全く根も葉もない、証拠もない妄説を平気で言う者まで現れてきている始末である。

日法は大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊も「最初仏」なる日蓮木像も全く彫刻していない。又、静岡県や神奈川県から楠木をかき集めて来て日蓮に供養してもいない。そのような証拠は全く存在していない。日法が静岡県や神奈川県から楠木をかき集めて来たなどというのは、全く根も葉もない法華講員のでっち上げにすぎない。日蓮の孫弟子である和泉公日法と日蓮正宗大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊・「最初仏」・楠木は全くの無関係なのである。

戒壇大本尊3
 

(大石寺の「戒壇の大本尊」)

光長寺12日法墓
 

(静岡県沼津市岡宮・光長寺の和泉公日法の墓所)