■検証78大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊と和泉公日法は全くの無関係である9

 

□「戒壇の大本尊」日法彫刻説の文証「松野殿御書」は後世の偽書である2

 

「松野殿御書」なる文書は、一読して「こんなことを日蓮が書き残すはずがない」とわかる文書である。この文書の中に

「我が弟子の中に和泉阿闍梨と申す僧一人御座候、朝夕身を離れず給使奉事致さるる事比類なく秘蔵の弟子なり」

「定て弟子達うらやましくやもはんずらん、又はあだみそねみやすらん、免に角末代に於いて法華宗たらん者は日法一人を信仰せば日蓮を信仰するに成るべきなり。」

「一切衆生の中には日法一の人、第一の導師なり。上行初伝の寿量肝心是好良薬の妙法を口に唱へ入れ候へば、悪人女人如何なる人非人成り共、是人於仏道、決定無有疑、豈唐捐ならんや」

「日蓮が形を木像に造立せしむる日法は、末世の師匠孝行の手本たるべし。日興一人ならず日朗等に至るまで漸々丁聞せしむるなり。末世日蓮二度の出世とは此の木像を申すなり、頼母敷く思ひ候てをがませ玉へ」

と、これでもかこれでもかとばかりに日法讃歎の言葉が出てくる。あたかも日法が日蓮の後継者で、日法を信仰すれば成仏する。日法は六老僧の日興や日朗よりも上席だと言わんばかりである。

そもそも日蓮が、六老僧以外の一人の弟子をここまで讃歎した遺文(御書)は他に存在しない。

こんなことを日蓮が書き残すはずがないのである。さらにもっと「松野殿御書」という書物を深く検証していくと、歴史的史実に反する記載がいくつもある。

1 「松野殿御書」の中に日法のことを「和泉阿闍梨」と呼んでいるが、日蓮在世の時代に、日法は日蓮から「阿闍梨」号を授かっていない。日蓮が日法に授与した本尊が二幅残っているが、いずれも「沙門日法」「比丘和泉公日法」と日蓮は書いている。

2 1282(弘安5)1016日に日興が、日蓮の葬儀の様子を記した「宗祖御遷化記録」にも、日法を「和泉公」と書いているので、日蓮は日法に「阿闍梨」号を授与していなかったのは明らか。

3 「松野殿御書」では日法のことを指して「朝夕身を離れず給使奉事致さるる事比類なく秘蔵の弟子なり・・・」とあるが、日法の師匠筋の日興や日弁が熱原法難の時など、身延山におらず熱原の現地に赴いていたのに、孫弟子の日法が身延山の日蓮の側で給使していたなどということは考えられない。したがって「松野殿御書」にある、さまざまな史実に反する記述は、「松野殿御書」が後世の偽書である証拠である。 大石寺31世日因は、この「松野殿御書」を「珍書」であると言って「最初仏」や「重須寺の御影像」の文証としているが、日因より後代の法主である大石寺59世堀日亨は、この「松野殿御書」に注を加えて、

「此書全ク偽書ナリ」(『富士宗学要集』1p251)

松野殿御書2
 

と言って、「偽書」と断定している。 日蓮正宗大石寺の法主を歴任している堀日亨も「松野殿御書」を偽書と断定しているのである。これにより、偽書「松野殿御書」をたたき台にした「戒壇の大本尊」日法彫刻説など、デタラメであると結論されるのは当然のことであろう。

59世日亨2
 

(大石寺59世堀日亨)