■検証81・「冨士大石寺明細誌」の文は「戒壇の大本尊」日蓮造立・日法彫刻の証明ではない2
□「自筆の手形一通之有り」という「冨士大石寺明細誌」の記述の内容そのものがウソの記述
まず「冨士大石寺明細誌」の文であるが、大石寺59世堀日亨が「冨士大石寺明細誌」を編纂して「富士宗学要集」5巻に一字の誤りもなく収録している。それなので、そちらを引用したほうが正確である。
「一、日蓮聖人御影 居長三寸 一体……
…日法右板本尊並に此像を作り奉り称美の為に有職を彫尅阿闍梨と賜ふ、又此御影像日法作る所に相違無きの条自筆の手形一通之有り」
(大石寺48世日量執筆「富士大石寺明細誌」/大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』5巻p334~335)
この「冨士大石寺明細誌」の記述によれば、和泉阿闍梨日法は、自らが「戒壇の大本尊」なる板本尊と日蓮の御影を彫刻したことを証明する自筆の「手形」(証拠とする書き物・証文)を残したということになっているが、この「自筆の手形一通之有り」という「冨士大石寺明細誌」の記述の内容そのものがウソの記述である。それはなぜか。
(1) 日蓮正宗では、板本尊・御影・棟札等々の彫刻者の署名・判形は、板本尊・御影そのものに刻名・彫刻するのであって、別に文書にして残すことなど有り得ない。
これは「御影堂・棟札」「御影堂・板本尊」「御影堂・日蓮御影」「客殿・御座替わり板本尊」「六壺・板本尊」「大講堂・板本尊」等々、皆そうなっており、特に板本尊の場合は、そうである。
近年では1973(昭和48)年に、大石寺66世細井日達法主が池田大作に授与した「正本堂賞与本尊」を創価学会が模写・彫刻した板本尊とて、彫刻者の赤沢朝陽の署名が板本尊の「ほぞ」の部分に彫刻されていたことを、日蓮正宗自身が公表している。板本尊・御影・棟札等々の彫刻者の署名・判形は、板本尊・御影そのものに刻名・彫刻するのであって、別に文書にして残すことなど、しないのである。
(2) 「冨士大石寺明細誌」を『富士宗学要集』に収録・編纂した大石寺59世堀日亨自身が、「自筆の手形」の五文字に○印を付けて、「自筆の手形」そのものに重大な疑問を呈している。
なぜ堀日亨が疑問を呈しているかといえば、まさに日蓮正宗では、板本尊・御影・棟札等々の彫刻者の署名・判形は、板本尊・御影そのものに刻名・彫刻するのであって、別に文書にして残すということはしないからである。
(大石寺48世日量執筆「富士大石寺明細誌」/大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』5巻p334~335)
□「自筆の手形」の五文字に○印を付けて重大な疑問を呈している大石寺59世堀日亨
このように大石寺の法主自身が重大な疑問を呈している文書を、「戒壇の大本尊」の証明だと称して「証拠だ」と騒ぎ立てる日蓮正宗洗脳法華講員は哀れと言う以外にない。以上二つの点からして「自筆の手形一通之有り」という「冨士大石寺明細誌」の記述の内容そのものがウソの記述なのであり、「冨士大石寺明細誌」の文は「戒壇の大本尊」日蓮造立・日法彫刻の証明ではないと断ずるものである。
(大石寺59世堀日亨)
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