■検証83・手斧削りを根拠にした日蓮正宗大石寺66世法主細井日達の鎌倉時代造立説は欺瞞だ2

 

□手斧・丁鉋・鑓手斧の使用跡だけで鎌倉時代のものと断定するのは信徒騙しの欺瞞だ

 

現在でも木工作業に使われている鉋(かんな)は、江戸時代に発明されたものであることには間違いはない。この鉋(かんな)の発明は、かなり劇的なものだった。それは、それまでできなかった、木の表面をまっ平らに削ることを可能にしたのである。つまりそれ以前の手斧(てちょうな)丁鉋(ちょうな)鑓手斧(やりちょうな)といった木工工具では、まっ平らに削ることができなかった。どんなに削っても1ミリ~2ミリ程度のデコボコ、乃至、凹凸がどうしてもできてしまうのである。

したがって木の表面を見て、完全なまっ平らなのか、多少のデコボコ、凹凸があるが、を見て取れば、江戸時代以降にできたものか、あるいはそれ以前にできたものかは、判別することができると言えよう。つまり明確に判別できるのは、造立年代が、江戸時代以降か、それ以前か、なのである。  しかし日蓮正宗大石寺66世法主・細井日達の説法のように、木の表面のデコボコ、凹凸だけで鎌倉時代のものだ、などとは断定できるものではない。つまりこれから分かることは、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊は鉋(かんな)が普及した江戸時代以前に造立された、ということだけである。鎌倉時代に造立されたという証拠になるわけがない。 大石寺66世法主・細井日達はなんとしても「戒壇の大本尊」は鎌倉時代にできたものだ、と言いたいがために、こうした詭弁を言っているにすぎない。これは何も知らない信徒をだまそうとする欺瞞であると言わざるを得ない。

これを裏付けるためにわかり易い一例を言おう。大石寺客殿の中央に鎮座する「譲座板本尊」をよく見ていただきたい。この譲座板本尊は二祖日興が書した「御座替わりの御本尊」を江戸時代初期の法主が板に模刻したものであるが、黒漆(うるし)が塗ってある表面にはかなりの凹凸が見える。これはもちろん鉋(かんな)ではなく、丁鉋(ちょうな)鑓手斧(やりちょうな)といった古来の木工工具で削ってあるからだ。

しかしこれは、鎌倉時代のものではなく、江戸時代初期に造立されたものだ。鉋(かんな)は、江戸時代に発明されたといっても、現代のように、何か便利なものが発明されて世に出ると、あっと言う間に広まるといったものではなく、世間一般に広まるにはかなりの時間を要した。江戸時代初期といっても大石寺のある駿河地方には広まっていなかったのであろう。

この事例からしても、細井日達法主の欺瞞は明白と言えよう。

66世日達10
 

(日蓮正宗大石寺66世法主・細井日達)

戒壇大本尊3
 

(大石寺の「戒壇の大本尊」)