■検証58・百六箇抄が偽書である証拠・日蓮本仏義の大ウソ28

 

□大石寺9日有以前の大石寺には「日蓮本仏義」は存在していなかった1(日道の本仏感)

 

日蓮在世の時代はもちろんのこと、大石寺二祖日興以降、大石寺9世日有以前の大石寺門流に、「日蓮本仏義」は存在しなかった。これには明確な証拠がある。大石寺二祖日興の新六僧の一人で、大石寺4世法主の座に登座したとされる日道が、1332(元徳4)112日に筆録した「日興上人御遺告」を、自らの著書「三師御伝土代」に記している。「御遺告」とは、日興の遺言ということであるが、それを見ると、次のように記してある。

「日蓮聖人云く本地は寂光、地涌の大士上行菩薩六万恒河沙の上首なり。久遠実成釈尊の最初結縁令初発道心の第一の御弟子なり。本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧企劫、常住不滅、我本行菩薩道所成寿命、今猶未尽復倍上数の本仏なり」(「三師御伝土代」大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』5p11)

大半が経文等の引用文であるため、精密な現代語訳は省略しますが、「日蓮聖人云く本地は寂光、地涌の大士上行菩薩六万恒河沙の上首なり。久遠実成釈尊の最初結縁令初発道心の第一の御弟子なり」「本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧企劫、常住不滅、我本行菩薩道所成寿命、今猶未尽復倍上数の本仏なり」と、日興は、「御遺告」していた。日蓮は自ら「日蓮は上行菩薩の再誕であり、久遠実成釈尊の第一の御弟子であること、そして久遠実成無作三身の本門教主が本仏である」と言っていたことを、日興は弟子たちに遺言していたというのである。これによれば、「本仏」は「久遠実成無作三身」の「本門教主」ということになり、日蓮はあくまでも「地涌の大士上行菩薩六万恒河沙の上首」ということになる。これは日興の本仏感であると同時に、この「日興上人御遺告」を自らの著書「三師御伝土代」に記載した大石寺4世日道の本仏感でもあるということになる。日蓮、日興、日目、日道の代に「日蓮本仏義」なる教義が本当に存在していたら、日道は「三師御伝土代」に、こんな記述をしなかったはずである。あるいは日興が日蓮を「本仏」と仰いでいたならば、こんな「御遺告」をするはずがない。日興は、日興から原弥六郎への返状「原殿書」と「五人所破抄」で、次のように言っている。

「此れのみならず日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一二人書き奉り候へども未だ木像は誰も造り奉らず候に」(「原殿書」/大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』8P1011)

「夫れ日蓮聖人は忝なくも上行菩薩の再誕にして本門弘通の大権なり」(「五人所破抄」平成新編御書全集p1879)

「つらつら聖人出世の本懐を尋ぬれば、源権実已過の化導を改め、上行所伝の乗戒を弘めんが為なり。図する所の本尊は亦正像二千の間一閻浮提の内未曽有の大漫荼羅なり」

(「五人所破抄」平成新編御書全集p1879)

ここで日興ははっきりと「日蓮聖人は忝なくも上行菩薩の再誕」と言明している。

 

 

□古文書の文の表面だけを追い続けて我流の説を立てる東佑介氏の説は的外れな説である

 

日興が「日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来」と言っていることは、この時代に「日蓮本仏義」なるものも、全く存在していなかった証拠である。日興は日蓮を本仏と崇めておらず日蓮を「上行菩薩の再誕」として尊崇していたのである。つまりこれらの文からすると、大石寺門流で「日蓮本仏義」が偽作された時期は、少なくとも大石寺5世日行以降ということになる。それでは大石寺5世日行、6世日時、7世日阿、8世日影に到るまでの大石寺法主の、本仏感等における教学的意識は、余りにも史料に乏しいことから、残念ながら明瞭ではない。しかし大石寺5世日行、6世日時、7世日阿、8世日影の大石寺歴代法主が、「日蓮本仏義」を唱えていたとする、明確な文献的証拠は全く存在していない。

日蓮宗系の大石寺教学研究者・東祐介氏が、大石寺9世日有が「聞書拾遺」という文の中に

「若しも世の末にならば高祖御時之事、仏法世間ともに相違する事もやあらんとて日時上人の御時四帖見聞と申す抄を書き置き給ふ間我か申す事私にあらす、上代の事を不違申候」(「聞書拾遺」歴代法主全書1p426)

と書いていることに注目し、大石寺9世日有の教学は大石寺6世日時が上代の法義を違わずに編纂したという「四帖見聞」という文書に基づくものであったという言説から、東祐介氏は、日蓮本仏義の所見は、従前から論じられてきた大石寺9世日有の代ではなく、それよりも若干、遡った大石寺6世日時の代なのではないかという仮説を立てている。

しかし残念ながら、大石寺6世日時が上代の法義を違わずに編纂したという「四帖見聞」なる文書は、全く散逸してしまったのか、今日には伝わっておらず、大石寺9世日有教学の土台になったとされる「四帖見聞」に、どのような教学が記載されていたのかは、全く不明である。大石寺6世日時は、1388(嘉慶2)年、日郷門流によって小泉久遠寺に持ち出された日蓮御影の代替の御影を造立している。しかし御影造立=日蓮本仏義とは、直截に断定できない。又、そのような根拠も証拠も薄弱であり、東佑介氏の日蓮本仏義・日時初見説は、説得力に欠けている。

東佑介氏の説は、仏教法義・教学そのものを全く検証せずに、古文書の文の表面だけを追い続けて、我流の説を立てるため、ことごとく的外れな解釈になっている。そもそも偽作の検証は、古文書の表面に書いてある文だけを読んで、あれこれ解釈しても検証・研究にならない。

本尊や古文書の偽作の検証・研究は、仏教法義、教学、宗学から日本の政治、歴史、人物像、文化、経済、仏教史等々、ありとあらゆる側面からの検証・研究が必要になる。決して古文書の文の表面だけを追い続けるだけでは、偽作の検証は成り立たない。ありとあらゆる側面からの検証・研究を行わずに偽作問題に取り組んでも、行き着く先は、行き詰まって著しく的外れな結論を生み出すだけである。こんな検証・研究はまさに「百害あって一利無し」。東佑介氏の「日蓮本仏義・日時初見説」もまさにこれなのである。

2祖日興1
 

(日興)