■検証59・百六箇抄が偽書である証拠・日蓮本仏義の大ウソ29

 

□大石寺9日有以前の大石寺には「日蓮本仏義」は存在していなかった2(五人所破抄見聞)

 

日蓮の死去から約百年後の1380(康暦2)年に富士門流の本山寺院・富士妙蓮寺(現・日蓮正宗本山・富士山妙蓮寺)の五代住職・日眼が書いたと伝えられる「五人所破抄見聞」という書物に

「威音王仏と釈迦牟尼とは迹仏也、不軽と日蓮とは本仏也。威音王仏と釈迦仏とは三十二相八十種好の無常の仏陀、不軽と上行とは唯名字初信の常住の本仏也」(大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』4p1)と、「日蓮本仏義」が説かれており、さらに

「日興も寂を示し玉ひ次第に譲り玉ひて、当時末代の法主の処に帰り集る処の法華経なれば法頭にて在す也」(大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』4p9)

と、法主信仰的な表現の文が見られることから、これを証拠に日蓮正宗側では、「日有上人以前のむ上古の時代から日蓮本仏義はあった」と主張する。しかし、この「五人所破抄見聞」なる文書は、妙蓮寺5代住職・日眼の著書ではなく、後世の者が偽造した文書なのである。

まず「五人所破抄見聞」なる文書は、富士妙蓮寺五代住職・日眼の真筆文書は存在せず、『富士宗学要集』4巻に「五人所破抄見聞」を編纂・収録した大石寺59世堀日亨の意見によると、古来から伝わっている「五人所破抄見聞」写本と称するものには、通読しがたいほどの錯誤や誤りが多数あり、現行の『富士宗学要集』に収録されている「五人所破抄見聞」は、堀日亨が大胆に編集・編纂したものであるという。 したがって『富士宗学要集』4巻に収録されている「五人所破抄見聞」の文そのものを、そのまま14世紀後半の富士門流の文と解釈することはできない。

宮崎英修氏の説によると、「五人所破抄見聞」の内容からして、明らかに1470(文明4)年以降でなければ書けない記述があり、日眼の著書説に対して、重大な疑問を投げかけている。

興風談所・池田令道氏の説によると、「五人所破抄見聞」では、従来からの日蓮正宗を含めた富士門流の所伝と異なる日昭・日朗・日興・日頂・日持の五人の身延離山説を唱えていること、この五人離山説の発祥は、京都要法寺の日尊門流であって、日尊門流出身の大石寺僧侶・左京阿闍梨日教の著書「百五十箇条」にも見られることなどからして、「五人所破抄見聞」は左京阿闍梨日教の「百五十箇条」の成立以降に書かれたものではないか、としている。

さらに決定的な証拠なのは、この「五人所破抄見聞」の末尾の文に次のようにあることだ。

「伝写本云 康暦二庚申年六月四日書畢 本化末弟日眼 在御判」

この「康暦二」と「年」の間に「庚申」という干支を書き入れるような用法は、戦国時代から江戸時代にかけて一般的に定着していく、というのが古文書学説上における定説なのであり、それからすると1380(康暦2)年に、「康暦二庚申年六月四日」といった書き方はされない。したがって、この「五人所破抄見聞」の末文は、1384(至徳1)年に死去している妙蓮寺五代住職・日眼の筆ではなく、後世の時代の人の筆ということになる。

 

 

□「五人所破抄見聞」筆者は大石寺9世日有と同時代の西山本門寺8代日眼説のほうが有力

 

池田令道氏は、興風談所発行「興風」20(200812月号)の中に寄稿した「西山本門寺八世日眼に関する考察」と題する論文の中で、「五人所破抄見聞」は西山本門寺八世日眼の作であるとの説を唱えている。池田令道氏の「五人所破抄見聞」西山本門寺八世日眼説の根拠は

□「日眼御談」の作者が西山本門寺八世日眼であること

□「心底抄」「用心抄」を書写していること

□本迹勝劣・種脱勝劣・本因妙思想等が説かれている「法華本門弘通得意」の講述者「大法律師日眼」と大石寺9世日有「下野阿闍梨聞書」の「大法律師」と「日眼御談」の作者・西山本門寺八世日眼が同一人であること

□大石寺9世日有「下野阿闍梨聞書」の「大法律師」は大石寺9世日有と交流があったこと

等々を挙げている。これらのこと等からして、「五人所破抄見聞」の「日眼」とは、富士妙蓮寺5代貫首・日眼ではなく、大石寺9世日有とほぼ同時代を生きた西山本門寺8代貫首・日眼(文明1848日死去)であるという説のほうが説得力がある。そのほうが、宮崎英修氏の「1470(文明4)年以降でなければ書けない記述がある」という説とも符合する。又、池田令道氏の「『五人所破抄見聞』は左京阿闍梨日教の「百五十箇条」の成立(文明12)以降に書かれたもの」という説とも符合する。大石寺門流で最初に「日蓮本仏義」を唱えたのが、「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作した大石寺9世日有であることからして、宮崎英修氏や池田令道氏の説のように、「五人所破抄見聞」とは、大石寺9世日有の時代以降における作であろうと考えられている。

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宮崎英修(19151997)

昭和十二(1937)年三月、立正大学文学部(宗学科)を卒業。

立正大学仏教学部教授、同日蓮教学研究所長、日蓮宗現代宗教研究所長、身延山大学学長、日蓮宗勧学院長などを歴任。 立正大学・身延山大学名誉教授、文学博士。

「波木井南部氏事跡考」「法華の殉教者たち」「日蓮とその弟子 」など、たくさんの著書がある。

 

池田令道

元日蓮正宗の僧侶、在勤教師会のメンバー、現在は「興風談所」で、日蓮宗学、富士門流宗学研究に取り組んでいる。

 

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西山本門寺28客殿
 

(西山本門寺)

59世日亨2
 

(大石寺59世堀日亨)