■検証122・いかにして大石寺9世日有は漆を入手し「戒壇大本尊」に漆加工を施したのか7

 

□大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」偽作に使った漆・漆職人はどこの漆・漆職人なのか2

 

この:現代日本の漆工芸品の産地の中で、大石寺9世日有の時代から漆器の生産が盛んで、なおかつ大石寺9世日有と繋がりがあると考えられるのは、京都の京漆器、そして岩手県や秋田県の漆器である。大石寺9世日有と京都の接点は、大石寺9世日有は1432(永享4)3月、京都の室町幕府へ国家諌暁の申状を上呈するために京都に上洛していること。

大石寺9世日有と東北の接点は、北関東・東北地方に、室町時代からの古い歴史を持つ日蓮正宗寺院の存在があり、大石寺9世日有自身も法主に登座してから、東北地方に巡教しているということがある。同じように大石寺9世日有との接点が考えられる会津漆器や新潟漆器、春慶塗といったものは、大石寺9世日有の時代にはまだ存在していなかった。したがって、有力なのは、京都の京漆器、そして岩手県や秋田県等の東北地方の漆器である。

「漆を科学する会」によると、日本では岩手県や茨城県,新潟県,栃木県などが主な産地で、このうち,岩手県が全生産量の約70%を占めているという。平成8年度の林野庁の統計によると岩手県(1850.0kg),茨城県(830.0kg),新潟県(281.0kg),栃木県(86.0kg)などで計3189.6kgとなっている。

福島県喜多方市の「喜多方うるし美術博物館」によると、 福島県喜多方市の漆の生産の歴史は、約500年前の昔(1400年代)にまで遡るという。 室町戦国期に大名芦名氏が、漆樹植栽を奨励。さらに1590(天正18)年、蒲生氏郷が近江国(滋賀県)から、漆の生産のために木地師と塗師を招いたという。永原慶二氏の著書「日本の歴史10・下克上の時代」によると、14081428年ころ成立したとされる「庭訓往来」という書物から1400年代のころの地方の特産品として「奥漆」が記載されており、東北地方の漆をあげている。

「日本漆工の研究」という本によると、全国各地の漆工芸の歴史についての記述がある。これによると大石寺の地元の静岡県の場合は、静岡漆器は今川氏の時代にすでに生産していたと書いてあるのだが、しかし本格的に静岡漆器が発展の途についたのは、1634(寛永11)年に徳川家光が浅間神社を造営した時に、諸国の漆工を駿河に招集して社殿を建設させたのだが、浅間神社竣工後も駿河に永住する者が出て、この漆工が静岡漆器の基盤となって順次発展の途についたものと書いてある。 となると、大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作するに当たって、静岡漆器の漆工を使った可能性は非常に低いといえるだろう。

大石寺9世日有の時代以前から日蓮正宗寺院がある東北・北関東地域は、栃木県、福島県、茨城県、宮城県、岩手県であるが、その中で漆、漆工芸品の生産が盛んだったのは岩手県である。

日蓮正宗末寺はないが、岩手県のとなりの秋田県の川連漆器も1193(建久4)年にはじまったという歴史をもっている。

 

 

□大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」偽作に東北・北関東の漆を使った可能性は低い

 

福島県の会津漆器は、室町時代の芦名氏が領主だった時代に椀類やその他の漆器を生産したことがはじまりだという。

栃木県の日光彫は、徳川家康の日光廟造営の際に、諸国の漆工が日光に集まり、日光廟が竣工後も永住して日光彫の基礎を築いたのがそのはじまりであるという。

茨城県の粟野春慶塗は、1491(延徳3)年、稲川山城守源義明の発明であるという。

宮城県の場合は、仙台市が伊達家の居城となるや東北における文化の中心になり、漆工芸も大いに発達し、伊達家には漆工芸の逸品を多数所蔵しており、伊達家累代の廟所である瑞鳳殿の装飾は蒔絵を施し壮麗を窮め畳下の床も黒漆になっている。したがって宮城県の場合も、伊達家が領主になって以降のことと考えられる。岩手県の浄法寺椀・正法寺椀の生産は、鎌倉時代にはすでに行われていたとされている。浄法寺椀の起源は浄法寺町御山の天台寺において自家用の漆器を生産したことがはじまりだという。浄法寺町御山の天台寺という寺は、作家でもある瀬戸内寂聴氏がかつて住職を務めていた寺である。これが大石寺9世日有との直接的な関係を模索してみると、大石寺9世日有の東北巡教が挙げられる。

こうして見ると、漆の生産が多い地域と、大石寺9世日有の時代以前から、東北・北関東に日蓮正宗寺院が散在している地域が、わりと重なり合うのである。

大石寺9世日有の時代以前からある東北・北関東に散在している日蓮正宗寺院とは、奥州宮野(宮城県栗原市)の妙円寺、下総(茨城県古河市)の冨久成寺、会津黒川(福島県会津若松市)の実成寺、下野平井(栃木県栃木市)の信行寺、下野金井(栃木県下野市)の蓮行寺、などである。

実際に、大石寺9世日有は日蓮正宗大石寺法主の在職中に、奥州方面に巡教に出かけていることが日蓮正宗大石寺の文献に載っている。

これらのことから、まず大石寺9世日有は、湯之奥金山の金の経済力を背景にして、これらの地方の日蓮正宗寺院や信者を足掛かりにして、漆を入手していたという説が考えられる。

ただし時系列的に考えると、大石寺9世日有の東北巡教は、「戒壇の大本尊」なる板本尊偽作の後に行われた可能性のほうが高いので、東北地方の漆説は、いまひとつ説得力に欠ける。

9世日有4(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)

漆器会館4
 

(輪島市・輪島漆器会館)

漆芸美1
 

(石川県輪島漆芸美術館)

戒壇大本尊1大正4年由井本1
 

(大石寺『戒壇の大本尊』)