□こんな「ウソっぱちの法華講員50%増」をやってどこが公益法人の目的に適うのか

 

日蓮正宗では、すでに20153月に大石寺で行う「日興生誕770年記念法要」ならびに「法華講員50%増『偽りの達成宣言』大会」の計画を発表。2014610日に日蓮正宗宗務院が全国住職・主管宛てに発した「九者別報告書の提出について」と題する通達の中で、何と

「一、檀信徒名簿に登録した法華講員が、転居先不明となった場合、宗規第223条の除籍規定によらない限り、住職・主管の判断で檀信徒名簿から削除することはできない。…

二、宗規第220条のとおり、日蓮正宗の檀信徒は全員が法華講員である。したがって通称『墓檀家』『檀徒』も法華講員であり、当然所属檀信徒の世帯数・人数に含まれる。住職・主管の判断で、墓檀家の世帯数・人数を法華講員から除外することのないよう注意すること。但し、墓地使用者の中で、他寺院所属の信徒、及び本宗信徒以外の者は、所属檀信徒には含めない。」

と記し、実質的に日蓮正宗の信仰を放棄した人、日蓮正宗から離檀した人から日蓮正宗宗門寺院を去って正信会寺院に行った「檀徒」まで含めて、法華講員50%増達成を宣言しようという、驚くべき「裏技」を使う方針を打ち出している。「転居先不明者」などと言えば聞こえはいいが、この中に日蓮正宗の信仰を放棄して、寺院に行き先を告げずにどこかに行ってしまった人が入っているのは明らか。なぜならば、通常、法華講員が転居した場合は、所属寺院に届け出る。転居によって一時的に住所がわからなくなった場合でも、寺院に参詣している人であれば、その人が寺院に来たときに転居先を聞くので、住所が判明する。他の日蓮正宗寺院に移籍した場合は、移籍した先の寺院が、信徒の住所等を把握している。だから普通に法華講員として信仰活動をしている人で、転居先不明になるなどということはあり得ない。したがって、寺院の信徒名簿に名前が残っていながら、転居先不明になっている人とは、日蓮正宗の信仰を事実上放棄した人以外にあり得ない。日蓮正宗宝浄寺の元信徒で、現在、滋賀県琵琶湖畔の某寺に住む某僧も、2009年に

「正確に言えば、わたしは法華講をやめていませんよ。 末寺の役職を辞退しただけで、脱講届も出していません。 また、大石寺から信徒除名にもなっていません。 あしからず。 」と、インターネット上での書き込みが発覚。離檀手続きも何もせずに、日蓮正宗信徒としての籍が残っていることが発覚した。この僧の場合も、宝浄寺からすれば「転居先不明者」ということになり、20153月の「法華講員50%増」のカウントでは、法華講員としてカウントされることになるようだ。

さらに「檀徒」までも法華講員としてカウントするというのも全く驚きという以外にない。檀徒とは、197080年代にかけて、創価学会を脱会して日蓮正宗寺院信徒になった人たちのことだが、1970年代は、今の正信会寺院も日蓮正宗寺院として機能しており、又、日蓮正宗宗門寺院にも、多数の檀徒が所属していて、「檀徒会」という団体を組織していた。これが正信会の創価学会批判や大石寺67世阿部日顕の血脈問題による混乱で、正信会寺院から宗門寺院へ、宗門寺院から正信会寺院へ移る信徒が続出。この当時は、今のように日蓮正宗「宗規」の中で、檀信徒の条項が整備されておらず、日蓮正宗寺院信徒=法華講員でもなかった時代のこと。

 

 

□「戒壇大本尊」偽作570周年を飾る最適のイベントは大石寺9世日有偽作を認めることだ

 

だから日蓮正宗宗門寺院から正信会寺院に移っていった人の大半は、離檀手続きをしたわけでもなく、宗門側には何も言わないで正信会寺院へ移って行った人もいる。その人達は、宗門寺院に、「檀徒」として名前が残っている。あるいは1980年代以降、正信会寺院が日蓮正宗宗門寺院として復帰したケースもあり、そこにも「檀徒」が名簿として残っているケースがある。そういう「檀徒」も全て法華講員としてカウントしてしまおうという大石寺68世早瀬日如の謀略である。実質的に富士門流執着軍団や正信会に行った人まで「併合」して「法華講員50%増」をやってしまおうという日蓮正宗の腹づもりがミエミエである。こんな謀略をやっておいて、2015年の「新年の辞」で、現職法主の大石寺68世早瀬日如は

「全国の成果を総計すると、(2014)10月末には50%増の誓願を達成して、広布へ向けて大きく前進することができました」(『大日蓮』20151月号の新年の辞)

と言って大見得を切り、隠居法主の大石寺67世阿部日顕は

「全宗門のみのような広布前進の態勢に対し、いかに日興上人がお悦びでありましょうか。これこそ上人に対し奉る真の御報恩の実証である」(『大日蓮』20151月号の新年の辞)

と言って、絶賛しているから、全く呆れ果てた話しである。こんなことをやって、一体、何になるというのだろうか。公益法人の所業として、ふさわしい振る舞いだろうか。これが宗教法人法に定める「信徒の教化育成」だとでも言うのか。全く呆れ果てた所業だと言わざるを得ない。

日蓮正宗は、こんな「ウソっぱちの法華講員50%増」よりも、目を向けなければならない歴史の真実がある。それは2015年は、1445年に大石寺9世日有によって「偽作」造立された「戒壇の大本尊」偽作570周年に当たるということである。大石寺9世日有は「戒壇の大本尊」偽作を、大石寺信徒の目から覆い隠すため、「戒壇の大本尊」なる板本尊偽作と同時に、もう一体の板本尊、すなわち「御身代わり板本尊」を彫刻・製造した。大石寺宝蔵の中で、本当は「戒壇の大本尊」と「御身代わり板本尊」を彫刻・製造していたにもかかわらず、「『戒壇の大本尊』の御身代わり板御本尊をおつくり申し上げております」とごまかして、「戒壇の大本尊」偽作のほうを秘匿・隠蔽することが可能になる。「御身代わり板本尊」だけを彫刻・製造していたのだと、ごまかせるのである。

御身代わり板本尊には、「文安二年乙丑十一月六日」の日付が入っているが、これから推するに、大石寺9日有が「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作した時期とは、文安二年(1445)11月ころだったと推定できるというわけである。したがって201511月は「戒壇の大本尊」偽作570周年に当たる。大石寺が本当にやらなくてはならないのは、「ウソっぱちの法華講員50%増」「偽りの達成宣言」などではない。本当は「戒壇の大本尊」は大石寺9世日有が偽作した板本尊であるにも関わらず、「日蓮大聖人の出世の本懐」などという「不正表示」「不当表示」を即時中止し、「戒壇の大本尊」は大石寺9世日有が偽作した板本尊であると認めることだ。これが「戒壇の大本尊」偽作570周年を飾る最もふさわしい大石寺の一大イベントになることだろう。

戒壇大本尊1大正4年由井本1
 

(2015年で偽作570周年を迎える『戒壇の大本尊』)

9世日有4(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)