「大石寺の『戒壇の大本尊』なる板本尊は日蓮真筆ではない。後世の偽作だ」PART2は、検証86135までをまとめたものであり、

「大石寺の『戒壇の大本尊』なる板本尊は日蓮真筆ではない。後世の偽作だ」(検証185)

のつづきということになります。

 

大石寺に格蔵されている「戒壇の大本尊」なる板本尊は、まさに日蓮正宗の誑惑・欺瞞の根幹を成しているものであり、日蓮正宗の信者たちは、大石寺に参詣して「戒壇の大本尊」なる板本尊の御開扉を受けることを、自分たちの信仰活動の究極と位置づけている。

そして日蓮正宗の信者たちが、大石寺に参詣して「戒壇の大本尊」なる板本尊の御開扉を受ける時に差し出す御開扉冥加料と供養金は、まさに日蓮正宗・大石寺を支える主要財源になっているのである。

つまり、「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊が、日蓮正宗という宗教を成り立たせているという言い方ができる。

戒壇本尊1



又、かつては日蓮正宗にいたが、その後に日蓮正宗から破門された創価学会・SGI、顕正会、正信会といった団体も、大石寺には参詣できないものの、しかし今でも日蓮正宗と同様に、「戒壇の大本尊」なる板本尊が彼らの信仰活動・宗教活動の根本の本尊であると位置づけ、しかも創価学会、顕正会、正信会のいずれもが、信者に下附する本尊を「戒壇の大本尊」なる板本尊の「写し」であり、分身散体であると位置づけて、信者から供養金を取っているのである。

したがって、「戒壇の大本尊」なる板本尊は、日蓮正宗・大石寺門流のみならず、破門された創価学会、顕正会、正信会の信仰活動・宗教活動の根本の本尊でありつづけ、それらの団体を成り立たせている中心本尊なのである。

 

しかも、日蓮正宗が、創価学会、顕正会、正信会に対して行った「破門」も、まさに「戒壇の大本尊」なる板本尊に参詣して内拝ができるかできないかが重要な分水嶺になっているのであり、まさにここから、日蓮正宗系宗教団体の信者の家族の絆・肉親の絆が引き裂かれ、日蓮正宗系各教団による強引で執拗な折伏・勧誘の渦中で、日蓮正宗と一般世間とのはざまで、日蓮正宗と創価学会・顕正会・正信会の間の戦争のはざまで悩み、泣き、死ぬほど苦むという「日蓮正宗の悲劇」が起こっているのである。

「戒壇の大本尊」なる板本尊は、世間巷の神社仏閣で見られるニセ御神体やニセ漫荼羅といったものとは、わけがちがうのである。

したがって、「戒壇の大本尊」なる板本尊の正体を暴き、世間天下に知らしめて日蓮正宗を追及・批判することは、日蓮正宗批判の根本なのである。

又、「戒壇の大本尊」なる板本尊が後世の偽作であり、日蓮の教義や布教とは何の関係もないものであることを暴いて明らかにし、徹底的に追及していくことをしないで、日蓮正宗系宗教団体に対して実効性のある批判・追及など、有り得ない。

日蓮正宗批判・追及は、「戒壇の大本尊」なる板本尊の偽作論からスタートし、偽作論で終了するものといっても過言ではあるまい。

 

日蓮正宗が成り立っている根幹は、まさに「戒壇の大本尊」なる板本尊である。日蓮正宗の欺瞞と宗教詐欺の陰謀は、「戒壇の大本尊」なる板本尊と表裏一体になっているのだ。

この先、日蓮正宗が産み出しつづけている悲劇を食い止めるためにも、大石寺九世日有が行った「戒壇の大本尊」なる板本尊の偽作という悪質な欺瞞と宗教詐欺の陰謀を徹底的に暴いていく必要があるのであるのである。