□政治権力からの独立路線は19702000年代の創価学会批判の反省を踏まえたもの

 

「アンチ日蓮正宗」の基本方針・基本政策のひとつに「政治権力からの独立」「政治家からの独立」路線というものがある。これは1970年代から2000年代における創価学会批判活動・カルト宗教批判活動の反省点を踏まえたものであるが、「政治権力からの独立」「政治家からの独立」路線とは、「アンチ日蓮正宗」をはじめとする日蓮正宗・創価学会・顕正会等の「日蓮正宗系」批判、カルト宗教批判は、政治活動は一切不要だとの政治活動不要論を唱えたものではない。「政治権力からの独立」「政治家からの独立」路線とは、政治や政治家、国会議員、地方首長、地方議会議員とは一切関わらないという意味でもない。政治活動を行うことや政治家への働きかけを行うことと、「政治権力からの独立」「政治家からの独立」とは全く別次元の話しである。ここは間違えないでいただきたいものである。では1970年代から2000年代における創価学会批判活動・カルト宗教批判活動の反省点を踏まえるとはどういうことなのか。

かつて創価学会批判を展開する四月会、憲法20条を考える会、政治と宗教を考える会、政教分離を考える会等、さまざまな団体、政治団体があった。四月会も憲法20条を考える会も、当初は積極的に創価学会批判、政教一致批判を展開し、自民党議員を中心に1995年の宗教法人法改正問題が国会で議論された時、池田大作・国会参考人招致を盛んに盛り上げていた。しかし池田大作・参考人招致は実現せず、かわって秋谷栄之助会長の参考人招致で終わった。

この当時はたしかに自民党は、積極的に創価学会批判、政教一致批判を行っていた。なぜ創価学会批判を積極的に行っていたのかというと、1993(平成5)年の細川護煕連立内閣の成立で、自民党が野党に転落して、公明党が与党入りしたこと。1995(平成7)年のオウム真理教・地下鉄サリン事件をはじめ数々の凶悪犯罪で、宗教団体や宗教法人法に対する世間の風当たりが強くなったこと。かつてオウム真理教が政界進出を試みたことがあったことから、創価学会の政治進出にも批判の矛先が向けられたこと。こういった裏事情があった。

しかし自民党は政権与党に復帰したものの、結局は池田大作・参考人招致を実現できず終い。1998(平成10)年・参議院選挙で自民党の惨敗で衆参ねじれ現象が生まれたことから、自民党は小沢一郎自由党と連立。さらに1999年に公明党と連立する自公連立が今日までつづいている。

自民党と公明党が連立内閣を組んだことで、四月会も憲法20条を考える会も実質的に瓦解。自民党議員を中心に盛り上がってきていた創価学会批判は、ここに実質的に終焉を迎えた。もちろん白川勝彦氏らは、自公連立に反対して自民党を離党しているが、1999年の自公連立の成立で、自民党主導の創価学会批判はここに終焉を迎えたのである。

仮に現在の自公連立が解消して自民党が創価学会批判をはじめても、また参議院で与党議員の数が過半数に届かないということになると、また自公連立復活と言うことになる。そうなればまた自民党主導の創価学会批判は破綻する。もちろん、自民党からすれば、「参議院で与党議員の数が過半数に届かないのだから、公明党に協力してもらわなければ、政治が前に進まない」という事情はあるが、しかしこれは公明党が国会で議席を持っている限り、半永久的に起こりえることだ。

 

 

□特定の政治家や政党、政治権力に迎合ではなく大衆世論の支持に立脚した運動であるべき

 

つまり、こういう歴史から学んだことは、「政治家主導・権力迎合の創価学会批判では失敗する」ということ。反創価学会・創価学会批判は、政治権力や政治家から独立していなければならない、ということである。だから「政治権力からの独立」「政治家からの独立」路線とは、「アンチ日蓮正宗」をはじめとする日蓮正宗・創価学会・顕正会等の「日蓮正宗系」批判、カルト宗教批判は、政治活動は一切不要だとの政治活動不要論を唱えたものではないし、政治や政治家、国会議員、地方首長、地方議会議員とは一切関わらないという意味でもない。

1970年代から2000年代における創価学会批判活動・カルト宗教批判活動の反省点は他にもある。第一は、当時の創価学会批判、カルト宗教批判は、主として評論家、学者、ジャーナリスト、宗教家が主体であり、創価学会から脱会して「日蓮正宗系」団体をカルトサーフィンした信者が深く関わっていた部分が多分にあり、一般大衆から広く支持されたものとは言えなかった。したがって、「日蓮正宗系」批判、カルト宗教批判は、政治権力や政治家に迎合することではなく、大衆世論に訴え、大衆世論から広く支持されるものでなければならない。国会議員や地方議会議員もは選挙で選出されているわけだから、大衆世論が沸き上がれば動かざるを得なくなる。よって大衆世論の支持を広げることが大きな課題になる。

第二に、政治家を動かすためには、明確な目的がなければならないということ。例えば「創価学会問題を国会で取り上げろ」「池田大作を証人喚問しろ」というのは1970年代から叫ばれてきたが、これだけでは「何のために」が不明確で、説得力に欠ける。そうではなく、カルト対策の法整備のため、法案審議のために、カルト宗教問題を取り上げ、宗教団体指導者、法主、会長、教祖を参考人招致や証人喚問するということでなければ、カルト対策も、カルト対策法整備も進まない。もちろん参考人招致や証人喚問のために法整備をするのではなく、カルト宗教問題対策の法整備のために、国会でカルト宗教問題を取り上げ、参考人招致や証人喚問が必要になるということである。

第三に、政治家・議員を動かすには、自民党、社会党、民主党といった特定政党だけに偏って働きかけ等を行うのではなく、公明党以外の全ての政党・全ての政治家に対して働きかけを行うべきであること。特定の政党だけに偏って「日蓮正宗系」批判、カルト宗教批判の働きかけを行っていると、政治情勢等の変化により、公明党と連立を組む政党が出ると、政治の世界における「日蓮正宗系」批判、カルト宗教批判の動きが再び頓挫してしまう。過去におけるむ社会党と公明党の連立、自民党と公明党の連立がそうである。したがって特定の政党だけに偏った働きかけを行うべきではない。「アンチ日蓮正宗」としても、カルト宗教対策の法整備を目指していくものが当然ある。これを推し進めていく場合でも、特定の政治家や政党、政治権力に迎合するのではなく、あくまでも大衆世論に訴え、大衆世論の支持に立脚した運動を進め、「アンチ日蓮正宗」や大衆の側から政治を動かしていくこと。これが「アンチ日蓮正宗」の「政治権力からの独立」「政治家からの独立」路線の意味である。

アンチ日蓮正宗6