■検証129・大石寺9世日有が大石寺門流ではじめて行った京都天奏6

 

□山本太郎事件で白日のもとに証明された日蓮正宗が信徒に教える教学・宗史のデタラメさ

 

201311月に東京・赤坂御苑で行われた園遊会で、山本太郎参議院議員が、天皇陛下に手紙を『直訴』する事件を起こし、各方面に波紋を起こした。山本太郎議員が天皇陛下に手紙を直接手渡す場面は、テレビニュースの他、インターネット、ユーチューブでもひっきりなしに流された。過去にも、自称民族団体構成員や自称諫言者が皇居周辺に現れて、天皇陛下に直訴状を出そうとして未遂に終わり、逮捕された事件があった。東日本大震災直後、自称タクシー運転手が、政府の震災対策を批判して、天皇陛下に直訴状を出そうと謀り、皇居に侵入しようとして逮捕される事件が発生。自称民族団体が、政府の東日本大震災の対応に抗議して首相官邸、国会周辺に突入を試みて未遂に終わる事件も起きている。

「アンチ日蓮正宗」では、「大石寺の『戒壇の大本尊』は大石寺9世日有の偽作だ」の中で、1432(永享4)3月の京都伝奏で、日有の「申状」が門前払いになった説を展開中。しかしはからずしも、山本太郎参議院議員が、天皇陛下に手紙を『直訴』する事件や自称タクシー運転手が天皇陛下に直訴状を出そうと謀り、皇居に侵入しようとして逮捕される事件、自称民族団体が、政府の東日本大震災の対応に抗議して首相官邸、国会周辺に突入を試みて未遂に終わる事件等は、「アンチ日蓮正宗」が展開する「申状・門前払い説」が的中していることを証明した結果になったと言えよう。まさに時が符合して起こった事件だった。日蓮正宗側の史料・文献を読むと、そのいずれもが大石寺9世日有が1432(永享4)3月に京都伝奏に行って、天皇に申状を提出した、あるいは室町幕府の将軍に申状を出したとなっており、申状提出について、何ら時代的検証・歴史的検証を行っていない。そこでもう一度、「アンチ日蓮正宗」が展開する「申状・門前払い説」の要点・ポイントと山本太郎氏ら他の「直訴状」事件との関連を整理してみたい。

 

(1)「無位無官の者は天皇に直接拝謁できない」は上古の昔からの朝廷の慣習だった

 

大石寺9世日有は、天皇・朝廷・公家とは何の縁もなく、南都六宗、天台宗、真言宗などの官寺、八宗とも全く縁もゆかりもない無位無官の僧侶。「無位無官の者は天皇に直接、拝謁できない」は上古の昔からの朝廷の慣習だったのである。無位無官の者で歴史上はじめて天皇に直接拝謁した人物は、寛永6年(1629年)1010日に後水尾天皇に拝謁した春日局である。春日局以前には、一人もいない。その春日局のケースも当初は、「無位無官の者が天皇に拝謁した前例はない」として朝廷に拒否された。そこで公卿三条西家(藤原氏)の養女となり、江戸幕府の権力を以て強引に後水尾天皇・中宮和子に拝謁。ここで朝廷から、従三位の位階と「春日局」の名号、天酌御盃を賜る。このように「無位無冠」だった春日局の天皇拝謁も、すんなりと実現したわけではなく、さまざまなすったもんだの末、最後は徳川幕府の権力で強引に実現させたものである。では春日局以降は、「無位無官の者が天皇に拝謁できるようになったのかというと、そうではない。これはあくまでも、当時の江戸幕府三代将軍・徳川家光の権力で無理やり実現せしめた例外。その後も無位無官の者が天皇に拝謁できないケースは変わっていない。

 

 

(2)天皇・将軍に対する書状は伝奏が取り次ぐという客観的史実の検証が欠落している

 

天皇に対する書状、将軍に対する書状は、全て「伝奏」が取り次いでいたという客観的史実が、日蓮正宗側の史料・文献に欠落している。室町・安土桃山・江戸時代には、武家の官位任官が頻繁に行われ、織田信長は右大臣、豊臣秀吉は関白、太政大臣、徳川家康、徳川秀忠は征夷大将軍、太政大臣に任官されているが、この時も武家伝奏が勅使として補任の宣旨を読み上げた。将軍・武家からの天皇・朝廷への奏上も武家伝奏が取り次いだのである。

現代においても、天皇が任命する内閣総理大臣の任命状、天皇が認証する閣僚の認証状は、天皇が直接手渡すのではない。内閣総理大臣の任命状は、天皇の御前で前首相が次の首相に手渡すのであり、閣僚の認証状は天皇の御前で首相が閣僚に手渡すのである。

 

(3)天皇に申状・諫言状を出すというのは昔から許されないことであった

 

官位・官職のある者はおろか、無位無官の者が天皇や将軍に諫言状・申状・直訴状を出すなどということは、上古の昔から許されないことであった。これは昔も今も変わらない。こう言うと「足尾鉱毒事件の田中正造の例があったではないか」と言うだろうが、田中正造の例は、例外中の例外。

今回も山本太郎氏が天皇陛下に手紙を手渡したものの、その手紙はあっという間に侍従長の懐に。事実上の門前払いである。自称タクシー運転手が天皇陛下に直訴状を出そうと謀り、皇居に侵入しようとして逮捕される事件、自称民族団体が、首相官邸、国会周辺に突入を試みて未遂に終わる事件等を見ても、皇室の慣習・しきたりは、基本的に上古の昔から変わっていない。

無位無官の者は天皇に直接拝謁できないし、申状や直訴状を出すなどというのも許されない。山本太郎氏が園遊会に招かれたのも、彼が参議院議員であったからだが、たとえ議員であっても、天皇に「申状」を出すという行為は許されぬ行為なのである。こういった現代の事例もさることながら、上古の昔からの皇室・朝廷の慣習・しきたり・事例からして、大石寺9世日有の「申状」が、当時の伝奏によって「門前払い」にされたことは明白であろう。ましてや日蓮正宗は、日蓮の代奏で日目が後宇多天皇に申状を出したら、後宇多天皇から「朕、法華に帰依するときは富士を尋ぬべし」などという下文が下賜されたなどと言っているが、全くのウソであることがわかる。後宇多天皇がそんなことを言うわけがないし、下文が下賜されるはずがない。日蓮正宗の教学、日蓮正宗が教える歴史がいかにデタラメなものであるかが、一連の事件で証明されたと言えるのではないだろうか。

山本太郎事件・週刊文春1


山本太郎事件・週刊新潮1
 

(山本太郎事件で山本太郎氏を批判する週刊誌)

山本太郎事件・読売1
 

(山本太郎事件を報道する全国新聞)

皇居手紙男逮捕1
 

(天皇への手紙を持った男が皇居侵入容疑で逮捕されたことを報じるインターネットニュース)

3祖日目3
 

(大石寺三祖日目)

3祖日目申状
 

(大石寺三祖日目申状)

9世日有4(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)