□仏教否定・宗教否定路線は何ら生産的なものは生まずカルト宗教問題解決をむずかしくする

 

特定のカルト宗教の事件や問題が起こり、あるいは過激な暴力主義に走るカルト宗教、カルト・テロ集団の問題が起こると、必ずと言っていいほど、宗教全体を批判し、カルトやテロと無関係な宗教者までも敵対視し、嫌がらせをしようとする者が出る。現今のイスラム過激派によるテロ事件・殺戮事件が起きると、イスラム教徒全体を敵対視し、テロ事件と全く無関係のイスラム教徒、テロ事件に反対する良識派のイスラム教徒まで、嫌がらせをする者が出ている。日本でも、カルト宗教問題が沸き上がると、宗教全体を規制すべきだとか、宗教全体を敵対視し、弾圧しようと主張する反宗教の過激派が出現してくる。「mixi」や「GREE」など大手SNSにも、「宗教が嫌い」とか「宗教からカネを取れ」といったような反宗教的なコミュニティがいくつも存在している。

私は2005年から正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」の活動をしてきているが、これまでの活動の途上において、例えば「mixi」の「アンチ日蓮正宗」コミュニティには、「日蓮正宗系」カルトに対してのみならず、日蓮を宗祖とする宗派全体、日蓮宗全体を敵対視する文言を織り交ぜたメール、コミュ参加申請を「アンチ日蓮正宗」管理人に送ってきた人が何人もいた。かつて、創価学会、日蓮正宗法華講、顕正会、正信会などの「日蓮正宗系」カルト教団を転々とした人が、最後に全ての宗教、全ての宗教への信仰心を捨て去り、日蓮否定、仏教否定、宗教否定の反宗教的無宗教になる人が少なからずいることは事実である。私は、その人その人、個々の人11人が日蓮否定、仏教否定、宗教否定の反宗教的思想、考えになるのは、自由であると思うし、私も日蓮否定、仏教否定、宗教否定の反宗教的思想を否定する気は全くない。こういう思想があってもいいと思うし、こういう思想の人がいてもいいと思う。

しかし、「日蓮正宗系」カルト問題、カルト宗教問題にどう対処していくのか、「日蓮正宗系」カルト問題、カルト宗教問題をどう解決していくのか、日本、日本人の安全や世界平和の脅威になっているカルト宗教にどう対処していくのかという社会全体の問題、政治的な問題、国際社会全体の問題として考えたとき、仏教否定、宗教否定路線が是か非かとの問題とは、全く話しが別である。

「アンチ日蓮正宗」としては、日蓮否定、仏教否定、宗教否定の反宗教的思想、あるいはそういう思想の人がいるのは、思想信条の自由であり、個人個人の自由であると考えるが、カルト問題に対処する路線問題として考えると、「アンチ日蓮正宗」は日蓮否定、仏教否定、宗教否定の路線はとっていないし、こういう路線はとるべきではないと考える。『日蓮正宗系批判』は日蓮宗全体を批判ターゲットにすべきではない。『カルト宗教批判』は仏教全体、宗教全体を批判ターゲットにすべきではない。カルト宗教の問題が発生したからといって、宗教全体を否定し、宗教全体を敵に回すような政策・路線は、適切な政策・路線ではなく、正しい政策・路線でもない。反仏教・反宗教・仏教否定、宗教否定の路線は、何ら生産的なものは生まず、かえってカルト宗教問題の解決を複雑化し、むずかしくしてしまう。カルト宗教問題があるからといって、宗教全体を敵視する政策・路線は全く賢明とは言えない。カルト宗教問題をむずかしくするばかりか、カルト宗教をかえって利するだけの結果を招く愚かな路線・政策である。

 

 

□宗教全体否定路線・政策が何ら生産的な結果を生まないことは過去の歴史が証明している

 

宗教全体を否定する路線・政策が、何ら生産的な結果を生まないことは、過去の歴史が証明しているのである。「資本論」「共産党宣言」で有名なカール・マルクスは、『ヘーゲル法哲学批判序論』に「宗教は逆境に悩める者のため息であり(中略)…それは民衆の阿片である」と書いた。ドイツの詩人でマルクスの親友でもあるハインリッヒ・ハイネの著作『ルートヴィヒ・ベルネ』中に「宗教は救いのない、苦しむ人々のための、精神的な阿片である」という文章がある。これがマルクスの「宗教はアヘンである」との有名な宗教否定の言葉として全世界に伝播した。これが源になって、一部のマルクス主義者、共産主義者は宗教否定の立場をとるようになった。20世紀に成立したソ連、アルバニア、中国、北朝鮮、カンボジアなどの社会主義国家、共産党政府は、国家の政策として宗教否定、キリスト教否定、仏教否定の政策をとった。特にスターリン時代のソ連、毛沢東・文化大革命時代の中国、ポルポト時代のカンボジアでは、極端な宗教否定の政策がとられ、仏教遺跡、キリスト教遺跡、仏教寺院、キリスト教教会等が破壊され、仏教僧侶、キリスト教宗教者たちが投獄・粛清・殺害された。現在の北朝鮮でも、仏教をはじめ宗教は壊滅状態に瀕している。

かつての日本でも、明治維新のころ、政府の神仏分離令等が発端になり、日本全国に「廃仏毀釈」の嵐が荒れ狂い、仏教寺院や仏教遺跡が破壊され、廃寺になり、多くの僧侶が還俗した。

これらの反宗教政策が行われた結果、どうなったのか。貴重な文化遺産、文化史料、仏教遺産等が破壊されたばかりではない。宗教否定の政策をとった政府そのものが、逆に平和への脅威になっていった。スターリン時代のソ連、毛沢東・文化大革命時代の中国の政策は、その後の共産党政府内部でも批判され否定されたが、時既に遅し。ソ連、東欧、モンゴル、カンボジアの共産党政府はことごとく崩壊してしまった。結局、スターリン時代のソ連、毛沢東・文化大革命時代の中国、ポルポト時代のカンボジアでは、極端な宗教否定政策によって生まれたのは、破壊された寺院・教会の瓦礫の山、投獄・粛清・殺害された仏教僧侶、キリスト教宗教者のおびただしい死体の山だけ。残ったのは巨大な「負の遺産」だけだったのである。こんな愚かしい歴史の過ちを繰り返すべきではない。

カルト宗教の問題が起きると、宗教の暗部、悪しき部分だけがクローズアップされてしまうのだが、反面、多くの人びとの心をとらえ、多くの人びとから支持されている宗教者が、世界各国にいることは、今さら言うまでもない。チベット弾圧に抗議するダライラマ14世、貧しい人たちに対して慈善活動を行ってきたマザーテレサ、頭部をテロリストに銃撃されながらも生き続けて、女性や子ども達への教育を訴えるマララ・ユスフザイといった人たち。カルト問題に対処していくためには、こういった優秀な宗教者、多くの人に支持され慕われる宗教者、優秀な叡智の宗教者を支持する人たちの協力無くしてはあり得ないと考えるものである。

スターリン1
 

(極端な宗教否定の政策をとったソ連・スターリン)

毛沢東8
 

(極端な宗教否定の政策をとった中国・毛沢東)

文革18
 

(極端な宗教否定の政策をとった中国・文化大革命)