■検証4・日蓮正宗大石寺に「日蓮の遺骨・日蓮の墓」は存在しない4

 

□「五人所破抄」は日蓮正宗大石寺に日蓮の遺骨がない証拠である

 

日蓮正宗の信者の中には、「日尊実録」に書いてある内容は信用できないなどと言う人々もいるであろう。ならば、日蓮正宗法主が編纂し、日蓮正宗大石寺が発行している「御書全集」に収録さけている「五人所破抄」の内容はどうか。この「五人所破抄」とは、重須談所(今の北山本門寺)の二代学頭・三位日順の草稿を「日興上人閲、日順上人記」とした、富士門流、日蓮正宗の重書である。御書全集の中には次のような一節がある。堀日亨編纂の御書全集の1615ページ、阿部日顕編纂の御書全集の1880ページである。そこにはこう書いてある。

「身延の郡徒、みだりに疑難していわく。富士の重科はもっぱら、当所の離散にあり。たとい、地頭非例を致すとも、先師の遺跡を忍ぶべし。既に御墓に参詣せず、いかでか向背の過罪をのがれんや、云々。

日興が云く……抑も、身延一沢の余流未だ法水の清濁を分たず。強いて御廟の賛否を論ぜば、汝等、将に砕身の舎利を信ぜんとす。何ぞ法華の持者と号せんや。」

(日興閲・三位日順著「五人所破抄」--御書全集1615ページ・平成新編御書全集1880ページ)

─身延の連中が、日興をみだりに非難して、次のように言っている。富士門徒の罪深いことは、身延山を離山したところにある。たとえ身延山の地頭がまちがったことをしたとしても、日蓮の遺跡を忍ぶことを優先すべきである。今も富士門徒は身延山の日蓮の御墓にぜんぜん参詣していない。こういうことをしていて、どうして先師日蓮に対して背任の罪を逃れることができるだろうか。

これに答えて、日興は次のように言っている。……そもそも、身延山の連中たちは、今も日蓮の法門の清濁を分別して判断することをしていないではないか。しかしあえて、日蓮の御廟についての議論について答えるならば、君たち身延の連中たちは、日蓮の遺骨そのものを信仰しようとしているようだが、どうしてそれで法華の弟子といえるだろうか。----

すなわち、身延山の僧俗では「富士門徒は日蓮の墓(日蓮の遺骨)を捨てて離山した師敵対の徒ではないか」と富士門徒を非難しているが、これに対して日興は

「身延の連中たちは、日蓮の遺骨よりも法門を以て第一義とすべきである」

と反論しているのである。もし日蓮の遺骨が、日興の身延離山によって大石寺にあるのだったら、日興はこんなことは絶対に言わなかったはずである。もっと別の言い方をしたはずである。あるいはこんな書き方をしなかったはずである。日興は、身延山に日蓮の遺骨があることを前提とした上で、反論している。結論から言うならば、大石寺に日蓮の遺骨があるわけがない。あること自体、絶対にあり得ない。日興は身延離山のときに、日蓮の遺骨を身延山から持ち出してきていないのである。

 

 

では現在、日蓮正宗が大石寺にあると言っている「日蓮の遺骨」なるものは、一体、何なのか?

少なくとも、本物の「日蓮の遺骨」ではないことだけは確かだといえる。つまり後世の誰かが偽作したものということになる。ここに書いてあることが信用できないということであれば、自らの目で、自らの耳で、自らの足で調べてみたらいい。ぜひ、調べていただきたい。必ず、ここに書いてある結論に行き着くはずだ

三師塔2
 

(大石寺墓苑の三師塔)

日蓮・祖廟1
 

(身延山久遠寺の日蓮祖廟)

日蓮廟所3
 

(池上本門寺の日蓮廟所)

妙伝寺5真骨堂
 

(日蓮宗・京都妙伝寺の日蓮真骨堂)

本覚寺6分骨堂
 

(日蓮宗・鎌倉本覚寺の日蓮分骨堂)

北山本門寺1・日興正墓1
 

(日蓮宗・北山本門寺の日興正墓)

實報寺8日目墓1
 

(日蓮本宗・京都實報寺の日目・日尊正墓)

日興跡条条事2
 

(昭和5549日付け聖教新聞に掲載されている『日興跡条条事』)