□長らく池田大作側近幹部だった人物しか知り得ない創価学会機密を外部に暴露した原島嵩氏

 

1970年代から8090年代にかけて、日蓮正宗、創価学会、顕正会、正信会等「日蓮正宗系」の信者だった人で、原島嵩氏の名前を知らない人は、おそらくいないであろうと思われる。1970年代以前生まれの年代の創価学会員、元創価学会員は、創価学会教学部長だったころの原島嵩氏と因縁が深い人が多い。それくらい有名な人である。その原島嵩氏とはどんな人なのか。

原島嵩氏とは、創価学会・原島宏治理事長・公明党初代委員長の次男で1938(昭和13)年生まれ。翌年、わずか1才で両親に連れられ、日蓮正宗・創価学会に入信している。原島宏治氏とは、戸田城聖亡き後、創価学会3代会長に池田大作を推戴したことで有名な人物。池田大作は会長就任の創価学会本部総会の直後、原島宅を訪れ、原島宏治氏は池田大作に「とにかくわがままな息子ですが、よろしくお願いします」と言い、池田大作は「弟子第一号だ」と言って喜んだという。この逸話は、創価学会総合青年部長・野崎勲氏の著書「謀略」にも載っている。

原島嵩氏は、創価学会内でトントン拍子に出世していった。特に原島嵩氏は、教学の分野で才能を発揮。まだ学生時代だった1956年、教学部講師、1959年、教学部助教授、1962年、教学部教授、副学生部長。1964年の早稲田大学商学部卒業で聖教新聞社入社。池田大作が創価学会幹部に行った御義口伝講義を受講し、感銘した旨の文を書いている。1966年、特別書籍局長、1968年にはわずか30才の若さで創価学会教学部長に任命される。昭和40年代から50年代前半の創価学会教学出版を一手に手がけた他、池田大作の本部総会講演の原稿の代筆も行った。その存在感はひときわ大きく、池田大作の最側近幹部とか四代会長候補といわしめた人物。1969年に総務、1970年に宗教法人創価学会責任役員、理論室長、1972年に創価学会師範、1974年に聖教新聞論説主幹、1977年に聖教新聞編集発行人、1979年に教学研究室長になった。

そんな原島嵩氏が1980年、池田大作に諫言。これが聞き入れられずに池田大作に造反、反旗を翻した。そして創価学会の全ての役職解任になり除名された。ちょうど時期的には、創価学会顧問弁護士だった山崎正友氏が、池田大作に造反したころで、創価学会は山崎正友氏、原島嵩氏の造反を「二人組事件」などと呼んで、ボロクソにこき下ろした。

原島嵩氏は、長らく池田大作の側近幹部だった原島嵩氏しか知り得ない創価学会機密を外部に暴露した。いわゆる北条報告書、山崎・八尋報告書といった創価学会内部機密文書をすっぱ抜いた他、さらに著書「池田大作先生への手紙」や正信会機関紙・全国檀徒新聞「継命」等で、1974(昭和49)年当時、すでに大石寺66世細井日達法主が池田大作に下附した正本堂記念本尊を、池田大作が板本尊に模刻していたこと、1972(昭和47)10月、大石寺の正本堂落慶法要の時、池田大作が創価学会員が乗る下山バスに「本日、七百年前の日蓮大聖人の御遺命が達成されました。ありがとう」と伝言させたこと等々を暴露した。この原島嵩氏の内部告発で、昭和5556年当時、数多くの創価学会員が脱会し、日蓮正宗・創価学会の歴史が大きく動いたことは事実である。

 

 

□公衆の面前で自らの創価学会教学部長・最高幹部時代の誤りを認めて謝罪した原島嵩氏

 

私が原島嵩氏を最も評価していることは、内部告発もさることながら、原島嵩氏が公衆の面前で、創価学会元教学部長として、過去の誤った指導をしたこと等について謝罪し、深々と頭を下げたことである。この原島嵩氏のまことに勇気ある決断、誠意に満ちた行動が、多くの人の心を動かしたのではないかと思われる。元創価学会員が集まった昭和55(1980)8月の日本武道館・第五回全国檀徒大会という場でのことではあったが、この原島嵩氏の謝罪の場面は、当時のテレビのニュースや報道特集番組でも流れた。原島嵩氏が、これほどの大英断の行動をしたことは、意外と知られていない。公衆の面前で深々と頭を下げて謝罪する場というと、当時はこういった場しかなく、この点については仕方のないことではなかったかと思う。

原島嵩氏は、その後、正信会系日蓮正宗全国檀徒新聞「継命」を発行する継命新聞社に入社。定年まで勤めた。1991年からの宗創戦争がはじまった後、夫人が日蓮正宗妙縁寺法華講員になったのにつづき、原島嵩氏も1999年、日蓮正宗妙縁寺法華講員になった。こういった経過からか、今の法華講員の中には、原島嵩氏が日蓮正宗の創価学会批判の急先鋒であるかの如くに言う者がいるが、事実は全く違う。原島嵩氏が公衆の面前で謝罪した第五回全国檀徒大会とは、大石寺67世阿部日顕法主が正信覚醒運動のリーダーたち(のちの正信会)に、何度も中止命令を出した大会であり、大会終了後、大石寺67世阿部日顕法主は大会出席者、大会出席僧侶の大量処分に踏み切った。さらに大石寺67世阿部日顕法主は宗創戦争がはじまった当初、創価学会と正本堂意義付け問題が再燃した時、創価学会に池田大作の伝言事件を批判する文書を送っているが、阿部日顕は原島嵩氏の告発本によったのではなく、原島嵩氏の告発本を引用した顕正会会長・浅井昭衛の文書をパクったのであった。阿部日顕が池田大作の伝言事件を批判する文書を執筆した当時、阿部日顕は原島嵩氏の告発本を持っていなかったことを、原島嵩氏が自らの体験発表で明かしているから面白い。これでどうして原島嵩氏が日蓮正宗の創価学会批判の急先鋒だと言えようか。原島嵩氏の創価学会批判が注目を集めていたのは、原島嵩氏が池田大作に造反した直後の1980年代のころのことである。この原島嵩氏の造反、告発によって大打撃を被ったのが創価学会である。原島嵩氏の創価学会批判活動に触発されて1980年代に多くの創価学会員が脱会した。脱会した後は、正信会寺院檀徒になった人が多かったようだが、日蓮正宗の法華講員になった人もいれば、日蓮正宗系をやめて他宗派に行った人もいれば、無宗教になった人もいる。さまざまであった。大打撃を喰らった創価学会は、何としてでも原島嵩氏を失脚させようと、「酒ばかり呑んでいた」「酒を呑みながら御書講義をしていた」「四代会長になれずに造反した」等々、ありとあらゆる誹謗中傷、人身攻撃を行った。しかし原島嵩氏の批判に対しては、ついに一言も反論できず終い。酒を呑みながら御書講義をしていたのは、原島嵩氏ではなく、戸田城聖である。原島嵩氏は創価学会批判活動、なかんずく1980年代の創価学会批判について絶大な功績がある人で、原島嵩氏の創価学会批判は、まさに原島嵩氏でしか成し得ない創価学会批判だった。原島嵩氏も山崎正友氏と同様、日蓮正宗、創価学会の歴史を大きく動かした大人物であった。原島嵩氏は2008(平成20)76日、70才で病没している。ご冥福を祈りたい。

原島嵩お詫び1


第5回全国檀徒大会の原島崇氏の懺悔
 

(原島嵩氏が公衆の面前で深々と頭を下げた懺悔・謝罪を報道する昭和55(1980)91日付け全国檀徒新聞『継命』)