■検証84・百六箇抄が大石寺9世日有の偽作である証拠・大石寺独自の「血脈相承」義5

 

□大石寺法主である日有を信じて信仰に励めと弟子にストレートに命じている大石寺9世日有2

 

大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」なる板本尊は、当然のことながら大石寺9世日有より以前の時代においては存在しておらず、影も形もないものであり、誰もその存在を知らなかった。そんな誰も知らなかった「板本尊」が、どうして大石寺9世日有の代になって、突然、大石寺の僧侶・檀家・信徒の前に出現したのか。だから大石寺9世日有は、日蓮の時代から大石寺9世日有在世の時代まで、歴史上、全く存在しなかった「戒壇の大本尊」の時間的空白を埋める必要があった。いくらなんでも、今まで全く「未聞未見」の「戒壇の大本尊」なる板本尊を見せられ、前代未聞の「日蓮が本仏だ」という教義を突然、時の法主から聞かされても、大石寺門流の僧侶や信者は「ハイ、そうですか」とは、納得しない。そこで大石寺九世日有が、日蓮正宗大石寺門流で、最初に大石寺法主の血脈なるもの「唯授一人の血脈相承」を唱えたのである。

「日蓮大聖人・日興上人から相承を受けていた法主だけが知っていた」「『本門戒壇の大御本尊』は唯授一人の血脈を相承してきた大石寺の御法主上人だけが、内密に相伝してきた御本尊です」 「広宣流布の暁までは、蔵の中におしまいして、決して公開されぬ御本尊なのです」

「その法主の言っていることを信じろ」などという、人々を欺瞞する、とんでもない詐欺的な教義なのである。 大石寺9世日有が唱えた「大石寺法主の血脈」「唯授一人の血脈相承」の例証として、次のようなものがある。

「手続(てつぎ)の師匠の所は三世の諸仏、高祖以来、代々上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし。又、我が弟子も此の如く我に信を取るべし。此の時は、何れも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり、是れを即身成仏と云うなり」(日蓮正宗59世法主・堀日亨が編纂した『富士宗学要集』161ページ収録の「化儀抄」より)

--------「手続(いつぎ)の師匠」とは、自ら弟子をもって薫育している師匠のことで、大石寺法主や末寺の住職のこと。その「手続の師匠」の所には過去・現在・未来の三世の総ての仏や高祖日蓮以来、歴代の大石寺の法主の心がぬけられて師匠の所に来ているのだから、その師匠をよくよく信じて信仰に励むべきである。私(日有)の弟子たちも、このように私(日有)を信じて信仰に励むべきである。-------

日蓮正宗大石寺の法主は、過去・現在・未来の三世の総ての仏や高祖日蓮以来、歴代の大石寺の法主の心がぬけられているのだから、大石寺法主である日有を信じて信仰に励めと大石寺9世日有が弟子たちにストレートに命じている。今の「法主の血脈」「唯授一人の血脈相承」の原型のような大石寺9世日有の指南である。

 

 

「唯授一人の血脈相承」ないしは「法主の血脈」なるものは、大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」なる板本尊を正統化するという目的で、「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作した大石寺9世日有自らが偽作したものである。このことは、「唯授一人の法主の血脈」なるものの目的と正体が、大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」なる板本尊であることを、大石寺9世日有より後の大石寺法主が明かしていることによって証明されていると言えよう。

大石寺13世日院は、通用(正式な交流)を持ちかけてきた富士門流の本山寺院・京都要法寺19世法主・日辰に対して

「師口両相承、三箇の秘法胸に当て四聖涌現の刻を相待つ者なり」(大石寺発行「歴代法主全書」1p451収録の日院著書『要法寺日辰御報』より)

-------大石寺では、歴代法主が日蓮から相承してきた金師相承、金口相承と『三大秘法』を堅く秘蔵して、広宣流布の暁の地涌の菩薩出現の時を待っているのである-------

と回答し、日蓮正宗大石寺門流以外の他の宗門・他の門流が知らない「三大秘法」と「唯授一人の血脈相承」を掲げる立場を表明している。

大石寺14世日主は、著書「日興跡条条事示書」の中で

「大石寺は御本尊を以て遺状と成され候、是れ即ち別附嘱・唯授一人の意なり。大聖より本門戒壇御本尊、興師従り正応の御本尊法体御附嘱…」(大石寺発行「歴代法主全書」1p459収録の日主著書『日興跡条条事示書』より)

と述べ、大石寺の唯授一人の血脈相承とは、日蓮から相承したと自称している「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊であることを明かしている。大石寺14世日主は現存する公開史料の中では、はじめて「戒壇の大本尊」なる板本尊のことに直接触れて、その「戒壇の大本尊」なる板本尊が大石寺の唯授一人血脈相承の体そのものであると言明している。

大石寺22世日俊は 「此の三大秘法は何者ぞや。本門の本尊とは当寺戒壇の板本尊に非ずや。其の戒壇の本尊の座す地は広布の至らざる迄は、此の地、戒壇に非ずや」(大石寺発行「歴代法主全書」3103ページ収録の日俊の著書『初度説法』より)

と述べており、三大秘法とは「戒壇の大本尊」なる板本尊のことであり、この「戒壇の大本尊」なる板本尊が安置の所は、戒壇であるとストレートに明かしている。大石寺25世日宥も

(日蓮)大上人は三大秘法を本尊と為す」(大石寺発行「歴代法主全書」3p404収録の日宥の著書『日蓮の二字沙汰』より)

と述べており、江戸時代初期から17世紀末には、「戒壇の大本尊」なる板本尊を中心とした大石寺独自の三大秘法を、大石寺教学の根幹とする立場が定説化しているのがわかる。

大石寺独特の三大秘法の教義は、大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」なる板本尊を中心としたもので、もちろん大石寺9世日有が唱えはじめたもの。しかもそれが大石寺9世日有が同時に「発明」した「唯授一人の法主の血脈」なるものといっしょになり、見事なまでに「戒壇の大本尊」なる板本尊の立場を正統化せしめた。それ以降、江戸時代の大石寺「中興の祖」26世日寛による教義理論の完成を経て、「戒壇の大本尊」なる板本尊を中心とした「三大秘法」と「唯授一人の法主の血脈」は大石寺門流内で完全に主流化し、今日まで続いている。

9世日有4(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)

百六箇抄1
 

(1936(昭和11)堀日亨編纂『富士宗学要集』に載っている「百六箇抄」)