■検証97・「戒壇の大本尊」日蓮造立を証明する文証はない9(三師御伝土代1)

 

□「御本尊に」の文を「御本尊を」と誤って読んでいる日蓮正宗や創価学会の読み方

 

日蓮正宗大石寺66世法主・細井日達は自らの著書『悪書板本尊偽作論を粉砕す』にて 「『戒壇の大本尊』は日蓮と日興の合作である」と言っている。

細井日達法主は、その根拠となる文献なり証拠なりを何も示していないが、この「悪書板本尊偽作論を粉砕す」が出版された時と、ほぼ同時代に、当時の会長・戸田城聖氏が校閲して創価学会が出版している「創価学会批判の妄説を破す」という本の中に、次のような文がある。

「日蓮門下に於ける最も古い歴史である、大石寺日道上人の御伝草案に、大聖人は熱原法難にあった日興上人と共に、大御本尊を建立されており、日興上人に充て給る弘安二年の大御本尊として、日目上人に相承宛てされている。大石寺には弘安二年の本尊はこの本尊しかないし、紛失した事実もないから、この御本尊にちがいない」

この「大石寺日道上人の御伝草案に、大聖人は熱原法難にあった日興上人と共に、大御本尊を建立されており」と創価学会が言っている根拠となるものが、大石寺4世日道が、日蓮、日興、日目の伝記を書いた「三師御伝土代」である。その「三師御伝土代」には、次のような文がある。

「さて熱原の法華宗二人は頸を切られおわんぬ。その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばすのみならず、日興の弟子、日秀、日弁二人、上人号し給ふ」(大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』5巻宗史部・日道著「三師御伝土代」p8)

その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばす1
 

------さて熱原の法華衆の二人は、首を切られてしまった。その時、日蓮大聖人は、何かお感じになるところがあって、日興上人と、上人号をつけて、授与の御本尊にお書きになったのみならず、日興上人の弟子の日秀、日弁の二人にも、上人号をつけられた-----

大石寺4世日道が書いた「三師御伝土代」の先の文を正確に現代語に訳すと、こんな感じになる。 しかし日蓮正宗や創価学会の読み方はちがう。創価学会は次のように読んでいる。

「さて熱原の法華衆の二人は、首を切られてしまった。その時日蓮大聖人は、何かお感じになるところがあって、日興上人と御本尊を図顕されるのみならず、日興上人の弟子の日秀、日弁の二人に、上人号をつけられた」

つまり日蓮正宗や創価学会は、「三師御伝土代」の文を「日興上人と共に、大御本尊を建立された」と読む。 問題の箇所は「日興上人と御本尊に遊ばす」という箇所で、これを「日興上人と御本尊を遊ばす」と読めば、日蓮正宗や創価学会の説に近くなる。

 


 

 

□「三師御伝土代」の原文は「御本尊に」となっており、「御本尊を」とは書かれていない

 

しかし「三師御伝土代」の原文は、「アンチ日蓮正宗」でも確認してみたが、読みくだしの古文で書かれていて、あくまでも「御本尊に」となっており、「御本尊を」とは書かれていない。

その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばす2
 

さらに「遊ばす」との語の意味だが、古語辞典によると「いろいろな動作を尊敬して言う場合の代用語。~なさる」とある。 これらのことを総合的に考えると、日蓮正宗や創価学会の読み方は、明らかな読み間違えであり、原文のまま「御本尊に」と読むべきである。 当然のことながら、「三師御伝土代」の文は、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊とは何の関係もない文書である。

まあ、これらは読み間違えでもなく、日蓮正宗や創価学会は意図的に「御本尊を」とこじつけて読み、「三師御伝土代」の文をあたかも「戒壇の大本尊」なる板本尊が存在していたかのように詐称して、何も知らない信者を欺瞞しているのである。

戒壇大本尊1大正4年由井本1
 

(大石寺「戒壇の大本尊」)