■検証156・大石寺の「戒壇大本尊」が大石寺9世日有の偽作である16の証拠11

 

□「戒壇大本尊」大石寺9世日有偽作の証拠1-10・大石寺を「事の戒壇」と定義したこと

 

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(「アンチ日蓮正宗」に降伏宣言した龍神ひろしの妄言)

自称俳優で、徳川家光公が日光山輪王寺であるのに、東照宮と言ってる歴史認識がズレているのが、mixiで悪あがきをしている。あまりにも、無理矢理に否定してるので、長文を書けば良いというものでない。よっぽど暇なのであろう。大聖人御一代中に顕(あら)わされた多数の御本尊には、それぞれ建立意義と目的に異なりがあり、御本尊図顕(ずけん)における大聖人の御化導を相伝仏法の上から正しく拝さなければ、本義を見失うこととなる。ゆえに、正法不信の者がいくら邪智(じゃち)浅見をもって御本尊の深義を理解しようとしても、けっして大聖人の御聖意に辿(たど)り着けることはない。当宗僧俗はすでに周知のことであるが、大御本尊が何たるかを知らない者どもに、簡略に説明しておこう。元来、大聖人所顕(しょけん)の御本尊は、大きく2種類に分けることができる。1には弟子や檀那への個人に与えられた御本尊である。これは、主に授与者の信行の対象として安置すべき御本尊であり、ほとんどの御本尊に授与者の名前が認(したた)められている。

2には、特別な意義と目的のもとに顕わされる御本尊で、その時々の境地より御図顕され、授与者が示されていないものもある。戒壇の大御本尊が、このうちの後者に当たることは言うまでもない。当宗においては、戒壇の大御本尊をもって信仰の主体としている。その理由は、大聖人の宗旨が戒壇の大御本尊に極まるからであり、法義的に三大秘法のすべてを惣在(そうざい)する上から「三大秘法惣在の本尊」と称し、また末法万年の衆生を救済するために万人を対象として御図顕され、一閻浮提(全世界)すべての人々が信受すべき御本尊である意味から「一閻浮提総与の本尊」とも称するのである。否定したがる者の特徴として、言える事は、言葉や文字を理解しない事と自分自身が正しいという思い込みである。私は、仕事で営業とサービス業をしてきて、また折伏して何万という人間を見てきて、言える事でもある。どんなプロの営業マンでも、こういう人間は難しいものである。

 (20130308日の龍神ひろし・楽天『自慰』ブログの日記)

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龍神ひろしは、「三大秘法惣在の本尊」などと得意げに書いているが、「アンチ日蓮正宗」では、日蓮が説いた三大秘法と、日蓮正宗が説いている三大秘法は、全く別個のものであると論破している。龍神ひろしの妄言は、「アンチ日蓮正宗」の論破に対する反論になっていない。

 

 

「戒壇大本尊」を祀る「事の戒壇」中心の三大秘法は大石寺9世日有が発明した教義

 

「三大秘法抄」に説かれている「戒壇」とは

「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」(御書全集p1595)

とあるように、「広宣流布の暁」に建立されるという戒壇である。 これに対して大石寺9世日有の「本門事の戒壇」思想は「新池抄聞書」『日浄記』等の文書に出てくる。それは

「日有云く、また云く、大石は父の寺、重須は母の寺、父の大石は本尊堂、重須は御影堂、大石は本果妙、重須は本因妙、彼は勅願寺、此は祈願寺、彼は所開、此は能開、彼は所生、此は能生、即本因、本果、本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり」(「新池抄聞書」/「富士日興上人詳伝・下」p84)

「当山第六世日浄上人伝に云く『大石寺日有云く、重須は生御影堂正意、大石寺は本堂正意なり。故に国主本門の正法を立てらるる時は此の板本尊即ち本門戒壇の本尊と云々。』 …

是れ日浄上人は日有の時の人なり。已にそれ未聞未見の板本尊を彫刻すと云う。偽造たること白々たり。又、小泉久遠寺の日要、日我等、日有の真似をして重須は御影堂正意、久遠寺は本堂、能開所開、両寺一味などと云う」(「大石寺誑惑顕本書」p6p7)
これらの文に、はっきりと垣間見得るように、大石寺9世日有が言う「事の戒壇」とは「戒壇の大本尊」なる板本尊が祀られている堂宇・伽藍という意味である。

そもそも日蓮の題目、本尊、戒壇の「三大秘法」は、本尊中心ではなく題目中心であるが、それを大石寺9世日有が、「いくら題目をあげても、大石寺の本尊を拝まなければダメ。大石寺の本尊を拝んでいても、大石寺の『戒壇の大本尊』に参詣しなくてはダメ」「これは大石寺法主のみが唯授一人の血脈相承で相伝してきた仏法だ」と言って、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊を題目、本尊、戒壇の「三大秘法」の中心に持ってきて、戒壇中心、本尊中心の「三大秘法」という、大石寺9世日有独自の「三大秘法」を発明。大石寺を根本・根源の「事の戒壇」と定義づけた。史上はじめて大石寺を「戒壇の大本尊」を祀る「事の戒壇」と定義づけたのが大石寺9世日有である。

すなわち「戒壇の大本尊」を偽作したのが、大石寺9世日有以外にいないという結論が導き出されてくるのである。

だから龍神ひろしが「アンチ日蓮正宗」に反論したいのであれば、日蓮正宗が説く三大秘法が、日蓮が説いた三大秘法と同一であることを証明しなくてはならないが、これを全くやっていないばかりか、「私は、仕事で営業とサービス業をしてきて、また折伏して何万という人間を見てきて、言える事でもある」「hideは、幼稚な長文を書いているだけで長い文章を書けば良いと言うものでない」などと書いているが、かえって、読者の失笑を買っている有様。つまり「アンチ日蓮正宗」の論破に反論不能ということですね。()

戒壇大本尊1大正4年由井本1
 

(大石寺の『戒壇の大本尊』)

金正日1
 

(龍神ひろしのそっくりさん・金正日)