■検証171・大石寺の「戒壇大本尊」が大石寺9世日有の偽作である16の証拠26

 

「戒壇の大本尊」授与書に「戒壇の大本尊」を祀る場所・堂宇を特定する書き方ができない

 

大石寺の「戒壇の大本尊」なる名前の板本尊を偽作した日蓮正宗大石寺9世法主日有は、この板本尊を「本門事の戒壇」に祀る「本門戒壇の大本尊」と定義づけようと謀った。つまりこの「戒壇の大本尊」なる板本尊が祀られている場所が「本門事の戒壇」となることが、大石寺9世日有教学の最大のポイントになる。この「事の戒壇」は、「三大秘法抄」に説かれている「本門戒壇」とは別個のものだが、しかし「三大秘法抄」の戒壇が、あたかも大石寺9世日有独自の「事の戒壇」であるかのように詐称し、大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」を「本門戒壇に祀る本尊」という意味合いを持たせる本尊としたということになる。そのためには、大石寺9世日有としては、この板本尊の脇書きの中に「本門戒壇の大本尊」であることの「証拠」を残しておかねばならない。

通常、日蓮正宗大石寺の法主が書写して寺院に下賜した本尊の脇書きは、左端の上のほうに

「授与之 ××山○○寺安置 願主△△△△」

となっている。これは「之を××山○○寺に安置し願主△△△△に授与する」と読む。

日蓮や日興、日目が書示した本尊の脇書きは「授与之○○」となっており、同様に法主が信者に下賜した本尊の脇書きも「授与之○○」となっている。ただし「戒壇の大本尊」なる板本尊の脇書きが「授与之○○」とか「授与之 ××山○○寺安置 願主△△△△」になっていたのでは、逆に矛盾が発生してしまう。大石寺9世日有の本門「事の戒壇」思想は、「戒壇の大本尊」なる板本尊を祀る場所がいつでもどこでも「本門事の戒壇」ということだから、「戒壇の大本尊」なる板本尊を祀る場所・堂宇は、時代によって変更される可能性がある。現に「戒壇の大本尊」なる板本尊は、大石寺9世日有偽作当時から大石寺宝蔵に格蔵されていたが、江戸時代のある時期は御影堂に祀られていた。又、昭和から平成の代に入ってから大石寺宝蔵→奉安殿→正本堂→奉安殿→奉安堂と祀られる場所・堂宇が変更になっている。また大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」なる板本尊は、弘安二年(1279)の造立を偽っており、すでに身延山久遠寺⇒大石寺というふうに「祀る場所」の変更を騙っている板本尊ということだから、「戒壇の大本尊」なる板本尊の脇書きに、祀る場所を特定する書き方があったら、矛盾が発生してしまう。又、日興の「富士一跡門徒御存事」によると、大石寺の門流は、富士戒壇建立説を唱えているので、なおさら脇書きで、「戒壇の大本尊」なる板本尊を祀る場所・堂宇を特定する書き方ができないということになる。

 

 

□「事の戒壇」に祀る「戒壇の大本尊」の授与者名を日興等の個人名にする書き方ができない

 

同様に、「戒壇の大本尊」なる板本尊に「授与之日興」という脇書きが入っていたら、これも矛盾が発生してしまうことになる。もし日興に授与するという脇書きになっていたら、日興個人に授与した本尊ということになり、「戒壇の大本尊」としての機能が、日興が死去したと同時に失われてしまうことになる。通常、日蓮正宗では、個人授与の本尊の場合、法主直筆の名前が入った常住本尊を授与された当人が死去した場合、遺族に「感得願」を出させるか、あるいは一度返納した後に、脇書きに加筆するかして再下賜するかといった方法をとっている。例えば日蓮正宗大石寺法主が、日蓮正宗の末寺寺院所属の信者“知らぬ顔の半兵衛”氏に常住本尊を授与した場合、本尊の左端には「授与之○○寺信徒・知らぬ顔の半兵衛」という脇書きの文字が入る。

その“知らぬ顔の半兵衛”氏が死去した場合、その常住本尊は、大石寺に返納しなくてはならなくなるのだが、しかし“知らぬ顔の半兵衛”氏の跡取り息子で、半兵衛氏から相続した長男・甚兵衛氏が、寺院に「感得願」を出すことによって、父親の“知らぬ顔の半兵衛”氏授与の常住本尊が、甚兵衛氏に「相続」されることになるわけである。こういう日蓮正宗のシステムからすると、「戒壇の大本尊」なる板本尊に「授与之日興」という脇書きが入っていたら、日興が死去した後、法主が替わるたびに、次の法主に板本尊を相伝する書類を残すか、脇書きを加筆していくかしなければならなくなる。しかし、「戒壇の大本尊」なる板本尊は、日蓮正宗大石寺9世法主日有が表面を、黒漆に金箔加工の板本尊にしてしまっているので、この板本尊に、脇書きを加筆していくことは実質的に不可能である。又、大石寺法主が替わるたびに板本尊を相伝する書類というのも、大石寺9世日有より前の法主交代の時までさかのぼって、大石寺9世日有が法主から法主への相伝の文書を偽造しなければならなくなる。

又、「授与之 ○○堂安置」という書き方にしてしまうと、「戒壇の大本尊」なる名前の板本尊よりも、本尊を祀る建物の方が主になってしまい、大石寺9世日有の「本門事の戒壇」思想における建物と板本尊の主客関係が逆転してしまう。大石寺9世日有が一度「戒壇の大本尊」なる板本尊を祀った「本門戒壇」は、その後、建替えや祀る場所の変更など、一切できなくなってしまう。したがって、この書き方でも矛盾が発生してしまうことになる。

そういったところから「本門戒壇之願主」という書き方に落ち着いたのではないだろうか。

これだと、本尊戒壇の「願主」が存在していて、その願主の願い出によって、「戒壇の大本尊」が造立され、その板本尊が祀られている場所が自動的に「本門事の戒壇」になったという、大石寺9世日有の「事の戒壇」思想と符合することになる。しかも、これだと「本門戒壇の大御本尊」なる名前の板本尊を祀る場所・堂宇が、何かの事情で変更になっても、大石寺の法主が替わっても、一切、なにも変更する必要がない。「戒壇の大本尊」なる板本尊が存在している限り、この板本尊が祀られている場所、すなわち大石寺の堂宇が「本門事の戒壇」になるということになる。こういったところから、「授与之 本尊戒壇安置」「授与之日興」「授与之 ○○堂安置」のいずれの書き方でもなく、「本門戒壇之願主」という書き方になったと考えられる。

戒壇大本尊1大正4年由井本1
 

(大石寺「戒壇の大本尊」)

戒壇大本尊2大正4年由井本2


御堂御開扉1大石寺真景
 

(大正時代に大石寺御影堂で行われていた「戒壇の大本尊」開扉の写真)

9世日有4(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)