■検証14・日蓮正宗大石寺に「日蓮の遺骨・日蓮の墓」は存在しない14

 

□「日蓮の遺骨」「日蓮の墓」に関する日蓮正宗の悪辣なカラクリを斬る

 

日蓮正宗総本山大石寺の大石寺墓苑にあるという「日蓮の墓」について、今日の日蓮正宗の正式見解は、実に微妙な言い方をしている。日蓮正宗大石寺が発行し、大石寺売店でも販売している「大石寺案内」と題する小冊子を開くと、次のように記している。

「大石寺墓苑…この墓苑は、正本堂建立に際し、総本山総合計画にもとづいて移転されたもので、三師塔、歴代上人墓地をはじめ、旧来の一切の墓地がここに移転された。…」

一見すると、日蓮正宗大石寺墓苑に日蓮の墓があるかのように思える文に見えるのだが、しかしよく読んでみると、大石寺墓苑に日蓮の墓があると直接的に断定していない。大石寺墓苑に日蓮の墓があるようにも解釈できるし、大石寺墓苑にあるのは日蓮の墓ではなく、あくまでも三師塔なのだ、という意味にも解釈できる。問題の核心から実に巧みにすりぬけている文なのである。

しかしこの文に「日蓮の遺骨」「日蓮の墓」ニセもの説を重ね合わせてみよう。すると、日蓮正宗は見事なまでに「大石寺・日蓮正墓説」から巧みに逃げているのがわかる。つまり大石寺墓苑にあるのは、あくまでも日蓮・日興・日目の「三師塔」なのであり、「正墓」そのものではないと。…

日蓮・日興・日目の「三師塔」とは、日蓮正宗寺院が経営ないしは母体の墓苑に行けばどこにでもある、遺骨が入っていない日蓮・日興・日目の「廟」のようなもの。なぜ日蓮正宗は、正式文献にこのような「あいまい」で、問題の核心から巧みにすりぬけている文を掲載しているのだろうか?実はこれには裏があるのだ。ここは「はちす文庫」主宰・柳沢宏道氏の説を元に進めてまいりたい。

1931(昭和6)101日、日蓮650遠忌の年に、昭和天皇から日蓮宗総本山・身延山久遠寺に「立正」と書かれた「勅額」が降賜されたということがあった。これは日蓮650遠忌を前にして、日蓮宗管長・池上本門寺74世・酒井日慎貫首が勅額を天皇から降賜してもらうために、各方面に活発に運動した結果によるものだった。勅額降賜の請願書上奏よりほどなくして、文部省より日蓮宗に対して通達が届いた。それには、日蓮宗各派管長から身延山久遠寺に勅額を降賜することについて承諾をもらうように、と書かれてあった。日蓮宗では宗務院役員が日蓮宗各派を訪ね歩き、各派管長から身延山久遠寺への勅額降賜に異義がないとの念書に署名させることに成功する。念書には次の文が書かれてあった。

「 念書

宗祖立正大師六百五十年遠忌に際し、御廟所在地、山梨県身延山久遠寺住職岡田日帰より請願に及び候。立正大師勅額御下賜の件は本宗()に於いても異議無し…」

 

 

□日蓮正宗は1931(昭和6)年に公式に日蓮の「正墓」は身延山久遠寺にあることを認めている

 

立正大師というのは日蓮のことで、1922(大正11)1013日、大正天皇より「立正大師」号が宣下されたことからこう呼んでいる。つまり日蓮の「御廟」(正墓)のある身延山久遠寺に「勅額」が下賜されることについて、本宗としては異議がないという内容の念書である。この念書には、当時の日蓮正宗管長・大石寺60世法主・阿部日開も署名している。つまり日蓮正宗は公式に、1931(昭和6)年に勅額下賜の「念書」に署名した時点において、日蓮の「御廟」つまり「正墓」は身延山久遠寺にあるということを認めている。したがって今さら、日蓮正宗としては「大石寺に日蓮の正墓がある」などとは書けないのである。

しかし「日蓮の遺骨や日蓮の正墓は身延にあり、大石寺にはない」ということでは、日蓮正宗としては、信者の手前、都合が悪いということなのだろう。日蓮正宗が発行する正式文献には、このように巧みにすりぬけている文を掲載しておいて、日蓮正宗の僧侶や信徒指導者たちは、御講・御会式・法会の説法、登山会・座談会・大会などの指導の席などで、大石寺墓苑の日蓮・日興・日目の「三師塔」を、「正墓」であると、信者に教えている。私の周辺にいる、日蓮正宗の信者も「大石寺墓苑に日蓮・日興・日目の御墓がある」と言っているし、今は日蓮正宗から脱退し日蓮正宗の信仰そのものを辞めてしまった元信者の人たちも「日蓮正宗の信仰をしていた時は、大石寺墓苑に日蓮の墓があると教わっていた」と証言する。私と過去に対論した日蓮正宗の僧侶・信者も、「大石寺墓苑に日蓮大聖人さまのお墓がある」と言い張っていた。

日蓮正宗の大半の信者は、大石寺墓苑の「三師塔」を「正墓」だと信じ込んでいるのではないか。

しかし歴史的事実や正史料から判断すれば、日蓮正宗大石寺に「日蓮の遺骨」も「日蓮の墓」もないことは明らかである。日蓮正宗も公式には1931(昭和6)年に、日蓮の正墓は身延山久遠寺にあることは認めているのである。

1931(昭和6)年の「念書」署名の件は、日蓮正宗としてはよほど都合が悪いようで、日蓮正宗が正式に発行している「日蓮正宗富士年表」には、「勅額下賜」のことからして全く記載していない。

日蓮正宗の正式文献には、問題の核心から巧みにすりぬけている文を掲載して、口頭では平然と「日蓮正宗大石寺墓苑に日蓮の正墓がある」と言い続けるという、日蓮正宗の悪辣なカラクリと欺瞞は、人を教化育成していくべき、まともな宗教法人のすることではない。

なおこの「念書」署名の一件をめぐって、創価学会が「日蓮正宗大石寺は身延山久遠寺に日蓮の遺骨・日蓮の墓があることを認めた」などと言って、日蓮正宗大石寺を非難している。

これに対して妙観講などの日蓮正宗側は「念書はあくまで『勅額』下賜についての念書であって、身延山久遠寺に御聖骨の存在は認めていない。したがって身延山久遠寺の祖廟は正墓ではない」などと言って反論している。つまり日蓮正宗としては、身延山久遠寺に日蓮の遺骨や日蓮の墓があることは認められないというのが本義だということなのだろう。つまりこの「目くそ鼻くそ」のケンカも、日蓮正宗・創価学会が今でも日蓮の遺骨や日蓮の墓が日蓮正宗大石寺にあると信者を騙している証拠と言える。

日蓮・祖廟1
 

(身延山久遠寺・日蓮御廟)

三師塔2
 

(大石寺墓苑・三師塔・自称「日蓮墓」)