■検証15・日蓮正宗大石寺に「日蓮の遺骨・日蓮の墓」は存在しない15

 

198110月の日蓮七百遠忌大法要で日蓮「墓参」をしたと宣伝する大石寺の欺瞞を斬る

 

日蓮正宗大石寺には、日蓮の遺骨はなく、現在も「日蓮の墓」「日蓮の正墓」は存在していない。日蓮正宗大石寺が発行し、大石寺売店でも販売している「大石寺案内」と題する小冊子には、

「大石寺墓苑…この墓苑は、正本堂建立に際し、総本山総合計画にもとづいて移転されたもので、三師塔、歴代上人墓地をはじめ、旧来の一切の墓地がここに移転された。…」

と書いている。一見すると、日蓮正宗大石寺墓苑に日蓮の墓があるかのように思える文に見えるのだが、大石寺墓苑に日蓮の墓があると直接的に断定していない。大石寺墓苑に日蓮の墓があるようにも解釈できるし、大石寺墓苑にあるのは日蓮の墓ではなく、あくまでも三師塔なのだ、という意味にも解釈できる。問題の核心から実に巧みにすりぬけている文を載せている・

ところが日蓮正宗は、大石寺墓苑にある日蓮・日興・日目の「三師塔」を「日蓮の正墓」だと言って、信者を欺瞞している証拠がある。それは、まだ日蓮正宗と創価学会が和合路線を歩んでいた「宗創和合時代」の昭和56(1981)10月に大石寺で行われた「日蓮七百遠忌慶讃大法要」で、日蓮の墓参が行われたことを報道する昭和56(1981)1017日付け聖教新聞である。

さてその聖教新聞には、こんなことが書いてある。

「御法主日顕上人猊下はこの日午前八時前、大石寺墓苑に御出仕。宗祖日蓮大聖人、第二祖日興上人、第三祖日目上人の御墓が並ぶ中央大塔に詣でられ、中央大塔墓参が執り行われた。

これには藤本栄道総監、早瀬日慈重役、太田慈晁宗会議長をはじめとする各御僧侶方が列席。また御遠忌慶讃委員長の池田名誉会長、大講頭の秋谷会長、森田理事長、和泉副会長、小泉隆参事会議長、阿部唯七郎法華講連合会委員長、並びに学会、法華講の代表が参列した。

御法主上人の大導師のもと、読経・唱題が厳粛に進められ、列席の御僧侶方につづいて、居士衣を着した名誉会長、会長ら全参列者が焼香し、御本仏・日蓮大聖人に報恩感謝申し上げた。

このあと御法主上人は西大塔、東大塔で御墓参の儀を執り行われ、さらに総本山第六十六世日達上人の御墓所に詣でられた。」

(昭和56(1981)1017日付け聖教新聞)

この記事の見出しには「厳粛に中央大塔墓参」と書いてあり、この日、行われた大石寺墓苑の中央大塔、東大塔、西大塔で行われた儀式が日蓮の「墓参」であると書いている。

さらに同じくこの日の聖教新聞2面には、中央大塔前で焼香する阿部日顕法主の写真。

そして「名誉会長、会長ら、御墓参の儀に参列」の見出しのもとに、居士衣を着た池田大作名誉会長を筆頭に大講頭の秋谷会長、森田理事長、和泉副会長ら創価学会幹部が読経・唱題に唱和する写真が載っている。この当時は、日蓮正宗は創価学会を日蓮正宗の信徒団体として公認しており、日蓮正宗大石寺の法主をはじめ、塔中・末寺寺院教会の全住職、全主管、全僧侶が聖教新聞を購読して、隅々まで読んでいた時代のことである。

 

 

□大石寺墓苑の中央大塔、東大塔、西大塔を「日蓮・日興・日目の墓」と欺瞞する日蓮正宗

 

この聖教新聞の記事に

「宗祖日蓮大聖人、第二祖日興上人、第三祖日目上人の御墓が並ぶ中央大塔」

「御法主上人は西大塔、東大塔で御墓参の儀を執り行われ…」

と書いてあることから、少なくとも創価学会はこの当時、大石寺墓苑の中央大塔、東大塔、西大塔を「日蓮、日興、日目の御墓」と認識していたことが明らかである。では誰が大石寺墓苑の中央大塔、東大塔、西大塔を「日蓮、日興、日目の御墓」と教えていたのか、といえば、それは日蓮正宗しか絶対にあり得ないではないか。つまり、この聖教新聞は、日蓮正宗が大石寺墓苑の中央大塔、東大塔、西大塔を「日蓮、日興、日目の御墓」だと、偽って信者に教えていた明確な証拠である。

しかしこれは日蓮正宗のウソである。大石寺墓苑の中央大塔、東大塔、西大塔は、あくまでも「三師塔」なのであって、「日蓮、日興、日目の御墓」ではない。日蓮の遺骨や墓は、昔も今も大石寺には存在していないのである。日蓮の墓参の儀を行いたいというのであれば、大石寺ではなく、日蓮の真骨を格蔵し、日蓮の正墓がある身延山久遠寺に行って行うべきである。

日蓮七百遠忌墓参1
 

(日蓮第七百遠忌大法要を報じる昭和56(1981)1017日付け聖教新聞)

10-1
 

(日蓮第七百遠忌大法要で居士衣を着ている池田大作)

日蓮七百遠忌・日顕・池田大作3
 

(日蓮第七百遠忌大法要で仲良く並んで記念撮影した大石寺67世阿部日顕と居士衣を着た池田大作)