■検証19・日蓮正宗大石寺に「日蓮の遺骨・日蓮の墓」は存在しない19

 

□日蓮宗が発行している正式文献で公式に認めている妙伝寺への日蓮真骨の分骨の史実

 

日蓮の「遺骨」「正墓」「御廟」の第四に挙げなくてはならないのは、日蓮宗本山・京都妙伝寺である。日蓮宗本山の京都・妙伝寺は、京都府京都市左京区にある、日蓮宗の本山(由緒寺院)で正式名は法鏡山妙伝寺。開創は文明9(1477)で、開山は身延山久遠寺11世行学院日朝の弟子・円教院日意。日蓮宗新聞社刊行「日蓮宗本山めぐり」によれば、日意は、はじめ天台宗に属して比叡山延暦寺の学頭であった。

ところが身延山久遠寺11世法主・行学院日朝にまみえて三昼夜、法義を談じた後、日朝の弟子になって帰依した。そして文明9(1477)、日意は身延山久遠寺の参詣が遠い関西以遠の檀信徒のために、身延山久遠寺を彷彿とさせるような寺院として妙伝寺を開創した。日意は師・日朝が身延山久遠寺11世法主であったため、師と図って身延山久遠寺から日蓮真筆大曼荼羅本尊と日蓮真骨の一部を分骨されて妙伝寺に持ち帰り奉安した。さらに本堂には、身延山の七面大明神と同じ木を使い、姿・形も同じに造った七面大明神像を祭っている。

こうして身延山久遠寺参詣が困難であった室町時代に、関西以遠の遠隔地の信徒に日蓮真骨・七面大明神参詣の便を開いた。又、妙伝寺本堂の須弥壇中央に祀られているのは、一塔(南無妙法蓮華経)両尊(釈迦如来像・多宝如来像)四菩薩(上行・無辺行・浄行・安立行)四天王(時国・増長・毘沙門・広目)諸尊と日蓮像が祀られている。つまりこれは、日蓮の大曼荼羅の相を立体像化したもので、身延山久遠寺本堂に祀られている本尊とほぼ同じである。こう見てみると、妙伝寺は、「京都のミニ身延山」を醸し出しているように見える。そのため、妙伝寺は「西之身延」とか「関西身延」と呼ばれている。妙伝寺にも「西之身延」の扁額が掲げられている。

妙伝寺開山・日意は妙伝寺にて23年間在寺した後、身延山久遠寺11世行学院日朝の後を受けて、明応8(1499)に身延山久遠寺12世法主の猊座についている。身延山にて在寺20年ののち、猊座を13世日伝に譲り永正16(1519)に遷化。日蓮宗では日朝・日意・日伝の三師を宗門中興の三師とよんでいる。

これに対して、同じく身延山久遠寺から分骨された日蓮真骨を格蔵している日蓮宗本山・鎌倉本覚寺は「東之身延」と呼ばれている。身延山久遠寺から京都妙伝寺、鎌倉本覚寺に日蓮真骨が分骨されたことは、日蓮宗が発行する公式文献「日蓮宗本山めぐり」や「創価学会批判」に載っていて、日蓮宗、身延山久遠寺としても公式に認めている史実である。

 

 

□「高祖舎利」との扁額が掲げられている御真骨堂に格蔵される身延山久遠寺からの日蓮分骨

 

妙伝寺門前には「日蓮上人御分骨」と書いた石碑が建っている。

それでは、身延山久遠寺から分骨された日蓮真骨は、妙伝寺のどこに格蔵されているのか、ということになるが、それは本堂に向かって左隣の「高祖舎利」と書いた扁額が掲げられている堂宇の中にある。この「高祖舎利」の扁額がある堂宇が「御真骨堂」で、妙伝寺の僧侶の説明によれば、「御真骨堂」の須弥壇の裏手に蔵があり、その蔵の中に身延山久遠寺から分骨された日蓮真骨が収蔵されている、ということである。

日蓮宗寺院では、釈迦如来像ないしは一塔(南無妙法蓮華経)両尊(釈迦如来像・多宝如来像)四菩薩(上行・無辺行・浄行・安立行)を祀る本堂と、日蓮祖師像を祀る祖師堂の二堂を造営するのが基本と聞いているが、妙伝寺の場合は、一塔両尊・四菩薩・四天王・諸尊と日蓮像が祀られている本堂と、日蓮真骨が祀られている真骨堂の二堂になっている。真骨堂が日蓮宗寺院の祖師堂の役割を兼ねているように見えます。

ただし、日蓮宗寺院の祖師堂では、儀式・法要が営まれていますが、妙伝寺の場合、儀式・法要は基本的に本堂で営まれているようです。

妙伝寺11本堂


妙伝寺5真骨堂


妙伝寺3分骨石碑
 

(日蓮宗本山・京都妙伝寺)