■検証110・日蓮正宗や創価学会が唱える日蓮出世の本懐論の欺瞞4

 

□大石寺56世大石日応が最初に唱えだした「戒壇の大本尊・出世の本懐論」

 

日蓮正宗の法主や僧侶が、かくも執拗に、繰り返して「日蓮・出世の本懐論」なるものを唱えれば、何も知らない信者たちは、日蓮正宗大石寺では、日蓮、日興、日目が生きていた時代から「出世の本懐論」が唱えられてきたと思うのではないだろうか。 ところが、そうではないのである。

現在の日蓮正宗や創価学会が唱えている、日蓮の遺文(御書)「聖人御難事」の文を根拠とした「戒壇の大本尊・出世の本懐論」は、日興も日目も、全く言っていない。それどころか、「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作した大石寺9世日有も、江戸時代の大石寺「中興の祖」である大石寺17世日精も、大石寺26世日寛も全く唱えていない。 そればかりではない。数々の書籍を書き残した大石寺31世日因も、大石寺48世日量も全く唱えていないし、1879(明治12)年に北山本門寺34代貫首・玉野日志と「霑志問答」と呼ばれる問答を闘わせた大石寺52世鈴木日霑も、「聖人御難事」の文を根拠とした「戒壇の大本尊・出世の本懐論」など、全く言っていないのである。

ではこの「戒壇の大本尊・出世の本懐論」なるものは、誰が言い出したものなのか??

近年の学術的研究によれば、1897(明治30)年頃、大石寺と富士門流7本山が合同した宗派・日蓮宗興門派の中において、大石寺の興門派からの独立を主張していた大石寺56世大石日応が言い出したものであることが判明している。 したがって、日蓮正宗や創価学会が唱える「戒壇の大本尊・出世の本懐論」なるものは、日興、日目の時代からあった伝統教学でも何でもなく、大石日応が大石寺独立を達成するために考え出した新義なのであり、大石寺56世大石日応の手によって発明されてからまだ百年足らずの教義なのである。

この「戒壇の大本尊・出世の本懐論」の矛盾は、他にもいろいろある。日興は、大石寺を開創して後、重要な日蓮の遺文(御書)の正本を集めたり、「富士一跡門徒存知事」に正本の所在を書きとどめているが、「出世の本懐論」の根拠となっている「聖人御難事」について、日興は一言も述べていない。 それどころか「聖人御難事」という日蓮の遺文(御書)自体、日興の眼中に全くない。

 「聖人御難事」という日蓮の遺文(御書)が「出世の本懐論」の根拠となるほど重要な遺文(御書)ならば、日興は、「聖人御難事」の正本を自分の手元に集めるなり、「富士一跡門徒存知事」に正本の所在を書きとどめるなりを絶対にしたはずである。 日興がそれほど大事な「聖人御難事」の正本を集めることもしなければ、正本の所在を全く書き留めないなどということをするはずがないではないか。

一跡門徒抄遺文(御書)結集
 

(富士一跡門徒存知事)

 

 

□弘安21012日の「伯耆殿御返事」で「戒壇の大本尊」については一言も触れていない

 

日蓮正宗が「戒壇の大本尊」なる板本尊が建立された日であるとしている1279(弘安2)1012日に日蓮が書き残した遺文(御書)である「伯耆殿御返事」(平成新編御書全集p1399・御書全集p1456)の中には、日蓮自身が「戒壇の大本尊」なる板本尊については一言も触れていない。

弘安2年10月12日伯耆殿御返事
 

日蓮正宗や創価学会では、日蓮が自らの「出世の本懐」である「戒壇の大本尊」なる板本尊を日興だけに秘かに相伝したなどといっているが、それならば日蓮が「戒壇の大本尊」なる板本尊を建立したとする日に、日興に対して書き遺した遺文(御書)の中に、「戒壇の大本尊」なる板本尊について、何かしら書き遺すはずではないか。 このように日蓮正宗や創価学会の唱えている「戒壇の大本尊・出世の本懐論」は、まことに矛盾に満ちたものである。こういった疑惑・反問に対して、日蓮正宗も創価学会も顕正会も正信会も、全く沈黙したままである。

56世日応
 

(大石寺56世日応)

戒壇大本尊1大正4年由井本1
 

(大石寺「戒壇の大本尊」)