■検証175・大石寺の「戒壇大本尊」が大石寺9世日有の偽作である16の証拠30
□美濃周人氏の著書「虚構の大教団」における「新池抄聞書」の引用は誤りである
著書の中で「戒壇の大本尊」大石寺9世日有偽作説に触れ、「新池抄聞書」を引用しているものの、間違った引用をして、「戒壇の大本尊」大石寺9世日有偽作説を歪めてしまっている人もいる。それが日蓮正宗の元信者で著述家の美濃周人氏である。
美濃周人氏とは文筆家で。1947年、岐阜県美濃市生まれ。当初、1989年ころ創価学会に入会。
1991年の日蓮正宗と創価学会の「宗創戦争」で、夫婦で創価学会を脱会して、日蓮正宗法華講員になる。末寺機関紙「KM」を発行して、その主筆になり、創価学会と闘う。やがて日蓮正宗の教学に疑問を持ち、夫婦で日蓮正宗を離檀した人物。著書に「家庭内宗教戦争・おまえは誰の女房だ」「謎の日蓮正宗・謎の創価学会」「日蓮正宗・創価学会50の謎」「日蓮正宗・創価学会 謎の大暗黒史」「日蓮正宗・創価学会 虚構の大教団」等がある。その「虚構の大教団」で、美濃周人氏が「新池抄聞書」を引用して、大石寺9世日有偽作説に触れている箇所がある。
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「即本因、本果、本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり…」(日要談、日果聞書)
この文書は、戒壇の大本尊は、日有によって製作されたことを認める文書になっている。
(美濃周人氏の著書『虚構の大教団』p174)
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「新池抄聞書」のほんのごく一部のみしか引用していない、何ともわかりにくい引用であり、しかも美濃周人氏は、これだけの引用で、「この文書は、戒壇の大本尊は、日有によって製作されたことを認める文書になっている」と書いていることも、奇怪である。おそらくこれを読んだ人は、「この文のどこが日有の製作を認める文なのか」と思ったのではないだろうか。
さらに言うと、美濃周人氏の著書『虚構の大教団』における「戒壇の大本尊」偽作説の結論・メインテーマは、大石寺9世日有偽作説ではなく、「戒壇の大本尊」レプリカ(拓本)説なのである。
しかも美濃周人氏が書いている「戒壇の大本尊」レプリカ説の内容が、レプリカ本尊の存在を証明する文献的証拠ないしは他の物的証拠を何一つ示していないこと等々、誤った内容であることもさることながら、「戒壇の大本尊」レプリカ説を論説する一方で、「新池抄聞書」を引用して日有偽作説を唱えるとなると、美濃周人氏の著書『虚構の大教団』全体の論理が矛盾してしまう。
そもそも「戒壇の大本尊」レプリカ説を以て大石寺の欺瞞性を批判すると言うことは、逆説的に言うと大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊は、日蓮真造の本物であるという前提になってしまう。
美濃周人氏が「新池抄聞書」を引用して大石寺9世日有偽作説を論じるなら、大石寺の本尊偽作の結論・メインテーマは、「戒壇の大本尊」レプリカ説ではなく、大石寺9世日有偽作説になる。
□「新池抄聞書」を引用するなら「戒壇大本尊」レプリカ説ではなく大石寺9世日有偽作説になる
そうすると美濃周人氏が「虚構の大教団」で、「戒壇の大本尊」レプリカ説を以て大石寺の欺瞞を追及していること自体が矛盾することになる。つまり「戒壇の大本尊」大石寺9世日有偽作説と、「戒壇の大本尊」レプリカ説は同時に両立しないものである。大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊が大石寺9世日有の偽作で、さらにレプリカを製造して信者に拝ませていたというなら、「虚構の大教団」のメインテーマは大石寺9世日有偽作説になるはずであり、レプリカ説にはならない。
美濃周人氏が「新池抄聞書」を引用して大石寺9世日有偽作説を論じるなら、大石寺の本尊偽作の結論・メインテーマは、「戒壇の大本尊」レプリカ説ではなく、大石寺9世日有偽作説になるはずなのに、美濃周人氏はそうせずに、レプリカ説をメインテーマにしているから、「虚構の大教団」全体の論理がまるで矛盾したものになってしまっている。
したがって美濃周人氏の「新池抄聞書」の引用と「虚構の大教団」の大石寺本尊偽作の欺瞞批判の論説は、「戒壇の大本尊」大石寺9世日有偽作説を大きく歪曲する誤った説であると結論づけざるを得ないのであふる。
(美濃周人氏の著書「虚構の大教団」)
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