■検証176・大石寺の「戒壇大本尊」が大石寺9世日有の偽作である16の証拠31

 

保田妙本寺歴代貫首で『万年救護本尊・日蓮出世の本懐説』を唱えた人物は一人もいない

 

「戒壇の大本尊」大石寺9世日有偽作を証するもうひとつのポイントは保田妙本寺である。大石寺9世日有の代に、はじめて大石寺門流に「戒壇の大本尊」を格蔵する堂宇を「事の戒壇」と定義する教義が出てきたことを証明する文献が「新池抄聞書」で、これは保田妙本寺・小泉久遠寺11代貫首・日要(14361514)が、大石寺9世日有から聞いた説法を弟子に語っていた内容を日果という僧侶が筆録した文書である。保田妙本寺とは富士門流八本山のひとつで、ここは1957(昭和32)4月、50代貫首・富士日照氏のときに旧末寺4ケ寺とともに、日蓮宗を離れ、日蓮正宗に合同した。その後、51代貫首・鎌倉日桜氏の代になり、松本勝弥氏の正本堂供養金返還訴訟、万年講問題を経て1995(平成7)年に再び日蓮正宗から離脱・独立し、単立の大本山を名乗っている。保田妙本寺という寺院は、開創660年になる日郷門流の古刹寺院ということもあるが、1970(昭和45)1972(昭和47)年にかけて、松本勝弥氏・万年講事件の舞台になった。この松本勝弥氏の事件とは、1970(昭和45)年ころ、ちょうど創価学会が言論出版妨害事件で世間から批判の集中砲火を浴びていたころ、民音職員で創価学会幹部であった松本勝弥氏夫妻が、突如として池田大作・創価学会に造反。松本勝弥氏は「大石寺の『戒壇の大本尊』はニセ物であり、保田妙本寺に格蔵されている『万年救護本尊』が日蓮の出世の本懐であるから、正本堂の供養金を返還せよ」と主張し、正本堂供養金返還訴訟を裁判所に提起した。鎌倉日桜氏は、万年講事件の時は日蓮正宗からの独立をあきらめたが、その後も独立を企図していたようで、大石寺と創価学会が離反した後、1995(平成7)年、保田妙本寺、遠本寺、顕徳寺の三ケ寺を日蓮正宗から離脱・独立させた。

まずポイントの第一は、松本勝弥氏が打ち立てた「大石寺の『戒壇の大本尊』はニセ物であり、保田妙本寺に格蔵されている『万年救護本尊』が日蓮の出世の本懐である」という「万年救護の大本尊・日蓮本懐説」である。大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊は、日蓮真造ではなく大石寺9世日有が偽作した板本尊であるが、こんなふうに松本勝弥氏がかつて唱えた法義を書くと、「万年救護の大本尊・日蓮本懐説」は保田妙本寺の歴代貫首が唱えてきた680年来の伝統法義であるかのように聞こえてしまうのだが、これが全く違う。保田妙本寺の歴代貫首で『万年救護本尊・日蓮出世の本懐説』を唱えた人物は一人もいないのである。だから「大石寺の『戒壇の大本尊』はニセ物であり、保田妙本寺に格蔵されている『万年救護本尊』が日蓮の出世の本懐である」という「万年救護の大本尊・日蓮本懐説」は、保田妙本寺の伝統法義でも何でもない、松本勝弥氏のグループが大石寺・創価学会に対抗するために“発明”した新義である。

 

 

□大石寺9世日有の偽作「戒壇大本尊」・偽作教義のお追従をしていた保田妙本寺歴代貫首

 

保田妙本寺は、もともと大石寺蓮蔵坊の所有権を巡って日郷が大石寺4世日道と対立して大石寺を退出して保田妙本寺を開創したことにはじまる。蓮蔵坊紛争は大石寺は5世日行、6世日時、保田妙本寺は日郷ののちは後継貫首の日伝に引き継がれ、1405年になってようやく解決する。

ところが室町時代の中頃、大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」を偽作したあたりから、保田妙本寺の貫首は、大石寺の日有偽作教義のお追従をはじめる。保田妙本寺・小泉久遠寺11代貫首・日要が、大石寺9世日有から聞いていた説法を、日果が筆録した「新池抄聞書」という文書に、

「日有云く、また云く、大石は父の寺、重須は母の寺、父の大石は本尊堂…此は能生、即本因、本果、本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり」(日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨の著書「富士日興上人詳伝・下」p84に掲載している「新池抄聞書」)

と、大石寺9世日有が説く『事の戒壇』を書きとどめている。これに対して大石寺9世日有の「戒壇の大本尊」偽作を批判していた北山本門寺6代日浄は、

「当山第六世日浄上人伝に云く『大石寺日有云く、重須は生御影堂正意、大石寺は本堂正意なり。故に国主本門の正法を立てらるる時は此の板本尊即ち本門戒壇の本尊と云々。』 …

是れ日浄上人は日有の時の人なり。已にそれ未聞未見の板本尊を彫刻すと云う。偽造たること白々たり。又、小泉久遠寺の日要、日我等、日有の真似をして重須は御影堂正意、久遠寺は本堂、能開所開、両寺一味などと云う」(「大石寺誑惑顕本書」p6p7)
と、保田妙本寺・小泉久遠寺貫首の大石寺9世日有偽作教義へのお追従を厳しく批判している。

1561(永禄4)32日、保田妙本寺・小泉久遠寺14世貫首・日我は『観心本尊抄抜書』の一文で、何と日我は大石寺の「戒壇の大本尊」は日蓮在世の時代に造立されたと書いている。

「(身延山)久遠寺の板本尊、今大石寺にあり。(日蓮)大聖(人)御存日の時の造立也」

(日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨編纂『富士宗学要集』第7p170)

日我(1508年~1586)とは、室町時代中期の保田妙本寺・小泉久遠寺の貫首で、「東我西辰」と言われ、同時代を生きた京都要法寺13代貫首・日辰と比肩された富士門流の学僧。

日我は、さらに「観心本尊抄抜書」の中で

「脱の観心本尊は釈迦、熟の観心本尊は天台、種の観心本尊は日蓮也」

(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』4p139)

と述べており、大石寺9世日有とほぼ同じように日蓮本仏義を唱えている。大石寺59世堀日亨は、1959(昭和34)6月号『大白蓮華』p32の中の「富士宗学要集の解説5」において

「有師(九世法主・日有)の説が寛師(二十六世法主日寛)の説になった。有師と寛師との中間に有師のものが房州(千葉県保田の本山妙本寺)に伝わって房州の日要・日我の説になっている」

と述べて、保田妙本寺貫首・日我が唱えた「日蓮本仏義」は、大石寺9世日有の唱え出した「日蓮本仏義」の影響によるものであると、述べている。そういうことを考えれば、日我の『観心本尊抄抜書』の文は、大石寺の日有偽作教学の影響を証明する文と言えよう。保田妙本寺の歴代貫首は、「東我西辰」と言われた日我をはじめとして、大石寺9世日有の偽作「戒壇大本尊」・偽作教義のお追従をしていたのである。

新池抄聞書1

新池抄聞書3

(堀日亨が正文書と認めて「富士日興上人詳伝」に載せている「新池抄聞書」)

59世日亨2
 

(大石寺59世堀日亨)

9世日有4(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)

保田妙本寺1
 

(保田妙本寺)

戒壇大本尊1大正4年由井本1
 

(大石寺「戒壇の大本尊」)